2020年06月18日

●『論語』子罕篇にまつわる読者からの手紙と「知行合一」について

◆子罕(しかん)篇は、孔子の思想をギュッと凝縮した個所でもあった
 
 6月17日(水)に片付け物をしていたら、私宛の見慣れぬ封書が出てきた。
出版社宛てで、
「〈渋沢栄一と陽明学〉著者、林田明大様」
 と記されていた。
 開封済みなのだが、全く記憶にないので、慌てて手紙を取り出した。拙著『渋沢栄一と陽明学』をご一読下さった読者・伊藤某氏からの御手紙で、400字詰め原稿用紙が2枚入っており、ほぼ1枚半が文字で埋め尽くされていた。文末には、令和元年9月1日の日付があった。
 返信を出した覚えもまるで無い。老化からくるモノ忘れのせいにしながら、急ぎ返事を書いて出させて頂くことにした。

 お手紙の冒頭はこうあった。

「渋沢栄一と論語ではなく、〈渋沢栄一と陽明学〉と並べられたことで、ただ論語を解釈された活字として読み、孔子を聖人化して形骸化した儒学ではなく、孔子の教えを胸に日々の生活の中、自己研鑽を積むのが格物、そして孔子の教えを体得するに到るのが致知・致良知、陽明学とはそういうものであるとの感を受けました。」

 どうやら自己研鑽のために儒学を学んでこられた方のようで、「格物致知」を引き合いに、陽明学は形骸化した儒学とは違い、孔子の教えを日々生活の中で自己研鑽を積み、体得するのが陽明学だ、との感想を持たれたとのことである。
 果たして、私はそう思われるようなことを書いたのだろうか。
 実は、『渋沢栄一と陽明学』で私が言わんとすることはそのお手紙には触れられておらず、後述するように、『論語』子罕篇の冒頭にある言葉が話題となってその手紙は終わっていた。

 そのことがいささか残念ではあったが、それでも、おかげで子罕篇を読み直すきっかけを頂いたことには感謝しなければならない。というのも、この子罕篇は、孔子の思想をギュッと凝縮した個所でもあったのだ。「子、四を断つ」「鄙事多能(ひじたのう)」「逝く者は斯くの如きか」など、名言が頻出するではないか。

◆「先生はめったに利益について語られなかった。もし語られたなら、運命に関連し、仁徳に関連してであった」

 さて、伊藤某氏からの御手紙に触発されて、『論語』子罕篇「子罕言利与命与仁」について改めて調べてみた。
 伊藤某氏の手紙にはこうある。( )内は筆者注。

「漠然とした利や命を仁と合はせてまれに説明したと言うのでは無く、人を教え導くことで地位や得られる利と仁を合一させ、売りたいが売れない玉が(子罕篇13に「私は玉を売ろう」とある)、教団主的地位に甘んじる命も仁と合一させて来たのだと時々おっしゃった、と言うことではないか」
 と。
 続けて、こうある。〔 〕内筆者注。
「〔孔子は〕利と与に命と与に仁を貫いて来た」
 のだ、と。
 伊藤氏は「吾道一以貫之(我が道〈みち。どう〉は一〈いつ〉を以〈も〉って之〈これ〉を貫く)」(『論語』里仁篇)を、「一=仁=知と行の合一」だと解されたのである。
 ちなみに「吾道一以貫之」は、「一以貫之」という四文字熟語でも知られており、その訳は、「私が説きかつ行う道は、常に一貫した原理がある」、あるいは「私の人生は、ある一つのこと(仁)で貫いてきた」となる。

 私なりの伊藤氏への見解を述べる前に、子罕篇冒頭の
「子罕言利与命与仁」
 について見ておきたい。
 ご専門の方は先刻ご承知だが、漢文、いわゆる中国語の場合、日本語のように「。」「、」で区切られていないので、その区切る個所がどこなのかで、意味が変わってくるのである。つまりは、往々にしてその文章が幾通りにも理解可能なため、その文章の筆者の真意があいまいになり易いし、どう理解していいのか理解に窮することもあるのだ。
 さて、
「子罕言利与命与仁」
 の何所に「、」を入れているのかに注意をしながら、いくつかの解釈を見ていきたい。
 
 まず、朱子学者・宇野哲人の訳である。(以下、敬称略)
「子罕(しまれ)に言ふ、利と命と仁と」(『論語新釈』講談社学術文庫)
 以下、通釈。
「孔子は人に教えるにあたって利(り)と命(めい)と仁(じん)とはめったに言わない。利を計(はか)れば義を害するし、命の道理は奥深く、仁の道は大きくて常人には分からないからである」

 金谷治訳注『論語』では、
「子、罕(まれ)に利を言う。命と仁と」
 と読み、訳は
「先生は利益と運命と仁とのことは殆(ほと)んど語られなかった」
 となっている。宇野哲人訳と同じである。
 しかし、『論語』の中で利と命について孔子はそれぞれ6回語ったが、仁については60回以上も語っているという。利と命と仁については、めったに語らなかったという宇野や金谷の訳はふさわしくないことになる。

 次は、木村栄一訳注『論語』からである。
「子罕(しまれ)に利と命と仁とを言ふ」
「先生は利を優先させる判断をしたり、〔安易に〕運命論で片づけたり、自分にも他人にも簡単に仁をみとめたりは決してしなかった」
 宇野、金谷の訳とは区切る個所は同じでも、現代語訳は違っている。

 そして、貝塚茂樹訳注『論語』からである。以下は、江戸中期の儒学者・荻生徂徠(おぎゅう・そらい)の読み方によったとある。
「子、罕(まれ)に利を言う。命(めい)と与(とも)にし仁(じん)と与にす」
「先生はめったに利益について語られなかった。もし語られたなら、運命に関連し、仁徳に関連してであった」
 調べてみると、武内義雄、フランス文学者・桑原武夫なども、この徂徠説を採っている。
そして私も、徂徠説を採用したい。

◆「知行を分けるな、分けて考えるな」

 ここで、話を伊藤某氏の手紙のことに戻す。
「仁という一を以って貫く」
 という理解には納得できるのだが、仁を「知と行の合一」と理解されている点には、納得できかねるのだ。
 この一文の結論めいたことを言わせて頂くなら、約30ページ弱からなる本書『渋沢栄一と陽明学』の第7章
「小事即大事、大事即小事」
 に、渋沢栄一に仮託して私が一番言いたかったことを吐露させて頂いたのだが、P208の小見出し
「知行を分けるな、分けて考えるな」
 に象徴的と言って良い。
 いみじくも伊藤氏が、
「知と行の合一」
 と記されている点がそもそも問題なのである。
「知行合一」
 とは、それぞれ個別に存在する知と行を一つに合わせることを意味しているのではないのだ。そのことを、P210の冒頭に
「知行は言葉の上では区別できても、本来一体のものだから、知行を分けるな、分けて考えるな、と説いてるのだ。」
 と、記させて頂いたのだ。
 続けて、私はこう書いている。
「こうした〈分けるな〉という物の見方・考え方は、陽明の場合終始一貫していて、晩年の〈万物一体〉説へとつながっていく。」
 その後の小見出しは、
「知は行の始(もと)、行は知の成(じつげん)」
 となっている。
 王陽明は、知行は一体であって分けられない、と説いているのである。
「知行合一」とは、言い換えれば「小事大事合一」のことであり、禅的表現を借りれば「小事即大事、大事即小事」なのである。

 自然科学を生み出した二元論や唯物論が間違いだというわけではないが、二元論や唯物論しかないと思い込んでいるが故に、「知行合一」に代表される陽明学の一元論(『易経』に代表される東洋思想の神髄。ルドルフ・シュタイナー思想も一元論)の教えがなかなか理解されてこなかったのは、残念としか言いようがない。
 それでも、このまま二元論や唯物論に洗脳されて生きてしまうことが如何に危険極まることなのかを、孔子や孟子、王陽明の精神を受け継いで、実践体得に努めて、日本の天台宗の開祖・最澄の言葉ではないが、一隅を照らしつつ、警鐘を鳴らし続けるしかないようだ。


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akio_hayashida at 11:21│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 陽明学 | 儒学

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