※昨日の記事は夕方に大幅修正しました



北部邦雄~『思い出のビルマ戦記』~より

第二部 「インパール作戦の悲劇」

私の寄り道記事「バ・モウ暗殺未遂事件」



ああ、そうか!私が分り辛かった原因は

ビルマの政府と軍が分裂していたからなのね

そしてアウンサンは寝返ったが

バ・モウは日本側に暗殺されかけても

ずっと日本軍に協力を続けた。。。

あれ?バ・モウって良い人じゃん?





北部大佐の手記には

ビルマ方面軍がラングーンを放棄した頃

バ・モウから「貴軍において、

不貞ビルマ人を使って、ビルマ政府に対し

反政府の陰謀をやっている」と抗議が来た

と書かれている

不貞ビルマ人とは、、、

先の北部大佐が遊撃戦をお願いした

反バ・モウ派のビルマ人青年グループの

ことであるマズイっっ

だから参謀副長の許可を取ってたのに




方面軍は慌てて、直ちに

ビルマ人青年グループの解散を命じ

北部大佐の後任者の後任者は左遷され

日本人僧侶はタイへと追放された

バ・モウは怒って当然のことだけど…あらあら





それを知った北部大佐は

自分が居れば…と、悔しい思いで一杯になった

そして、長く日本軍に協力してもらっていた

ビルマ人青年グループと日本人僧侶には

敗戦直前になって

日本軍がこんな処置したことについて

非常に心苦しく思ったようだ





日本軍が劣勢になると

ビルマ軍政は分裂し、軍部は寝返った

しかし「インド国民軍は

敵側に寝返るような者もなく

困難なる退却に堪え、秩序を乱すことなく、

整然と後退したことは感心させられた。」と

北部大佐は比較している





ただ、インド国民軍が寝返らなかったのは

まだ独立と言う目的を

果たしていなかったからかもしれない

でも北部大佐はチャンドラボース氏の

統率力を大変評価していた





特務機関員であっても

もちろん多くの犠牲者が出た

北部大佐は「光機関の将兵で特権任務を帯び、

第一線に出て途中戦病死した者も随分あったが

何れもインド国民軍、

或いは日本軍に密かに協力し、

完全に任務を達成してくれたのには、

頭が下がる思いがした。」と回顧している

↑この中に大叔父も含まれていたらいいな





でもね、でもね、実は私が興味を持ったのは

そこの部分じゃないの

話は少し元に戻りますが。。。

大叔父の〇〇大学と2個1のような

近くの国立の大学は

南方の以前に同じような兵要地誌関連で

探検を行っていたことを

読者の皆様は覚えていますか?



近くの国立大学の探検隊の過去記事はこちら↓↓

「ミャンマーに思いを寄せて 1179」
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1983743.html


「ミャンマーに思いを寄せて 1183」~
http://blog.livedoor.jp/aya_sann/archives/1983965.html




続く…




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