フォントヴロー王立大修道院Abbaye Royale de Fontevraud

フォントヴロー王立大修道院 Abbaye Royale de Fontevraud

900年の歴史を持つ、ヨーロッパで最も壮大な修道院都市
フォントヴロー王立大修道院はフランス西部に大きな権力をもつプランタジネット家やアンジュー伯の援助ににより、101年にRobert
d’Arbrissel(ロバート・アルブリセル)により建設が始められ18世紀まで再開、続行されました。

常にプランタジネット家やブルボン家といった王族の支援を受けて、14ヘクタールにも及ぶ大修道院都市にまでなったフォントヴローはヨーロッパでも最も壮大な修道院の一つです。

1115年~1792年にかけては36人の王族の血筋、16人の上級貴族の中から選ばれた修道院女達が修道院全体を統括し、女子修道院長の権力は修道会全ての所有地に及ぶという稀な修道院でもありました。

1804年にナポレオン・ボナパルトの命により1985年まで監獄として使用されましたが、その後1975年からはフランス西部文化センターとして使われるようになり今では一年中クラシックコンサートや絵画や写真などの展示会場として使われています。

王家の墓
修道院付属の教会の中に入ると中央に、Aliénor
Aquitaine(アリエノール・ダキテーヌ)、Henri II Plantagenêt(プランタジネット家ヘンリ2世)
、Richard Cœur de Lion(リチャード獅子王)、その妻Isabelle d’Angoulême(イザベル・ダングレーム)の横臥像の墓があります。もともとプランタジネット家はとても信仰深く、子供達はフォントヴロー修道院で学び、多くがこの場所で亡くなり埋葬されました。

横臥像があるのは上記の4人だけですが、その他にも像の下にはRaymond VII de Toulouse(トゥールーズのレイモンド7世)、その子供達、リチャード獅子王の子供達、HenriIII(ヘンリ3世)、その子供達などが埋葬されています。

リチャード獅子王の墓はヘンリ2世が亡くなった時、存命中にずっと喧嘩ばかりしていたのを後悔して死後は父の墓の側に自分の墓も造って欲しいとの希望からヘンリ2世のそばに同じく造られました。

ヨーロッパでも唯一、ローマ様式の台所

「Tour d’Evrault (エヴラウルトの塔)」と呼ばれる大変珍しいローマ様式の台所の建物があります。この塔のエヴラウルトとはもともとはフォンテヴローの森に出没していた盗賊の名前。森を通りかかる旅人達を灯をともして惹き付け略奪を繰り返していましたが、フォンテヴロー修道院の創設者のロバート・アルブリッセルが改心させて、この塔ができた時に毎晩灯をともす係りとなったことからそう名づけられたようです。

このローマ様式の台所で今日残っているのはここだけで中は大分修復が終了して、展示会会場にもなっています。

 

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