恐慌と失業の諸理論 | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

1) 資本主義の自動調整メカニズムとしての産業循環

「中位の活況、生産の繁忙、恐慌、沈滞の各時期」    (Kapital,Ⅰ.MEW,Bd.23,S.661 )

 恐慌⇒「毎回産業循環の終点になる」  

     (Kapital,Ⅰ.MEW,Bd.23,S.697 )

    ⇒「つねに一大投資の出発点をなす」 

     (Kapital,Ⅱ.MEW,Bd.24,S.185-6)

 

恐慌を通じて、個別資本は、自分が抱える「過剰な」生産能力を強制的に解放させられる。資本と労働力の排出。⇒賃金と利子率の低下=一大投資の出発点。

 

 このこの反転は、単なる回復・反復ではなく機軸産業の転換(いわゆる「構造改革」、「構造転換」をともなうことが多い。旧来の機軸産業の衰退と新しい機軸産業の台頭である。 

 

2) 新古典派の失業理論

完全競争を前提⇒失業は一時的であって、継続しない。もし、失業が継続して生じているならば、賃金を下げるべきなのに労働者(あるいは労働組合)が高い賃金を要求するからであり、この場合、失業は高い賃金をえるための自発的失業である。

一般の商品と同様労働力も供給過剰で価格低下し、それによって需要が回復し失業はそれほどの長期を要さず解消されるとみなしている。しかし、この見方は、労働力市場を資本蓄積と切り離して考察している点で一面的。資本蓄積が賃金や失業率を規定しているのであって、その逆ではない。

3) ケインズの新古典派批判

有効需要が、完全雇用[1] が実現した場合の生産物の供給量を吸収しきれないなら、失業は解消しない。すなわち、 完全雇用の場合の総供給量が1兆円分に対し、現実の有効需要が8000億円分しかない場合、完全雇用を行って生産した場合、必ず2000億円分が売れ残る。だから、各企業は8000億円の有効需要に見合う程度までしか供給量を増やそうとしない。したがって、企業にとってみれば、労働力も労働力市場に存在する全労働力を雇い入れる必要は無いため、完全雇用は実現せず、失業は解消しない。

 

「経済体系は自己調整的ではなく、意図的な指導なしには現実の貧困を潜在的な豊富に移行させることはできないのである」(ケインズ「豊富の中の貧困――経済体系は自己調整的か」)

 

 

問題はなぜ、有効「需要は、総供給を吸収しうる規模に達しないのか?」である。ケインズは、その理由を流動性のワナに求める。貨幣需要の増大は実物需要を抑制する。つまり、蓄蔵の欲求・必要が投資や消費を抑制する。⇒国家による通貨管理の必要性を主張

 

[期待しうる利潤――それを規定している剰余価値の潜在的な生産可能量――の減少が停滞の基本要因。金融政策も財政政策も根本的な解決にはならない。]

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[1]つまり、労働市場に存在する全労働力を雇い入れて生産した場合。
 
 

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