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テーマ:俳句入門(124)
カテゴリ:俳句
【きゅうれき】旧暦 太陰太陽暦のこと。日本では1873年(明治6年)に採用されたグレゴリオ暦を新暦といい、それ以前の暦法を旧暦という。グレゴリオ暦以前のユリウス暦(紀元前四五年)を旧暦と呼ぶ場合もある。以下国立天文台の「旧暦とは」に対する回答の抜粋(表記は「鴎座」と統一・変更)。 現在私達が使っている暦(グレゴリオ暦)は、太陽の動きをもとにして作られているため「太陽暦」と呼ばれる。一方、太陽暦が一八七三年(明治六年)に採用される以前は、月の満ち欠けをもとに、季節をあらわす太陽の動きを加味して作られた「太陰太陽暦」が使われていた。一口に太陰太陽暦といっても、たくさんの暦法(計算の規則)が使われてきたが、太陽暦への改暦の直前に使われていた「天保暦」と呼ばれる暦法のことを一般に「旧暦」と呼んでいる。旧暦を含む太陰太陽暦では、月が新月になる日を月の始まりと考え、各月の一日(朔日)とした。新月から新月までは平均して約二九・五日の間隔であるので、十二か月は約二九四日であり、太陽暦の一年より約十一日短いため、そのままではだんだんと季節とずれていく。そこで太陰太陽暦では、暦と季節のずれが大きくなって、ひと月分に近くなると、閏(うるう)月を入れて、ずれを修正していた。例えば三月の次に閏月が入るとその月は「閏三月」と呼ばれ、その年は十三か月あるということになる。閏月は平均すると十九年に七回ぐらいの割合で入る。以上のような理由で太陰太陽暦では同じ日付であっても、それを現在の暦での日付に換算すると年ごとに違う日付になる。例えば、現在の暦に切り替わる前の、一八七〇年(明治三年)一月一日は、現在の暦では二月一日であるが翌一八七一年(明治四年)一月一日は、現在の暦では二月十九日となる。なお現在、日本で「公式な」太陰太陽暦の計算というものはおこなわれていない。太陰太陽暦にしたがった習慣は、現在でも私たちの生活の中で生きている。例えば「中秋の名月」は太陰太陽暦の八月十五日の夜の月のであり、「七夕」も太陰太陽暦の七月七日のことである。(https://www.nao.ac.jp/faq/a0304.html) 以上のことから分るように、旧暦を陰暦と呼ぶのは誤り。あえていうとすれは、国立天文台のように「太陰太陽暦」である。 ひらのこぼ『俳句発想法歳時記(秋)』(草思社)では、「七夕 旧暦七月七日」「西鶴忌 陰暦八月十日」というように同一書籍、同一著者であるのに、旧暦・陰暦が混用されているが、これはあり得ない。ライターが複数いるのかあるいは別資料のコピペはないかと思われる。辻桃子・安部元気『いちばんわかりやすい俳句歳時記』(主婦の友社)はすべて陰暦とあるが疑問である。 旧暦は旧正月などにいまも使われている。中国では春節という。 ふるさとや旧正月の雪籠り 名和三幹竹 旧正や因幡にのこる藁の竜 大島 民郎 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年07月27日 09時39分11秒
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