秋篠宮家の長女・眞子は本日、曰くつきのあの彼と結婚し小室眞子となった。
双方とも純愛を貫いたとのことで称賛する向きがあるが、そう見ていいのだろうか。
日本人にとって皇室とは神聖なもので、親しみこそあれ尊敬に値する存在である。
それが時代に合わないとか皇族個人の人権が侵されているという意見もあるだろうが、それは今後議論していけばよい。
そのままで良いとは自分も思わない。
ただ現状維持が続いているということは、現時点ではその伝統が正しいということでもある。
それが間違いであるのなら、それに気づいた段階でその皇族は直ちに徹底した抗議活動を開始し、結婚がどうこう言う前に民間に下るべきではないか。
ところが、眞子前内親王はこれまでそうしてこなかった。
それは、その特権階級の伝統としきたりを容認していたということである。
それが「自分」の意思を貫き、否定的な少なからぬ国民の意向を無視して結婚を強行したということは、自らの意思と行動に矛盾があるということを示した。
それを突き付けられた国民にとっては、裏切りである。
ところが彼女とグルである宮内庁によると、それへの批判は誹謗中傷なのだそうだ。
それについて僕は強い持論があるが、言論の自由を妨害する者は誰であれ人類の敵だ。
もっとも、報道陣の取材攻勢や配信に事実誤認、それこそ誹謗中傷があることは事実だろう。
だがそれでも、その中で私はこう対応したという既成事実を作っておかないと。
尊敬される皇室の一員なのだから。
小室圭に関して言えば、曲がりなりにも弁護士志望なんだから。
それが母親の金銭問題に関し、息子の彼はしばらくだんまりを決め込んだあげく突然28枚もの原稿で反論。
その判断には眞子も関わっていたということが、本日の記者会見で判明した。
小室氏の言い分が正しいか母親の元婚約者が正しいか、第三者には判断が難しいところはある。
ただ小室氏のこの行動により、彼が公序良俗に反する人格障害的な人物であることは証明されたといっていいだろう。
とにかく、普通の社会人なら決して取らない態度ではないか。
自分ならどこかの時点で記者会見を開くし、どんなに長文になっても推敲し原稿は4枚だ。
しかし、眞子の判定は「OK」!
結局、同じ穴の狢だったということだ。
この結婚は皇統のみならず、日本の伝統と歴史への侮辱と破壊である。
なおこれは誰も言わないが、眞子をそう育てたのは父親の秋篠宮であり、秋篠宮をそう育てたのは現上皇陛下であるということだ。
上皇陛下や美智子上皇后はどう考えているか?
もしかすると、案外この結婚に賛成なのかもしれない。
一般人なら個人と個人の結婚で済むかもしれませんが、この例は典型的な家と家の結婚でもある。
父親の自殺の件を差し置いたとしても、こんな下賤の庶民となど明らかに血が汚れるではないか。
それが、あろうことか宮内庁も異議なしで強行するとは。
日本は誰のものなのか?
今の皇室に君臨している皇族とは何者なのか?
日本は誰によって支配されているのか?
コロナ禍を考えるまでもなく、私たちが思うこの国はもう存在していないのかもしれない。
とにかく、「公」には注意しなければならない。
それは本当のあるべき「公」に真っ向から反していることを、悟らなければならない。
愛がすべてではない、人間には愛と正義が大事なのだ。
その正義こそを、別の言葉で「公」と言う。
小室圭と眞子、マスコミを含めた政府について僕は、心を病まない程度に生涯侮蔑し続けるだろう。
この忌むべき売国奴とその未来に、呪いあれ。