あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の行事 ~ 新正月へ替わる旧正月 ~ 1月10日~12日

2024年02月13日 19時14分25秒 | Weblog

 沖縄は真冬であるが、最高気温が15℃まで下がったことは今冬は2日しかない。
寒い時で20℃前後、暖かくなると25,26℃にもなる夏日。
地球温暖化の影響か、定かではないが海面温度は平年より高いらしい。
 総じて、沖縄の人たちは「暑がり屋」である。
30年前にはホテルには暖房はなかった。
毛布一枚で夜を過ごすのであるから、本土からの観光客は「寒い」とクレームを付けた。
殊に、東北・北海道から来た人たちは耐えられなかったらしい。
 20℃を超すとタクシーは冷房を入れる。
沖縄に来た時分は、
「冷房を入れるほどのこともないだろう」といえば、
異口同音、
「窓が曇るから」と譲らない。
随分議論もしたが譲らない。
喫茶店、レストランも同じだ。
客も同じだから、孤立無援になる。
今では諦めて厚着をして出かけるようになった。
余り好きではなかったジャンバーは手放せない。

 行事も旧暦で行うことが多かったけれど、最近は新暦に替わり始めている。
地域によってはまちまちで、那覇市周辺は新暦でやることが多い。
今回の正月でも、友人から、
「お正月くらいは何かお供え物でもしたら」
と、助言の電話があった。
することもなく、ぶらりと酒場に寄ったら店に提灯が点いていた。
馴染みの客で店はほぼ満員になった。
 それぞれが得意の歌を歌って、楽しく過ごした。
唄う歌は演歌ばかり。
昔を偲んでは講釈を入れ、年甲斐もなく老年の夜をはしゃいだ。

 酒場への道すがら、目に止めた桜は満開の時期を過ぎようとしていた。


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沖縄の季節 ~ 本島南部にも桜咲く・駆け足で来る春

2024年02月07日 17時16分49秒 | Weblog
2月2日 浦添市の民家の桜


 今冬は冬らしい季節が来ない。
本島の気温は北部(やんばる)と南部では2℃ほど違う。
八重山地方(石垣島・宮古島)では3~5℃程違う。
このブログに書くのは本島南部である。

 立春を迎えた2月は沖縄では一番花が多い季節と聞く。
年中いろいろな種類の花を見たりするので「沖縄は季節がない」と、始めての人は感じる。
しかし、南国の花として馴染みの深いブーゲンビリアの開花は23℃前後が適温らしい。
特に真夏の強烈な太陽には弱く、ほとんど咲かない。
それでも真夏にあちこちで見ることがあるのは、開花条件に適した所だけのようだ。

 見出しの桜は「寒緋桜」である。
寒緋桜は一番寒くなった時から咲き始める。
本島では北のヤンバルから咲き始め、開花時期は南下してくる。
 先月、「名護桜まつり」が1/27(土)、1/28(日)開催された。
名護城公園を主会場として名護十字路大通り、名護漁港内にも会場が設けられた。
 更に、「本部八重岳桜まつり」が1月20(土)から始まり、2月4(日)まで執り行われた。
八重岳の開花・満開は頂上付近から始まり、麓へと下りてくる。
頂上まで自家用車で行けるから楽だ。


ー2月6日のツツジ(浦添市内)ー

 2月10日は旧正月。
昔の人は「正月」を「春」といい、「初春」と呼んだ。
桜の開花を見つけた4日後、通りすがりに見つけた花壇には春いっぱいだった。
今年は暖かいので開花も早そうな気がする。
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明けましておめでとうございます

2024年01月08日 13時49分30秒 | Weblog


 元日の朝は晴れと予報が出た。
予報通りだと日の出は7時17分。
東には前田高地があり、日の出は15分ほど遅れる。
 
 元日の朝。
5時には起きて、準備万端整える。
場所は自宅前のの道路を隔てた公園の石段50段ほどの高台にある。
4,5分もあれば十分だ。
7時過ぎに自宅を出る。

 階段を登り切ると、町の夜は明けていた。


 7時40分頃、前田高地の稜線に2024年、令和6年の初日が明るく、神々しく昇り始めた。
この辺りには、浦添城址、浦添大公園、球場、博物館などがある。
先ずは家族の平穏と健康を祈る。
そして紛争中の世界の平和の来たらんことを願った。
この後に、能登半島地震や日本航空機と海保の悲しい事故が起こった。

 8時すぎ、石段を下る。
今年は手摺に掴まらないと足元が覚束ない。
年を追うごとに体力が落ちる。
愕然とした。




 今年の松の内は暖かだった。
20℃を切った日もなく、太陽はいつも天上に輝いていた。
能登半島の人々は凍えるような日々を送っていることだろう。
今こそ、「寄り添う政治」を見せてほしい。

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台風6号下に感じた日本精神文化の喪失

2023年08月27日 18時17分39秒 | Weblog
 宮古島の北で、台風6号は東へと方向転換。
石垣、宮古、本島、奄美は暴風圏内となった。
自宅も2日午後夕方16時から停電。
パソコンが使えないから手持ち無沙汰。
その内、冷房が使えないことに気付く。
28,9℃の熱帯夜を覚悟しなければならず、扇風機でもと引っ張り出しても効果はない。
明るい内に夕飯をと準備に取り掛かった。
冷凍した朝飯をレンジで温めようとすればレンジは使えない。
冷凍冷蔵機能は完全アウト。
助けはプロパンガスだけ。
近くのスーパーに走ってみると閉店。
好きな茶粥を作って、あり合わせのイワシの缶詰で空いた小腹を満たす。
 辺りが暗くなると家々の電気が点き始めた。
どうも停電はこの辺りらしい。
20時過ぎ、全く繋がらなかった電力会社の電話に男性の応答があった。
幽霊が応答したのじゃないかと、一瞬、たじろいだくらいだ。
状況を説明し、受付番号を貰う。
台風のまっ只中、工事のスケジュールなんて聞けやしない。
 翌日、階下の大家の事務所が開くと従業員が飛び込んできた。
「うちも停電しているのです」という。
「早急に連絡取ってみます」と踵を返した。
正午過ぎ、世の中がぽっと明るくなった。
電気が灯った。
日常が戻った!
心も身体もウキウキしてきた。
停電は電力会社の範疇でなく、強風で看板が外れ罹り漏電したことによるらしい。
日常が戻ったと胸を撫で下ろした。
 それからが新たな苦労の始まであった。
昨日、受け付けてもらった「受付番号」をキャンセルしなければならない。
この非常時、電力会社は少しでも人手が欲しいところだろう。
電話は出るが、
「用件の該当する番号を回せ」という。
3,4回通過して、漸く、「これか」というところに行き着く。
「ただいま、台風のため電話が非常に混み合ってます。そのまましばらくお待ち下さい」
それがしばらくどころではない。
30分待っても繋がらない。
結局この日は電話に罹りっ切りであったが、目的は達せず。
翌朝、早目に電話を入れるが、昨日と変わらない。
漸く、夕方連絡がついた。
「受付番号〇〇ですが、屋内故障で電気は点きました」
たったこれだけのことを伝えるのに、まる2日かかったことになる。

 最近、あらゆる会社でこういうやり方が蔓延してきた。
インターネットプロバイダー、電話会社等々、面倒なことは客に回すのだ。
電話の向こうじゃ何をやっているのか分かったものじゃない。
最近は行政でもこの手法を採っているのには驚いた。
きっと泣き寝入りしている人たちが随分いるだろう。
 日本じゃなくなった。
価値観までも失ってしまったのか。
グローバル化のひとつともいうのだろうか。
悲しい時代になったものだ。

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沖縄の社会 ~ 途絶えることなく今も引きずる戦後 

2022年09月15日 15時25分52秒 | Weblog
 夏を迎えても一輪だに咲かなかったサフランモドキが台風12号の通過後、2輪だけ咲いて9月10日のきょうになって60~70の花が一斉に咲いた。
朝、ベランダに出て驚いた。
踊り子たちからにこやかに「おはよう」と声をかけられたように爽やかだった。
華やいだ。



 9月はじめだった。
沖縄県知事戦は現役の玉城デニー氏が当選し、2期目を継ぐ事になった。
辺野古基地反対を叫ぶ「オール沖縄」の野党連合が勝利したのだ。
 午前中の雑事を終え、ブログの記事に目を通しての夕刻、OCNトップページのニュースに目が止まった。
常々心に軸じたる思いを抱いている沖繩の現状である。
読み進む内に得心した。
戦時中の壮絶さ、残虐さ、悲運を語りたいのじゃない。
心あるものなら私が語るより、映画や小説や、ドラマやテレビなどから理解し、想像しておられることだろう。
言葉にならない、言葉では訴えることが難しいことなどである。
この記事にそれをみた。


共働きで月収17万円   母、再びよぎった夜の仕事 コロナで沖縄は今
2022/09/03 毎日新聞

 沖縄県の子どもの3人に1人が貧困状態にある――。そんな調査結果を2016年に県が公表して6年がたつ。深刻な沖縄の子どもの貧困は今も解消されないどころか、新型コロナウイルスの感染拡大による影響で厳しさを増す。11日投開票の知事選では各候補が子育て支援策を打ち出すが、背景には沖縄特有の産業構造の問題もあり、解決は容易ではない。

 ◇子供2人、夫婦の月収は17万円程度に

 夫、子ども2人と沖縄本島中部で暮らす30歳の女性は約半年前まで、暮らしの先行きへの不安で眠れない日々を過ごした。新型コロナの影響で手元にはわずかなお金しかなかった。

 元々、生活は不安定だった。建設現場で働く夫の収入は日当1万円。工事が少ない時期もあり、手取りが20万円を超えた月はほとんどなかった。女性も2人の子どもを保育園に預け、パート勤務で家計を支えた。

 そんな生活はコロナ禍で更に苦しくなった。現場で感染者が出るたびに夫の仕事は休みになり、保育園で感染者が出たり、子どもが体調を崩したりすると、女性も仕事を休まざるをえなくなった。収入は夫婦合わせて17万円程度に減り、生活費や家賃、光熱費などの支払いで消えた。

 猛暑でも冷房はつけず、卵しか具がないラーメンを食べ、保育園で必要な子どもの体操着はリサイクルショップで買った。「お金がないから、ごめんね」。心の中で何度も謝った。

 ◇「夜は出たくない。でも…」

 女性は母子家庭で育った。母は夜になると、姉と女性を家に残して仕事に出た。女性は中学卒業後、アルバイトや季節労働などを転々とし、キャバクラで働いたこともあった。「生活に余裕があれば勉強も楽しかったはず。高校や大学に行ければ、賃金の良い仕事に就けたかもしれない」。そう思う。

 前の夫と離婚して実家に戻り、夜の仕事の支度をしていると、当時1歳半だった娘がしがみついてきた。自身が子どもの頃に感じた寂しさを思い出した。その後、夜の仕事はやめたが、コロナ禍で生活が困窮した時は再び歓楽街で働くことも考えた。「子どものために夜は出たくない。でも、生活が立ち行かなくなったら……」。不安に襲われた。

 ◇子どもの3人に1人が貧困状態

 沖縄は1972年の日本復帰まで27年間、米国に統治され、多くの土地が米軍基地として奪われた。そのため製造業が育たず、サービス業を中心に非正規雇用が多い産業構造となっている。最低賃金も、1人当たりの県民所得も全国ワーストで、経済力が乏しい家庭が多い。

 県が16年に公表した15年度の調査では、平均的な所得の半分に満たない家庭で暮らす18歳未満の子どもの割合(相対的貧困率)は29・9%。全国平均の約2倍で、3人に1人が貧困状態にあった。国や県はそれ以降、生活が厳しい家庭の子どもたちが放課後などに集まり、地域の人々と一緒に食事や勉強などをできる「子どもの居場所」の整備や運営支援、基金による就学援助の拡充などに取り組んできた。
 相対的貧困率は18年度の調査で25%とやや持ち直したが、コロナ禍の21年度の調査では28・9%と悪化した。貧困世帯の6割が新型コロナ禍で収入が減ったとしている。

 ◇「沖縄で普通に暮らしたいだけなのに…」

 知事選では、立候補した3人がそれぞれ、子どもの貧困対策として、教育費や保育費、子どもの医療費の無料化、支援の拡充などを公約に掲げる。

 子ども食堂などに食材を届ける「おとなワンサード」の富田杏理代表は週3回、宜野湾市の公民館で子どもたちに夕食やおやつを振る舞い、子どもの居場所づくりに取り組む。集まってくる子どもの中には、育児放棄のような状態で育った子や家事や家族の面倒をみる「ヤングケアラー」とも思える子もいる。

 富田さんは「親や社会全体が困窮し、その影響が子どもに及んでいる」と指摘し、親の世代も含めた貧困対策や、民間による支援を継続できるための行政の体制拡充を求める。

 長引くコロナ禍。冒頭で紹介した女性は「生活が苦しくなると、『私のせいで』と自己嫌悪に陥ってしまう」と吐露する。この半年、親族からの借金で家計をやりくりしてきた。夫の仕事も一時に比べれば安定して入るようになったが、日々の生活で精いっぱいで知事選にまで目は向かない。「消費税も物価も上がるが、賃金は低いまま。一人親世帯への支援は拡充されているけれども、共働き世帯も厳しい。住み慣れた沖縄で普通に暮らしたいだけなのに……」【宮城裕也】


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