そんな私の秘めたる思いを父はきっと気付いている。二人目の夫が父に毒殺されたとしたら、それは卑怯なやり口、武士道はどこに、などと言う輩もいるかもしれない。しかしながら妻の父親の命を狙っていたのだ。むざむざ毒殺されるとはあまりにも警戒心がなさすぎる、と言わざるを得ない。私の父を見くびっていたのかも知れぬが、私から言わせれば愚鈍な男だとしか言いようがない。暗殺はやったもの勝ちだ、出遅れたらこちらが命を落とす、当然のことだ。それを考えられないでいたなら天下人にはなれない。正に勝てば官軍なのだ。それが戦国の世の習わし、武士道など勝った者の後に勝手についてくる。勝って民衆の心をこちらに向けた者が正義である。

 

 1度目、2度目の輿入れはわけもわからぬまま父の命で嫁いだようなもの。まだ恋も知らぬ年端も行かない頃のことである。いや、3度目だって父の言うがままに輿入れすることになった事には違いないが、この頃の私には1人だけ優れているというか憧れていた殿方がいた。母の甥である明智彦太郎様、幼名を桃丸様と言った。私より3歳年上で私にとっては従兄に当たる。この方は才知に長け、文武両道、おまけに見目もそこらの女子よりずっと美しい。男なのに私の数倍美しい出で立ち。まあそこにも憧れの様なものを持っていたのかもしれない。

 どうせ三度(みたび)嫁ぐなら1度くらい彦太郎様のところにやってくれればいいのに、と少しばかり思ったこともある。きっと父は彦太郎様が秀でている事を察しているのだ。だから恐れていたのかもしれない、私が彦太郎様の元に嫁いだらもう父の言うことは聞かなくなるだろう事を。でもそれは彦太郎様に限った事ではない。もし優れたる男性の元に嫁いだら私はその男にこの人生を預けたいと思っていた。

 あ、そうだ確か彦太郎様はもうとっくに元服されて名を光秀と改められたのだ。光り輝くようなあの方にはなんとピッタリの名前だろう、なんて少しは乙女らしいことも思っていた。

 本当に世が世ならという時代だ、今なら女でも立身出世は望めるのに。今世に生まれ変わったら自分の力で運命を切り開きたいものだとつくづく思う。とは言っても、あの3度目の結婚は悪くなかった。殿は私の意見をよく聞いてくれたし、一緒に天下を取ろうと言ってくれた。できる事なら殿とまた天下取りをしたいものだ。あの方は本当に最高のパートナーだった。

 でもこの時の私はまだ、尾張のウツケの元に行く前に何とかしてもう一度、光秀様に御目文字(おめもじ)できる機会はないものか、などと日々思っていた。まさか光秀様が後にあんな事をされるなんてこの時の私は露ほども思い至らなかった。否、あの日の朝もそんな事思いもよらなかった。天正10年(1582年)6月2日、あの変事を一体誰が予測などできたものか、あれは殿にとっても青天の霹靂だった。ただ殿はやり過ぎたのだ…人の心は簡単に折れたり壊れたりするという事に殿はもっと早くに気づくべきだった。人心とは移ろい易くもろいものである。でも不器用で野心家で時には自分の心さえ踏みにじっても前に進もうとしていた殿には前しか見えていなかった。人の心を図ることは知っていても、顧みることは念頭になかった。そこに蓄積されていく闇がどれほど深いかに気づかなかったのは、殿の慢心だったのだろう。

 でも私にとって殿は同志そのものだった。あの方と共に生きた30余年は私の数ある人生の中で最も輝いていた。殿はもう成仏されたのかしら、それとも私のように生まれ変わりながらこの世を彷徨っているのだろうか。願わくばもう1度会ってみたいものだ。

 

〈什参へ続く〉

※こちらのお話しは史実に沿ってはいますが、不明な部分、定かでないところは多分に作者の創作(フィクション)が含まれますので、ご留意の上ご拝読いただけますようお願いします。