トーヘンノツキ

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SHARDYMOON OFFICIAL BLOG

トルコ、カッパドキア地方を東西に流れるトルコで最も長い河、クズルゥルマックの畔からお届けします。
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Göreme/Kapadokya



雛祭りの雛飾り、雛人形


お内裏様とお雛様、、三人官女に五人囃子


竹内宿禰の口伝によれば、須佐之男命と天照大御神は婚姻関係にあり、二人には三人の娘があり、また、須佐之男命には連子に五人の息子がいた、、とか


雛祭りはこの十人家族を模したものであり


須佐之男命は内裏、天照大御神は雛


二人の三人娘が三人官女


須佐之男命の連子が五人囃子


だと聞き、初めて腑に落ちた




いろんな話を聞く中で大凡見えて来たのは、古代イスラエル国、、後に北イスラエル国と南ユダ国に分断され先に北が滅亡し国民はアッシリアに連れて行かれ、後に南も滅び国民はバビロニアに連れて行かれたと言うのが正史だが、私だけではなく世界の関心事は、それら旧イスラエル国の民12支族のうちの10支族がその後どこへ行ってしまったかである。

そのまま中東から欧州や北アフリカに土着した民もあったが、中東の戦火を逃れたグループが幾重にも東へと移動したようだ。

また、安直に古代イスラエル国民=ユダヤ教徒と連想しそうだが、ユダヤ教が興った由来には南ユダが滅びた後国民がバビロニアに捕囚された時に習い得た慣習がユダヤ教に色濃く反映された訳であり、現在も受け継がれるユダヤ教はバビロニア捕囚となる以前の元々のダビデ王からの古代イスラエル人の信仰とは同一ではないとされる。

話を戻すと、、北からも南からも戦火を逃れより安全な東へと逃れた集団は幾つもあり、それはキリストの死後に迫害から逃れたキリスト教ネストリウス派まで凡そ千年に渡ると考えられる。

彼等の多くがシルクロードを東へ進み、最後には身を隠すには大陸よりも安全な海に囲まれた日本に渡った。

無論中東から海洋ルートで辿り着いたグループもあっただろうが特にシルクロードのルートで興味深いのは、道中の寄宿舎となるキャラバンサライや物流、そして貨幣交換の為替などのシステムを構築し握って行った事が今日の金融などユダヤ資本のルーツとも言われる。

ところで、このような話をすると日ユ同祖論で日本人の先祖はユダヤ人か?と括られたりもするが、それは十分にあり得る事ではあるが、話は更に遡り、ダビデ王がイスラエル国を創る以前、、彼らの祖先はずっとその土地にいたのか、それとも他から移り住んだのか、どこにいたのか、、推論の域を超えない故にファンタジーに過ぎないが妄想は膨らむばかりだ。