林大臣やkkで間が空きましたがルーブル美術館初体験の続きです。
サモトラケのニケ。
翼の生えた勝利の女神ニケが、船のへさきに降り立った瞬間・・
ギリシャのサモトラケ島で発見されたので、サモトラケのニケと呼ばれています。
この彫像は他の彫像とは別格に、ルーブルでも考え抜かれたこの場所
Daru staircase (ダリュ階段)の踊り場に、1884年(日本は明治17年)から設置されています。
によると
発見されたのは1863年(日本はまだ江戸時代)だから、その後修復などされて20年後、ルーブルにやって来たんですね。
>動的な姿態と、巧みな「ひだ」の表現で知られており、ギリシャ彫刻の傑作とされる。
大理石製で、高さは244cmである。<
>紀元前190年頃の制作とも推定<
ああ・・・
「二千二百年後の君へ」
サモトラケ(現在はサモトラキ)島は古代ローマの庇護のもと繫栄したけれど、2世紀末に起きた大地震で甚大な被害を受け、復興することなく衰退していったそうです。
ニケ像もその大地震で崩壊→埋もれてしまったのかしら?
ちなみに1959年、ニケの右手が新たに発見され、これもルーブルにありまして
こちらページの下の方でご覧になれます。
ということはこれからも他部分が発見される可能性がありますが、もうさんざん調査済みなのかな。
でもね、私
全部そろったニケよりも、広げた翼、海風になびく衣としぶきに濡れて透けた胴体と脚だけの、奇しくも降臨の瞬間に焦点がしぼられたこの姿のほうが美しい。
顔や髪形や手ぶりが特定できないニケのほうが、きっとずっとうつくしい。
なんて思うんですよね・・・・
あ、このニケ、ご存じの方も多いと思いますが
世界最大のスポーツシューズ&アパレル会社ナイキはこのNike。
てゆうか、ナイキの始まりが日本のオニツカタイガー(現アシックス)の運動靴のアメリカ代理店、その後、危機の時も日本の日商岩井や現アサヒシューズから助けられているとは知らなんだ。
(↑ウィキペディアにはもっと詳しいドロドロ面も書いてあります)
さてさて、世界各地に数えきれないレプリカが建つというこのニケ、日本の三重県には、なんとルーブル公認の
があった!!
ルーブル美術館 ユベール・ランデ館長のメッセージ:
>竹川勇次郎氏が日本国に当ルーブル美術館の姉妹館を建設されるにあたり、当館史上初めて門外不出の展示美術彫刻作品の実物から直接型を取り、当館の技術陣がその総力を結集して完全復刻に当たりました。<
(美術館創設までの歩みより)
しかもこの竹川さん、17回もルーブルへ赴き、交渉し、私財を投じてこの美術館を建設されたのだそうです。
ちなみにウィキペディアでは、ニケが発掘された時、翼の破片は1118点とあるのに、三重のルーブル彫刻美術館HPでは118点となっています。
ルーブルの公式サイトでは全部で約110点とあるので、胴体が1点として、三重の方が正しいようです。
というわけで、ニケの次にボブとリスキチに見せたのは・・
(どーゆーわけかルーブル・ド・シロート・ジャポネーズの私が案内係という)
ハイ、こちらご覧くださいませっ
ミロのヴィーナスの半ケツでございますっ
腰パン・下げパン・ケツパンで見せ下着っても見せ下着っても「汚い。。」と評されてしまうそこのキミたちの憧れ!!
神だけに許されるこのナマ尻パン(つうか)なのだっっ
ちなみにリスキチの学校では腰パン禁止でござる。
という冗談はさておきまして
ヴィーナス像正面側の繊細な仕事に比べ、背面のこの手抜きっぷりはなに・・
前、ひだひだひだひだ
後ろ、つるーーーーん
この差、当時の像が壁のくぼみ(壁龕(へきがん)(ニッチ)に設置されたため、誰も見ない後ろまで完璧に作る必要がなかったからだそうですよってそんなもんなんだネ(汗)。
「ミロのヴィーナス」は、「サモトラケのニケ」と同様、ギリシャのミロス島で発見されたのが名前の由来です。
作られたのは紀元前150年から125年ごろ(公式ページより)で少し新しいですが、
発見されたのは1820年でニケより43年も前のこと。
ルーブルのHPによると、この像には腕が無いため、ミロス島で信奉されていた海の女神アムピトリーテーなのか、美の女神ヴィーナスなのか、手に持った持ち物で判断できなかった。
でも、もともと身に着けていた宝石と、その後、近くで発見された同じ石材の”りんごを持つ手”でヴィーナスに決めたそうです
(りんごは「金のリンゴ」で、天界のミスコンで一等になったヴィーナスがもらったもの)
が、その宝石や手が今どこにあるのかについてはわかりませんでした。
さて、上の画像で、腕の付け根に穴があるので組み立て式だった(から外れやすくもあるよね)ことがうかがえますが、
上半身と下半身も組み立て式だった件
↑
脚の付け根あたりの横一直線が見える。
↓
なにはともあれミロのビーナス超人気。
ウィキペディアによると
>詩人・作家である清岡卓行は<
>ヴィーナスの両腕の不在のゆえに、そこには想像力による全体への飛翔(原文では「特殊から普遍へ」の飛翔とある)が可能なのだと述べている。<
私もそうです
ニケ推しですけど。
ミロのヴィーナスはこのギリシャ彫刻部屋の一番奥にいて
部屋の遥か反対側でヴィーナスに向き合っているのが、このイケメン・・・
じゃなくて知恵と芸術と戦いの女神アテナ。(レプリカ)
だってうわイケメンって思ったんだモン!!
この完全体も良いですな・・・(日和ったア!!)
とこのような、不在がよいか完全がよいかな話題ついでに、
古代ギリシャやローマの彫像はもともと着色されていた、ということ、皆様ご存じのことと思います。
こんなふう
イヤ=!!
これが事実、そして真実・・・
でもイヤあああああ
特に眉毛とか目ん玉とかまつ毛とか唇とか顔を塗り込むのだけはやめてーッ!!!!
これってさ、絵を描く時にさ、ちょーーーイイ感じの下絵というか線画ができたのに、絵の具を塗ったら何もかも台無しになっちまったあの苦い苦い夏休みの宿題の思い出、、
図工や美術の無残体験フラッシュバックぢゃんyo
当時のギリシャ・ローマでもしも彫刻と着色が分業だったとしたら、彫刻家の中にはきっと
「色、着けんで・・・・!!」
と心の中で叫んだ。こんなこと、誰にも言えん・・でも
色いらアアアアアアアん!!
と絶叫した人がいたにちがいない。
うん、違いないッ!!
不在の美意識って、無かったのかな・・・
この衝撃と葛藤の末、あの大英博物館がやらかしちゃったのが
>21世紀からの研究によって、エルギン・マーブルを含む古代ギリシャの彫刻はもともと白い大理石の彫刻だったのではなく、かつては古代エジプトなどの先行する古代文明の影響を受けて極彩色に着色されていたことが判明した。
しかし、1930年に大英図書館職員らによって無断で行われた「清掃(cleaning)」作業において表面を強く研磨したため、エルギン・マーブルの大半から当時の色を知る痕跡が失われてしまったことが1999年にBBCによって報道された。<
で今、大英博物館はこんなふう
イヤー!!
(しつこくうるさい)
ここルーブルにも、白亜のギリシャローマ美を信じ切っていたフランス彫刻コーナーThe Cour Marly and Cour Pugetがありました。
>彫像のほとんどはヴェルサイユ宮殿の庭園やチュイルリー宮殿などの屋外スペース用に作られた。<
んですって。
青銅製。
(なんか気になる右青シャツ男性のヲタげなポーズ)
るうぶる、つづきゅん
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