私達は何のために生きているのか? | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

昨日のイタリアの寺子屋のような学校

ミラーニ先生の直弟子Mさんののお話の続きです♪

 

 

公立の小学校を追い出されてしまった

Mさんはミラーニ先生に弟子入りし

1時間かけて、あの急な山道を徒歩で毎日登って

朝8時ぴったりに始まる寺子屋の授業に通いました。




緑の中でMさんの話を聞く学生達



 

ミラーニ先生は公立の学校のシステムとは違う

独自のメソッドで子供達の興味をひきながら

あらゆる教科を勉強し、午後は新聞記事をみんなで読みました。

 

解らない言葉があれば辞書で調べて

語彙力を高めていきました。



先生は、時間の正確さにも敏感な上

サッカー観戦、映画をながら見することも禁止しました。


自分の行動は、周りの人間の興味に流されることなく

能動的に自分の意志で動き

時間を無駄にすることのないよう指示されました。


その間、気分転換に映画を見ることは許されました。

それはまるで、スマホ中毒の私達への警告のように聞こえました。


ながら見して時間を無駄にするな

優先事項をこなしてから

気分転換に数分スマホを触ることは許す

と言われているかのよう。






Mさんが学んだ教室。当時のままの姿で残されている。

 

 

ミラーニ先生はジャーナリストとも深い交流があり

この寺子屋システムの学校教育の成果を

学会の冊子などに逐一報告していたので

こんな山奥の小さな学校は沢山の取材も受けました。

そして、沢山の支援を受けるようになりました。

 

 

そしてこの直弟子達が16歳になる頃には

イタリア語、スペイン語、フランス語、英語を操れるようになっていて

宣教師のようにヨーロッパ各国に送られては

そこでの活動を、毎日その国の言葉でイタリアに報告するという

さらに語学力がアップするような活動を続けました。




音楽の授業に使われた楽譜

 

 

Mさんをはじめとする直弟子達は

ミラーニ先生が44歳で亡くなった時は途方に暮れ

最終的にこの山の中の小さな学校は閉校になりました。

 

 

それぞれが様々な職業に転職して

Mさんは当時のイタリア国鉄の試験を受けたところ

既に4ヶ国語を操る彼は4000人の応募者の一位で採用が決まりました。

 

 

12歳の時に公立の学校を追い出された彼が

ミラーニ先生のところで変われたこと。

 

それは何にも変え難い感謝と共に

ずっと、今も彼の毎日を支えてくれています。

 

 

Mさんが、私達は何のために生きていくのか?

そのシンプルな問いに答える時、

いつもあの絶望の状況から救ってくれた

ミラーニ先生の教えを思い出すのだそうです。

 

 

それはミラーニ先生が自分を救ってくれたように

 

「困っている人を助けるために生きていく」

 

その一言に尽きるそうです。




アフリカの子供達とミラーニ先生

 

 

 

母国語を勉強しなさい

コミュニケーションが豊かに出来るように

お互いの理解が深まるように

 

外国語を勉強しなさい

世界各国の人々との理解が深められるように

自分の見聞が深まるように

 

目の前の困っている人に、手を差し伸べなさい

自分が出来ることを出し惜しみすることなく

困っている人が前進できるように助けなさい。

 

 

 

Mさんがイタリアの高校生に向けて

自分の半生を語り

そこから学んだ事をメッセージとして伝えている。

 

 

それが彼の使命であり

ミラーニ先生から受けた恩恵を循環させている。




最後に突然、白馬登場おねがい

 

 

人間、究極何をして生きていくべきなのか?

それは、目の前の自分を必要としている人からの

頼まれごとをして、助けて、

自分も人に頼み事をして、助けてもらって

 

それの繰り返しなんだなぁと思います。

 

 

このエネルギー循環をただ繰り返して

人間は一生を終えるのです。

 

 

色々削ぎ落としていくと

ここに行き着くのですが

 

そこに自分の個性を乗せて

人生をより面白いものにしていきたいし

 

この若い自由なイタリアの高校生達が

どんな人生を繰り広げてくれるのか?

想像するだけでワクワクしますねお願いふんわりリボン



私はこの遠足を心から楽しみ

なかなか聞けない貴重なお話も聞くことができて

本当に素敵な体験をさせて頂きました。



この後、ミラーニ先生のお墓をみんなでお参りして

帰りにみんなでジェラートを食べてから

高速道路でフィレンツェへ舞い戻りました照れ