モロッコがもたらす奇跡の数々。 | イタリアでモロッコごはん

イタリアでモロッコごはん

イタリア在住 リツコがモロッコ人と結婚を決めた途端、介護同居生活が始まり今に至るドタバタと、美味しいモロッコ&地中海料理について語ります♪

昨日久しぶりに私が目の当たりにしたミラクルについて

私のヨガの先生かなプリに話した。

 

 

日本にいた頃、私は神様を信じていただろうか??

何だか守られている感じはしていたけれど

断然イタリアに来て夫と出逢ってからの方が

神の存在をひしひしと感じさせられている。

 

 

かなプリに、

「りっちゃんはいつ大学に入ったの??」

と聞かれたので

 

娘が妊娠6ヶ月の時だよ、と答えて

 

「えポーンその後、どうやって勉強続けたの??」

と驚かれて

 

数々のミラクルが続いて

何とか卒業できたのよ、と答えた。

 

 

 

自分だって信じられなかった。

今振り返っても何をどうやったら

あの状態で勉強を続けらたのか??と思う。

 

まさに神がかった3年間だった。






 

 

結婚前から義姉との同居を受け入れたのは

私が夫と出会う前にモロッコの現状を見ていたから

出来たことだった。

 

もしモロッコ人の友人宅にお世話になって

子供から老人まで大家族で一緒に住んでいる

平和な日常を一緒に体験しなかったら

私は同居なんて速攻拒否して逃げていたと思う。

 

ただ、私はそのモロッコのあり方が

心から素晴らしいと感銘を受けたのだ。

 

こうして色々ありながらも

共存していることで、幼稚園も老人ホームも要らないんだ!と。

 

 

 

ただ、その思いは

人間出来ていない義姉との同居では

完全に忘れ去ってしまっていた。



義姉は脳梗塞の後遺症で

半身不随のまま鬱になり

毎日窓も開けずに聞き耳を立てては

私の行動を逐一罵声を浴びせながら罵り続けた。

 

 

なんて酷い現実を受け入れてしまったんだ!と

最初の3年間、私は泣き続けた。

 

 

その間通った料理学校では

思うように上達しなかったイタリア語の

ブラッシュアップのための大学進学の手続きを

私はダメ元で進めている間に一度流産した悲しい

 

 

いつ届くかもわからない入学許可の通知を待ちながら

私はまた妊娠した。

きっと1年くらい待たされていたのだろう。

私が妊娠6ヶ月の時に突然

 

「明日から大学に通っていいですよ」通知が届いたのだウインク

 

 

えー、私の願書、きちんと届いていたんだ!

って感じで当時住んでいた家から徒歩5分の

大学病院の一室に通い始めた。

 

 

かなプリが

「で、出産の時は休学したわけ??」

と聞くので

 

 

いや、ちょうど出産の時は7月1週目までテストがあって

13日に娘が生まれたので夏休みに突入していたんだデレデレ

と答えた。

 

 

私的には、その誕生する時期もミラクルだった。

何故なら私は一度流産しているのだ。

きっとその時入ってきた魂は

 

「あ!ちょっと時期間違ったかもーガーン

と、妊娠10週目で流れてしまったのだと思うのだ。

 

そして、きっと同じ魂が

「今だ!」って感じで入り込んできてくれたのだと思う。

 

 

神様との完璧なるコラボを経て

夏休みに入った途端に生まれてきてくれた娘。

 

 

生まれてくる時も

まるで彼女が自ら外に出てきたかのように

3時間のお産で安産だった。

 

 

そして新生児黄疸が消えないので

通常ならお産の2日後にヘトヘトなまま退院させられてしまうのに

娘は紫外線治療を続けるため

なんと私は6日も入院し、

7日目にゆっくり病院で休んだ後、退院したのだ。

 

 

何から何まで完璧な計らいに

私は驚きながら

これは神様にしか出来ないワザだなお願い

お導きにひたすら感謝する日々だったスター

 

 

そして家に帰ったら

更なるミラクルを目の当たりにすることになる昇天

 

 

つづく

 

 

ダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジ

 

昨日書いた「話し方風水」ですが

はるこ先生と直接お話する前に

ワタクシ、リツコからお話を聞いてみたい方パー

いらっしゃいましたら、是非ご一報下さいね。

 

一歩踏み出すのが怖い方に

はるこ先生からのお計らいで

私が伴走しながら講座を進めることも可能です。

 

話し方だけでなく、ご自分を深く内省したいお方に最適です。

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