趣味活動にのめりこみ過ぎて体調を崩したことってありますか?
私は、過去に何度か天体観測をやりすぎて病気になったことがあります。
今回の記事は、40年前のまだ若かりし頃、流星観測に夢中になったあまりに体調不良、さらには脱毛症になった思い出です。
幸いなことに脱毛症は一時的なもので、現在の私はまだちゃんと頭髪を残していますが、当時は本当にハゲになるのではないかと恐れおののいたものでした。
その頃の私は若干19歳、まだハゲるには若すぎる年齢です。
さて、いったいどんな経緯でそんな恐ろしいことなったのでしょう。
以下、東大和天文同好会会誌「ほしぞら」68号(1981年7月号)に書いたエッセイから転載します。

            ☆ ☆ ☆

 いや、まあ、抜けるわ抜けるは…。一昨日は150本、昨日は145本、そして今日は155本。
 去年の秋のことである。樹木が落葉するかのごとく、頭髪が抜け始めたのである。
 朝、目が覚めると枕に十数本の髪が付着しており、髪を梳かせばまた十数本が抜けた。洗髪すれば100本近くが一気に抜ける。

 去年の秋、と書いたが、異変に気づいたのは夏の終わりだったと思う。
 その夏は稀に見る悪天候で、みずがめ、やぎ、ペルセウスと続く一連の流星群活動の観測が思うに任せなかった。とはいえ、一晩中曇りならば、まだ枕を高くして眠ることができるのであるが、何とも困ったことに一晩のうちに1時間ぐらいは必ず晴れる。
 何とかして観測しようと、私は徹夜を重ねた。それも室内にいて時おり空を見上げたりしているのではどうしても眠気に負けてしまうので、たとえ曇っていても観測体勢を整えて外に出ていた。

 そのようにしていつ晴れるとも知れぬ夜空を見上げていたのだが、これが何日も続くと猛烈に眠たい。我が家にはエアコンなどという近代文明は装備されていないので、昼間は暑くてとても眠れたものではない。

 恐らく極度の寝不足のせいだろう、滅多に病気などしたことのない私が体を壊し、8月中旬頃から、熱が出る、喉は腫れる、頭は痛いという状況となってしまった。
 しかし、私は体調が悪いほどなぜかファイトが出るという不可思議な性癖を有している。体調不良を押して御岳山での2泊3日の観測旅行に参加、さすがにフラフラになってようやくのことで自宅へ帰り着いたのであった。

 その後も体調不良は続いたが、8月も末になり、ようやく回復してきた。
 やれやれと思ったのも束の間、今度は頭髪が猛烈に抜け始めたのである。抜ける本数たるや、冒頭に書いたとおり一日に100本から200本という異常な多さであった。
 私は考えた。
(一日平均150本として2日で300本、10日で1500本、ひと月で4500本…。このまま抜け続けたらオレは5年もしないうちに丸坊主になってしまう…)

 見事な禿頭になった自分の顔を想像して慄然とした私は、できるだけ抜け毛の本数を少なくしようと、涙ぐましい努力を開始した。
 まず、髪を梳かさないことにした。これだけで十数本の毛を失わないで済むはずである。
 次に、これまで髪を引っ掻き回すようにしていた洗髪方法を改めた。爪を立てず、頭皮をマッサージするように優しく丁寧に洗うのである。

 こうした必死の努力も、結果としては効果がなかった。髪を梳かさなくても、どんなに丁寧な洗髪を行っても、結局は一日に100本以上の毛が抜けるのである。
 いちばん抜け毛がひどかったのは9月の初旬であった。信じられないかもしれないが、強い風に吹かれただけで十数本の毛が風の中に飛んでゆくのである。
 さながら木枯らしに吹かれる落葉樹になった気がして、我ながら哀れであった。

 私は激しい後悔を感じていた。かような状況を招来した原因は、夏のハードすぎる観測である。曇っていれば、そのまま寝てしまえば良かったのだ。流星観測と頭髪とどちらが大切であるか。答えは言うまでもない。

 10月になっても抜け毛の量は変わらなかった。心なしか髪が薄くなったような気がする。
 私は観念した。
(丸坊主になったら出家してやれ。俗界を離れて心静かに暮らすのも悪くなかろう)
 諦めは心の養生とはよく言ったものである。そう考えると、抜け毛など気にならなくなってきた。
 それが良かったのかもしれない。11月に入ると、ピタリと抜け毛が止まった。体調も回復した。

 一時は出家の覚悟を決めた私であるが、やはり髪はあるにこしたことはない。
 以前、私は「ほしぞら」に『天文家は忍耐が大切だ』なる一文を草したことがあるが、忍耐もほどほどにしないと、仏門に入らねばならぬ状況を招来する可能性がある。
 身を清めて仏に仕えたい人以外は、体を壊さないよう適度に観測にハゲんでほしいと、今、心から思うのである。