東京回想、東京都内の消えた学校。
新制の都立高校の次の学校である。
機械的に区の順番で進めていく。
北区の消えた高校の続きである。
次は都立王子工業高等学校である。
統合された定時制高校の場合、統合された新しい学校のある区のところに書いていく。

【学校名】
都立王子工業高等学校。

【統合時の所在地】
北区滝野川3-54-7(現・都立王子総合高等学校)。

【消滅年】
2009年。

【消滅事由】
都立王子総合高等学校に改編されるため。

【統合後の後継校】
東京都立王子総合高等学校。

【前身学校等】
以下の歴史をたどっている(wiki等より)。

1941年 東京市立王子工業学校として荒川国民学校内(北区中十条)に創立。
1943年 都政施行のため東京都立王子工業学校と改称。
1946年 北区滝野川1233番地(元東京第1陸軍造兵廠滝野川工場内技能者養成所跡)に移転。
1948年 学制改革のため、東京都立王子工業新制高等学校と改称、十条分校(定時制)設置。
1950年 東京都立王子工業高等学校と改称。
1958年 十条分校廃止。
2009年 都立王子総合高等学校に改編されるため閉校。

【跡地利用】
都立王子総合高等学校。

【コメント】
東京回想・消えた学校。
北区の続きである。
次は、都立王子工業高等学校である。

Wikiにあった「東京都高等学校の廃校一覧」を参照して進める。

この学校は、Wikiに記述があった。
後継校の正式サイトには、一言程度しか書かれていない。
だだ、Wikiの記述には、沿革がない。
同校の同窓会のサイトがあり、その沿革を参考にした(参照させていただきました。ありがとうございます)。
また、名古屋大学大学院教育発達科学研究科技術・職業教育学研究室が発行した「技術教育学の探究」21号の「東京都に設置されていた工業学校の概要とその資料」(山田宏)も参照させて頂いた(ありがとうございます)。

戦前の1941年に東京市立王子工業学校として荒川国民学校内(北区中十条)に創立されている。
そして、1943年の都政施行で東京都立王子工業学校と改称。
戦後の1946年に、現・北区の滝野川1233番地にあった元東京第1陸軍造兵廠滝野川工場内技能者養成所跡に移転している。
1948年に学制改革のため、東京都立王子工業新制高等学校と改称、十条分校(定時制)設置(1958年に廃止)。
1950年に、東京都立王子工業高等学校と改称されている。

この後、約半世紀以上、滝野川の地で商業を学ぶ生徒たちを輩出していったのである。

この学校も、2000年代の都立高校「改革」の影響を受けることとなった。
2009年に、総合学科の都立王子総合高校に改編されている。

元の場所の位置を確認する。
国道17号線と明治通りが交差する西巣鴨交差点から北東に400mほどのところ。
明治通り沿いの北側60mあたりである。
都営地下鉄三田線の西巣鴨駅の北東側約400mのところ。
都電荒川線の西ヶ原四丁目・滝野川一丁目の停留所からそれぞれだいたい400m弱のところである。

これから先も、この地で有為な人材を輩出し続けて行ってほしいのである。