誤字や脱字や論理的矛盾を無くす仕事

 物書きに対する校閲って誤字や脱字や論理的矛盾を無くす仕事だ。

 しかし俺は誤字と脱字と論理的矛盾が文中に無くとも、そもそも言葉というのは噓みたいなもんだとは思っている。そのくせこうしてブログを書くのも自己矛盾ではあるのだが。ただ「朝ご飯はサツマイモの入ったパンだっつ」でも賢い読み手ならパンだったに補正してくれる。そういう期待があって、推敲や校閲を自分でかけずに雑に毎日アップしているのは、ただただ進学校で周りが賢く脇を固めてもらった中高に染み付いたものだ。バカな人ほど誤字をひとつ見つけただけでも物書きの先生から鬼の首を取ったような気持ちになり、そういう人を脅すために完璧な文章があるのだろう。

 実はそれは誤字だけではなく、嘘やお世辞や逆言葉に出鱈目、東京のように皆が黙ったハイソな町ではなく、下町というのは商売の売り文句でうるさいもので、そういう俗世的な浅知恵だけでは解けない問題が大学受験なのだというのが最近の俺の理解だ。

 そのへんは、実は大学の色で分けられていて、俺は日本一の東大以外は全部受験の負けであると考えてしまうような勝ち気でバカな生徒だったが、商売なら商業大学だってあるわけだし、方言や地域性の壁をどれくらい超えられるか、というと学科以外に面接を入れる私学だってあるわけで、阪大ではダメかと言うのは高校時代の学科の序列ではなく、いちど社会に出て、ネットが普及して、そうしてそのネットで東大と受験勉強以外の競技で戦ってみて、それで自分の負けが良く分かって飲めるようになったのだ。

 付き合ってみると、勉強が出来ても、自分にはそれしかないという思いで恐る恐る生きていて、だから論理が破綻しないように完璧に言葉を出すことに気を使っている。この感覚は水商売の女とひと晩ではなく何度も通って話して得た感覚と似ている部分がある。全部嘘でも綺麗な顔だと思って酒を飲んでいたのだから、素性を隠して行方をくらます必要など無いのにな、と別れのあとに思ったものだ。

 では東大はどうかと言うと、そのまま大学で学究生活に打ち込めるもの以外に、工場などでモノを作ったり、肉体労働に従事している人もいる。

 少し横道にそれる。俺の持論で、つまらないゲームのネタで申し訳ないが、中国の商人が武器を売っていて「この矛はどんな盾も貫く、この盾はどんな矛も受ける」と客に話していると「ではその矛とその盾をぶつけたらどうなるのか」とひとりが問うと、商人は黙ってしまった。このへんが矛盾の語源で、論理学のパラドックスに当てられた日本語が「論理的矛盾」である。ゲームの話ここからな。大人気名作RPGドラゴンクエストの話で、竹の槍から銅の剣、鋼の剣と装備を変えた勇者はついにロトの剣と水鏡の盾を装備した。ここで試すべくはロトの剣と水鏡の盾を突き合わせるとどちらが勝つかではなく、竜王を倒すことではないか?と問いかけると、何かの話に論理的矛盾が含まれていても、誤字脱字ひとつで売り物の本として脅しの価値は無くとも、本当の部分があるというか、良いところを突いているということもあるのではないかと俺は考える。

 まあ、今時の商売で露天商に嘘をついていると外野から指摘を入れると黙って反省する商人などおらず、しっぽを巻いて店をたたんでよそで商売をするか、こわもてのお兄さんが出てきてつまみ出されるなどするだろう。

 つまり、言葉でやっつけることはできても、本当にやっつけようと思ったら、速い足か強い力が必要なんだと俺は思っている。読者から見て手出しの出来ない作家だからつける隙のない嘘というものがあるのではないかと、今では振り返るんだ。

 まあ、色々の人がいるから賢い大学が嘘つき気質というレッテルを貼るのもどうかとは思うが、真面目に勉強してくるのに使った教科書に嘘が書いてあった、みたいな話から信用できるのは理科系だけでそうなると工場で製品を作ってもらって消費者は納得した値段で買うだけ、みたいに生活圏が分断されてしまう気はする。

 商人みたいにしっぽを巻いて逃げて違う所で商売するのではなく、口を突く前に良く用心して、本当というのがどこにあるのか真面目に事に当たる人もいるんだよな。そっち系の言葉は本みたいに分かりやすいわけではなく、難読なんだよね。


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