昔話2~三木浦 | 道具一流、腕二流、釣果三流・・・さまよう投げ釣り人

昔話2~三木浦

昭和40年代後半から50年代にかけて(1970年代前半~)、関西在住の投げ釣り少年、青年にとって「紀東」は憧れのポイントでした。

今と違って、紀伊半島南部まで通じるような高速道路なんてないし(もちろん自動車に乗れない年齢でしたが)、夜行列車に乗って行くしかない本当に遠い遠い場所でした。時々磯釣りを嗜んだ父の運転で高校時代に紀東へ行った際も、大台ケ原越えか十津川超え。道路事情も今と違ってなかなかの難所だったと記憶してます。169号線とか、42号線から紀東の各方面へ通じる山道なんて…。

国鉄(まだJRではない)や近鉄で三重の松坂駅まで出て、そこから紀勢線、鈍行の夜行列車に乗ります。

UCCの缶コーヒーって当時からあったんですね、デザインも同じや!写真を見ると1976年のようです。

さて、三木浦。確か、紀東(尾鷲~熊野間のリアス海岸一帯のイメージです)の中でも、大泊や新鹿、三木里、二木島、賀田なんかは知られてましたが、駅からも遠いここが一番秘境的イメージがあったように思います。

今でもはっきり覚えていますが、故小西和人氏が三木浦の投げ釣りポイントを開拓したという記事を書いていられ、それに刺激されていつか行きたいと思っていた場所です。


これは一番湾奥ですね。船着き用の浮き桟橋というかイカダですね。





上、お仲間の〇おそね君。今も全サ和歌山協会で頑張ってるようです。竿は当時の剛腕投げ竿NFTスピンパワーHi-Ⅲですね。
 


こちらは〇くたに君。今はどうしてるのかな?こちらもHキューバにスーパー93の王道ですね。

 

高1か高2かな、自分です。それにしてもよう釣れてますね、小物ばかりですがガッチョ(メゴチ)がたくさん釣れますた~。


写真右に写ってるフロート天秤が懐かしい。

今では紀東一帯の海岸線の多くもコンクリートや護岸で固められて変化したことでしょう。懐かしい限りです。

 

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