「真景累ヶ淵」(その2) | カクザンのブログ(岡山市の親子将棋教室)

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子どもたち、保護者の方に、将棋の楽しさ・魅力をお伝えします。次回教室は津山おもちゃ図書館将棋教室が4/20(土)、高島教室が4/21(日)の予定です。

カクザン:「真景累ヶ淵」ですが、今回もいきなり登場人物が殺されてしまいました。お金をめぐるトラブルという点では「牡丹灯篭」と共通していますね。

テガタ:そうかもしれん。落語には大きく滑稽ばなしと人情ばなしという2つの種類があるのじゃが、三遊亭円朝作品には人情ばなしの名作が多い。「牡丹灯篭」や「真景累ヶ淵」は怪談ではあるが人情ばなしに分類される。要は、人間の性(さが)を描く作品になっておるわけじゃ。当然、お金に絡む人間模様というのは、大きなテーマになってくる。

カ:それでは続きをお楽しみください。

 

2.深見新五郎

深見新左衛門が皆川宗悦を殺したことは誰にも分からなかったが、新左衛門の奥方は「ああ宗悦は憫然(かわいそう)な事をした」と思い悩む。翌年には神経の病にかかってしまい、乳も出なくなってしまった。乳母を置く余裕もないため、門番の勘蔵に二歳になる次男の新吉を抱いて前町まで乳をもらいにいかせるというありさまであった。

 

市ヶ谷にて一刀流の剣術指南をしており、のちに仙台侯のお抱えになる黒坂一斎の内弟子となっていた長男の深見新五郎。御年19歳。これを呼び寄せて、病人の看病にあたらせたが、どうにも手が足りない。殿様の新左衛門は相変わらず酒浸りで、仲働きの女を置くことに。深川網打場の者で名はお熊。御年29歳で、「美女(よいおんな)ではないが、色の白いぽっちゃりした少し丸形のまことに気の利いた、苦労人の果と見え、万事届きます」。お熊は妾となり、屋敷での態度も大きくなる。とうとう新五郎は家出をしてしまうことに。そしてお熊は殿様の子を懐妊する。

 

奥方の病状はますます悪くなり、体に差し込むような痛みを訴えるように。その年の12月、殿様は勘蔵に鍼医を呼ぶように命じると、ちょうど外に按摩の笛の音が・・・。一時しのぎの鍼ではあったが、痛みはおさまり、5日間連続で按摩の鍼治療は続いた。ところが、5日目に打った鍼がひどく痛む。以来、按摩は姿を現さなくなった。

 

鍼を打った箇所からはジクジクと水が出るようになり、新左衛門も立腹。12月20日の夜になって、おもてに別の按摩の笛の音が・・・。この按摩をつれてきて治療にあたらせるが、ひどい痛み。

 

按摩[痛いといってもたかが知れておりますが、貴方のお脇差しでこの左の肩から乳の処までこう斬り下げられました時の苦しみはこんな事では有りませんからナ」

新左衛門「エ、ナニ」

と振り返ってみると、按摩は皆川宗悦であった。新左衛門はゾッと総毛だち、そばにあった一刀をとって宗悦に斬りつけると、それは宗悦ではなく奥方であった・・・。

 

奥方は表向き病死ということになった。翌年の冬、本所北割下水(ほんじょきたわりげすい)に座光寺源三郎という旗本があり、これが女太夫のおこよという者を見初め、浅草竜泉寺前の梶井主善という易者を頼み、その家を里方にして奥方に入れたことが露見。ご不審がかかり、家来ともども召し捕り吟味中、深見新左衛門は諏訪部三十郎という旗本と共に、両家で隔番にて宅番を仰せつかることとなった。諏訪部三十郎が宅番の11月20日の晩、新左衛門は自らの屋敷で酒を飲んでいると、庭の植え込みのところに痩せた不気味な坊主が現れた。「狸の所為(しわざ)か」と斬りつけると、一段の陰火が生け垣を越えて隣の諏訪部三十郎の屋敷へ落ちた。すると、その翌日から諏訪部三十郎は病気となった。以来、新左衛門は一人で座光寺源三郎宅の宅番を勤めることとなったが、ある晩、梶井主善がおこよ、源三郎を連れて行こうと同類を集めて、抜身のヤリで押し寄せてきた。役柄上、捨て置かれない新左衛門は一刀を取って斬り掛けるも、多勢に無勢で殺されてしまった。

 

深見家と座光寺家は改易、諏訪家は百日の間、閉門を仰せつけられるという騒ぎに。お熊は産み落とした女児を連れて深川の網打場へ引き込み、門番の勘蔵は新吉を抱いて大門町の知り合いのところへ貰い乳をして育てていくという情けない成り行きに・・・。

 

そこへ深見家の総領である新五郎が戻ってきた。新五郎は家出をした後、下総の三右衛門のところへ厄介になっていたが、淋しい田舎暮らしは性に合わず、詫び言をして屋敷に戻ろうとしたところであったが、両親は非業の死を遂げ、深見家は改易。「今更世間の人に顔を見られるのも恥ずかしい、もうとても武家奉公も出来ぬからいっそ切腹致そう」。青松院の墓所で腹を切ろうとしているところへやってきたのが谷中七面前の下総屋惣兵衛という質屋の主。新五郎を優しく説得し、面倒をみることに。

 

新五郎は人柄もよし、御年21歳で読み書き算盤も上手く、愛想も良い。新五郎は奉公人として惣兵衛の厄介になることに。この家には中働きの女中として皆川宗悦の次女・お園も厄介になっていた。新五郎とお園はお互い仇どうしでありながら、お互いそのことは知るよしもなし。柔和な好い女であるお園に新五郎は「ああいう女を女房に持ちたい」と惚れてしまう。お園の方はというと、若いのに堅いところがあり、新五郎の熱烈なアプローチにも柳に風と受け流してしまう。これには惣兵衛も妻のきわもすっかり安心して、お園が感冒(かぜ)で寝込んだ時に、新五郎が女中部屋でお園の看病をすることを認める始末。

 

ある冬の夕飯時。香の物がないといって、たすきをかけてお園が物置へ香の物を出しにいったところを新五郎が待ちかまえており、お園を誘う。お園は看病をしてもらった恩があるため、無碍にもできず、新五郎に引き寄せられる。

お園「アレ新どんお止しよ」

新五郎「此方(こっち)へお出で」

お園「アレ新どん、お前気違じみた、お前も私もしくじったらどうなさる」

もがくお園を新五郎は無理無体に口を押さえ、夢中になって押さえると、お園がウーンと身を慄わして苦しみ、パッと息が止まったから驚いた。お園の背中には押切という刃物がつきささって血だらけになっていた・・・。動転した新五郎は持参した大小を取り出し、店にあった百金を盗み取って逐電。奥州の仙台侯のお抱えになっていた剣客・黒坂一斎のところで剣術の修行に入り、身を潜めることに。

 

頼みの黒坂一斎が亡くなると、新五郎は故郷が恋しくなり、もう2、3年も経過しているから大丈夫なのではないかなどと考えているうちに、胸に浮かんだのが勇治という元・屋敷の下男。たしか本所松倉町に住んでいるはずなのでこの者を尋ねることに。細い横丁へ曲がりに入ると、あとからパラパラパラと5、6人の者が駆けてくる。これは手が廻ったか、しくじったと思い振り返ると捕り物の様子。あわてて荒物屋に飛び込むとその店の女は驚いた。事情を話すと、ここは松倉町で、女は勇治の娘で春といい、幼少の頃の新五郎を覚えているという。勇治は前年に亡くなったのだという。新五郎を親切に手当をし、大小は風呂敷に包み箪笥へ入れて錠をかけ、着替えを用意。酒の仕度をし、鰻を注文してくるので留守番を頼まれるが、実はこの女、新五郎が来たらこれこれと亭主に言いつけられていた。亭主は石河伴作という旦那衆の手先で、森田の金太郎という捕り物上手。かねてから網を張って待っていたところだった。刃物はちゃんと箪笥の中へ始末してあることを聞き、それではと半纏を引っかけて鰻屋の姿で金太郎が新五郎のところへ。

 

すっかり油断していた新五郎。いきなりの「御用だ!」に事態を察知。一目散に逃げるが、板塀から飛び降りたところで、下に押切という刃物が置いてあり、土踏まずのところを深く切り込んでしまった。これには新五郎も観念。この日は11月20日で、お園の三回忌の祥月命日であったのも何かの因縁か・・・。 

 

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