渉の足跡

SL230からSEROW250Sへ変化しても、ひき続き「バイク旅」を主な話題に ぐだぐだと書き綴るブログです。

「どうする家康」聖地巡礼(③家康生誕の地)

2023-02-06 15:58:23 | 車で旅行・お出かけ
  

 
< ...「どうする家康」聖地巡礼(②吉良温泉)からの続き >  
 


2023年2月2日(木)
吉良温泉から1時間ほどでやって来たのが岡崎城。
途中、最初に見つけたセブンイレブンに飛び込み 貪るようにコーヒーを飲んだのは言うまでもありませぬ。

 



天文11(1542)年12月26日、徳川家康公は、岡崎城内で誕生しました。
家康公は、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごしましたが、永禄3(1560)年の桶狭間の合戦で、
今川義元が戦死したことを契機に自立。以来、岡崎城を拠点に、天下統一という偉業への基礎を固めました。 

「どうする家康」第2回では、生まれた日を ちょっとごまかして "寅年の寅の日 寅の刻生まれにしてしまえ" みたいな場面がありましたが、
本当のところは   か  か どっちなんでしょう?  ガォ~。 

岡崎城と 三河武士の館家康館は リニューアルのため休館していて、今年の1月21日に両施設同時にオープンしたばかり。
さらに 三河武士の館家康館は 大河ドラマの放送に合わせて展示内容を一新、名称も「大河ドラマ館」に変更されたとのことです。
ということで、まずは岡崎城天守閣へ。 

 

 



これがなかなか面白~い。 大河ドラマの聖地巡礼など すっかり忘れて楽しんでしまいました。

 



そして、大河ドラマ館へ向かっている途中で なんと “グレート家康公「葵」武将隊” のひとり、榊原康政 を発見。
急いで駆け寄り記念写真。 大河ドラマ館を出た後でも記念写真を撮ってもらいました。 それに名刺も。

 

 



グレート家康公「葵」武将隊は 6人にいらっしゃるとのこと。 でも、この日お会いできたのは
徳川家康、井伊直政、榊原康政、それに 稲姫の4人でした。





本物の家康さん、はしゃぎ過ぎてごめんなさいね。





そして、その大河ドラマ館も充実した展示内容で楽しめました。 各地にある大河ドラマ館の中で一番なのではないでしょうか?
いや、その、他の大河ドラマ館には入ったことがありませんけど。

 




その後は、大樹寺へ移動。
桶狭間合戦のあと家康は、松平氏の菩提寺でもあった この大樹寺へ逃げ込み。なぜか先祖のお墓の前で自害しようとするのだが、
住職に「厭離穢土欣求浄土」と励まされた逸話が残る場所。 家康の人生を変えた重要スポットです。

ちなみに、大河ドラマでは 榊原康政から「厭離穢土欣求浄土」とは あの世に行けという意味では御座いませぬ。
汚れたこの世を浄土することをめざせ。かのような意味と登誉上人に教えられました。まっ、様々な解釈があるでしょうが、
武士ならば、ましてや領主たる身であらせられるならば、かのように解釈なさるのがよろしいかと...
 との場面も。

 



期待していたビスタラインは微妙~。 岡崎城からは望遠鏡で大樹寺の瓦屋根が確認できる程度でしたので、こんなものでしょうか?



お昼は、味噌煮込みうどんを目指して「八丁味噌の郷」へ。
まずはカクキューの工場見学。 所要時間30分ほどでしたが、これがなかなか面白い! お土産まで頂いて、ありがとう御座いました。

 

 


そして、味噌煮込みうどんのお味は... 残念ながら グルメじゃない私の口には まったく合いませんでした。 
岡崎城観光案内所のお姉さんが勧めてくれた中岡崎駅前の うどん屋さんすればよかった。 こんなところがグルメになれない原因かも。 

 



こうして、1泊2日の 大河ドラマ「どうする家康」聖地巡礼が終了。 お土産の八丁味噌(味噌カツのたれなど)を購入し、
帰路についたのでした。 家康さんが幼少期と晩年を過ごした駿府(城公園)は次の機会にでも。



では、では、



    

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