登場人物について感想です。

母、秋吉久美子:ほとんどの場面、良かったけど、意味のないところでの笑いと、
笑い方がちょっと下手なのが見るたびに気になります。

以下は秋吉久美子のせいではないことですが、

・アパートの外階段の真ん中あたりに座って、手持ち花火をする。
NGすぎます。
下町育ちで、花火やりまくっていた私からするとありえない。
こんなことやったら、親にすごく怒られる。
木造家屋が密集していますから。

・高いところの上の物を取ろうとして、息子を四つん這いにさせて、その背中の上に上がる。
ごめん、踏み台のない家はない。
私が育った昔の下町の長屋は、収納が少ないので、よく鴨居の上に棚が付いていました。
一段の踏み台に乗って物を取る高さなので、そういう踏み台は必ずあったのでした。
息子の背という、ぐにゃぐにゃな物に両足で乗り、そして、バランスを崩して落下する母。
母を抱き起こし、肩を抱くような姿勢になる息子。
ランニングの息子とノースリワンピの母が密着し、頬もくっつかぬばかり。
普通、ドッタン、と倒れたら、お互いに素早く起き上がり、
ごめーん、だいじょうぶ? どこかぶつけなかった?
となるように思うのだけれど、二人は確実に2秒間は凝固していました。
息子はドギマギする。
いやそこでドギマギすな!
母は、「ご飯にしよっか」だったかな、あっさりと立ち上がりますが。

証拠写真 上、落下直後・下2枚、普段からしなだれかかりがちな母
👇



ところでこの母は(父もだけど)すぐ息子に、
ワイシャツもズボンも脱いじゃななさいと言います。
脱げば息子も、父と同じ、ランニングとアンダーウェアのみ。
父はステテコであるが、息子はボクサーショーツである。
その息子の、汗ばんだ首や肩などを、母が手拭いで拭く。
母よ、自分で拭かせなさい。
彼女にとっては息子は12歳男子。
そして今は立派な四十男。
母が生きていても、息子を拭き拭きは やらなそうだ。
この辺は何回見てもむずむずします。
でも、すっきりとした夏のワンピース姿は綺麗。


父、鶴太郎:鶴太郎が芸術家になってしまう前の出演でしょうか。
この映画の中では、すっきりとんがっていてよかったです。
べらんめえ口調も悪くない。
おっちょこちょいで、交通事故に遭いやすそうなお父さん。
大人の妻を乗せて自転車の二人乗りはいかんかったでしょう。
扇子を顔の前に傾ける仕草が粋。
家族を大事にしていて、ちゃらんぽらんだけど憎めない人です。
早世が惜しまれます。




原田秀雄:風間杜夫。
イギリス映画「異人たち」は、子供返りしたような主人公が、12歳のときのパジャマを着て、
眠れないからって両親のベッドに、入れてくれとやってくる場面があります。
さすがこれは、にちょっと気持ち悪かった。
あのパジャマも、画面ではきつそうなだけであったが、
大人が着られるわけはないと思ってしまいました。
それに、最初の頃、自分の部屋のクローゼットにかかった子供の時の服を見て、
「さすがに着られないな」
「そうね。父さんのを着なさい」
的な母と息子の会話があったので、子供パジャマは、ちょっと矛盾していたかも。

「異人たち」に比べると、主人公が子供返りして、
それで受け入れられるのは、日本人の風間が、つるっとしているから。
ではないかと私は思っています。

私は「異人たち」のラブシーンでは、二人の男性のビジュアルに
ちょっと気持ちが掻き乱され、集中できませんでした。
大人すぎるお肌であったからです。

一方の風間杜夫の原田。
四十男の今と、12歳に戻ったようなときの気持ちの変化は、
若々しい声と大人の声の使い分けで、非常にうまく表現されていました。
両親と別れを告げるときは、ちゃんと敬語になっている。
素晴らしいな風間杜夫。

声といえば、原田幻の地下鉄の新橋駅で案内の一行にはぐれ、
心細くなって、
「みんな、どこ?」
と呼ぶあの声。
それがそのまま、12歳で両親を亡くし、ひとりぼっちになった子供の原田が、
思わず心の中で誰かを呼んでいたかもしれない、その声と重なります。


続きます。

私の実家は江戸川区です。
家の近くに相撲部屋があり、両国国技館もお隣の駅。
東京スカイツリーと、ディズニーランドの花火が窓から見えます
東京スカイツリーも、ご近所割引があったら登ってみたい。
高いですよね、登る料金が。

家の近くには、トロリーバス乗り場がありました。
夜の電線に、ときどき青い火花を散らして走る路面バスです。
チンチン! と鐘が鳴ったり、方向指示器が飛び出したりするその乗り物は、
「今井」という起点から、まっすぐ 終点の浅草まで行けた記憶があります。
でもそれではあまりにも距離が長いので、
あるいは亀戸まで行って、バスに乗り継いだかもしれません。

興味が湧いたので、調べてみたら、
今井ー上野公園間 という路線があり、確かに私の家の近所に停留所がありました。

江戸川区発の都営トロリーバスの歴史はこちら。

見つけました、101系統の全停留所:私の乗ったのは「東小松川」です

とにかく、子供の頃から、遊びに行くのは浅草、日本橋、上野、お茶の水、銀座でした。
新宿や吉祥寺は高校生になって友達と電車に乗って出かけるようになってからです。
そういうわけで、浅草はそう近くはないけれど、意外と知っています。

何度もこの映画を見るうちに、映画に出てくる場所に行き当たったりしました。

浅草演芸場は、粋がって行ったことがあります。
今思うと恥ずかしいですが、池袋演芸場や、お江戸日本橋亭、
本牧亭・・など、都内で行ける演芸場は、いくつも行きました。

浅草ビューホテルのオープンに驚いたのも覚えています。
あんな近代的なホテルが浅草寺のすぐ近くにできるなんて、
浅草の雰囲気のぶち壊しだ、と反対があったようです。

ママ友とはるばる、花やしきまでベビーカーで遊びにいったこともあります。
あの、民家(のレプリカ)に突っ込むジェットコースターに乗ったのは、
でも、もう10年前ぐらいかもしれません。
日本最古のジェットコースターだそうです。

花やしきのジェットコースター


浅草演芸場は、原田が死んだ父親と会う場所ですが、
その後父子一緒に家に帰る道々、路上に煙草とビールの自販機があるのが、
時代だなぁと今回も思いました。

父親は買った缶ビールを息子に渡しながら、

「おう、ハンカチかなんかで持て、つめテェから」
「俺はでぇじょぶだ」

缶ビールが冷たくて持てない人はいないと思うので、
(だって缶の飲み物って、普通に手に持って飲みます)、

「幽霊だから冷たくても平気」

という伏線かなと思っていました。
ちょと無理があるけど。

でも後半、母がぐるぐる回していたアイスクリームメーカーの、
霜のついた内容器を直に持つ父親に驚く原田に、母が、

「温かい手で寿司を握っては申し訳ないと、普段から氷を握ったりしている」

と説明します。

どっちなの、幽霊だから平気なんじゃなかったの?
伏線どうすんの、と、毎回思います。


父親が銭湯から帰ってきて、手拭いをアパートの軒先の洗濯物のロープに掛けるのが、
いかにも大正生まれという気がしました。

それから、母親が遊んでいるラジコンカーや、
まるっと取れてしまう缶ビールのリング蓋、
前述のアイスクリームメーカー
(アイスクリーマーという商品名のものが流行っていました)
・・・なども面白かったです。




こういう製品はもしかすると、親たちが生きていたうちにはなかったかもしれない。
でも今、期間限定で二人がこちら側にいるうちは、
自由に使いたいものを使えることになっているのかもしれない。
・・などと、映画を見ながらいろいろなことを考えます。


そういえば、原田が執筆するのは、
プリンタが本体のてっぺんについている「ワープロ」であって、パソコンではありません。
インクリボンがなくなると、カセットを変えなければならなかったやつ。

タイトルロールにちらっと出てくるCMは、
「富士通オアシス」と「ペンタックス(カメラ)」だったりします。


父子がキャッチボールをするのは、銀座線田原町駅から出てすぐ、
東本願寺の塀外だと思います。
そのまま直進すると、合羽橋道具街です。

最初の方に出てくる、数ヶ月しか使われなかったという地下の新橋駅。
たまにイベントで公開すると聞いたことがあります。
駅を使った探偵イベントが多いので、是非しょっちゅう見せてほしいです。


続きます。




1997年の暑い夏の日。私はまだ生後半年の長女をスリングでぶら下げ、夫、仲良しの生徒カップルと、もう一 組の日本人カップルと、東武伊勢崎線の東向島駅で降りました。
この日は、永井荷風や黒澤映画が好きな私たちのため、浅草出身でこの辺に詳しい友達が玉の井(昔の遊郭エリア)周辺を案内してくれる、大人の遠足なのでした。

「ああもう、数年すれば失くなるんだろうなぁ」
と思われる、ものすごい古い建物を見て歩いていると、ある路地の入り口で、
案内人のYさんが立ち止まって、向こうを指して言いました。

「ここが、tamadocaさんの好きだと言っていた、
『異人たちとの夏』のロケ地みたいですよ」

草も刈られ、原田の両親の住んでいた設定のアパートも、
もしそれがセットでなくてそれを使っていたのだとしても、ほぼ骨組みだけになっています。

「ここじゃないかもしれませんけど、ここだとは聞いています」

とのことでした。


その時はすでに、「異人たちとの夏」公開の1988年より9年も経っていましたから、
ロケ地が残っていたとしたら、奇跡ですね。
思えば私は昔から、ロケ地を崇めたてて、聖地へ巡礼していたのでした。

その映画が好きであればあるほど、
「あなたはどんな映画なの?」
という思いが込み上げ、いろいろ調べたり、見に行ったりしたくなってしまうのです。

さて今日は、「異人たちとの夏」を、もうちょっと考えてみる3回目です。

UーNextで今 観られるようになっていて、観始めたら止まりませんでした。
たくさんの記憶違いが見つかったのにもびっくりです。

初めて観てから長い年月が経っていますが、今観ても、とても良かったです。
そして、いつも泣くところで、やはり泣きました。
最近涙腺も弱っていて、なんでもないところでも涙が出ます。

家でじっくり見直したので、いろいろなことがわかりました。

1988年の公開時、原田は40歳です。

原田と両親の写真の裏には、
「昭和35年7月16日 秀雄12歳 誕生日」となっています。
原田は、昭和23年、1948年の7月16日生まれの、物語の時点では40歳です。

両親の位牌の裏の 死亡年月日と死亡時の年齢を見ると、
両親が亡くなったのは原田が12歳の誕生日の直後、
昭和35年、1960年の7月20日です。

原田の母が が亡くなったのは32歳のときですから、
原田を産んだ時は20歳。
原田の記憶にあるはずの母は、若い若い、32歳なのです。
ちなみに父(鶴太郎)は没年齢は34歳です。

なぜにこんなに3人の年齢にこだわるかというと、
私はこの映画を繰り返し見ていた公開時から10年ぐらいの間に、よく、

え、いくらなんでも、1988年ごろはこうじゃなかったのでは?

と思っていたからです。
つまり、40歳の自分と、世代の違う自分と、同じように考えてしまっていたため、

子供の頃でも、銭湯に手拭いで行ったりはなかった とか、

自分の母親が、夏きものにパラソル、髪に大きな花をつけて出かけるなんてなかった

とか。

でも今回よく考えてみると、原田が生まれた1948年に32歳と34歳の夫婦であった原田の両親はなら、生まれたのはそれぞれ、母は1916年、父は1914年です。
西暦でみるとあまりぴんと来ませんが、
1916年はなんと大正6年。
1914年は大正4年なんですね。



だから、原田の母がおめかしするときはこのような古めかしい姿になります。






ここがすっきりして、本当に嬉しいです。

続きます。


続きです。

今回 公開日に早速観てきたイギリス映画の「異人たち」。
面白かったです。
これは大林宣彦監督・山田太一原作の「異人たちとの夏」のリメイクということで、
安心して観ることができました。
どうなるかわかっているので。
一緒に映画館で座っているみなさんの中で、
1988年公開のこの日本映画を観たことがある人の方がおそらく少ないと思うので、
最後の方になって、大多数の人が、

ええええ!?
うっそ!

となってしまうわけですが、私からすると、あの衝撃を、
初めて味わえる人たちが羨ましかったです。
あれは強烈ですから・・🤭


ストーリーはほぼ原作を辿って付かず離れず、結末も同じですが、
大きく違うのは主人公がゲイであるところですね。

レビューには、「そこが素晴らしい」と、
大いに称賛しているものがすごく多いのですが、
私はそれはもう、その先に行っている感じはしました。
BLものが好きでよく読んだり観たりしていますが、
今始めると長くなるので我慢しますね。

不思議だったのは、結構階数のあるマンションに、
住んでいるのが主人公と、あとでその恋人になる男だけであること。

取り壊し間近の団地という感じではないし、
ロンドンの住宅事情はNYとか東京とかシドニー並みに酷くて、
なかなか今からロンドンで暮らし始めるのは大変だそうです。
そこへ、住人がたった二人の複合棟のマンション?
ちょっとこの設定がシュールすぎるなので、
(もしや、最初から最後まで、全てが主人公の夢か幻だったのでは)
と、最初から思ってしまいました。

日本映画の方では、
「この辺のマンションは夜になるとそうですよ」と、
ーーオフィスユースのビルであれば 夜は人がいなくなるーー
という説明的なセリフがありました。
英国版はそこはないのと、結構ビルがボロいので、
取り壊しが予定されているビルなのかなとか、
いろいろ想像させる部分があって、それも面白かったです。

酔っ払った無精髭の男が夜に訪ねてくる。
主人公は冷たく追い返す。
そこも「異人たちとの夏」と同じ、安定の発端です。

こっちの映画では、主人公が偶然に、演芸場帰りの父親と会うのではなく、
彼は自分から電車に乗って、郊外の元実家を訪ねるのです。

この男、本当に無口なので、観ていてもよく内心がわかりません。
訪ねてこられた(もう死んでいる)両親も、
いまいち息子が何を言いたいか当てられず?
戸惑っているようです。

二つの映画で決定的に違うのは、風間杜夫の方は、
両親が12歳で非業の死を遂げた時から、瑞々しい心に鍵をかけ、
感情を動かさないようにして、自分を守り、一度も泣いたことがないという人。

「異人たち」の主人公の方は、それに加えて、
子供の頃からゲイで女性っぽかったことをいじめられ、
親たちには言えず、抑圧的な人生を送っています。

今、両親に出会い直し、初めてカミングアウトをするわけですが、
両親は、今40歳(推定)の息子が、12歳の時に亡くなったので、
えーーーーと、2023年引く28年だから死んだのがだいたい、1995年ね。

会話の中で、「僕たちのころは、愛することが死に直結してたんだ」と主人公は言います。
母親の方も、「だってあの・・死病が・・・」と言ったりしているのは、
これはもちろんAIDSのことであります。

母は息子の恋人のことも、「あの・・お友達」としか言えず、
息子に「なんで・・ボーイフレンドと言わないわけ? 友達って言うわけ?」
みたいに突っ込まれたりもしています。

やっぱり、1990年代に亡くなっていて、現代に出てきているので、
アプデはできていない、そこらへんが妙にリアリズムで、面白かったです。


さて、死んでいるお父さんは、
息子がいじめられて夜に泣いているのを知っていながら、
息子の部屋に入ってきて話をしようとはしなかった。

「どうして?入ってきてくれなかったの?」

と息子に問われて、ぐっと詰まる父親。

「お前をハグしていいか?」と おずおず訊くと、

うん、してほしい。Yes, Please.

しっかり抱きしめ合う父と子。
いかん堤防決壊です。


以下、細かいことは本当に、観てのお楽しみですので、
これ以上書くのは野暮というものですね。

感想としては、一つはとにかく、暗い!
暗いのが好きな人は、確実にハマることでしょう。
好みの分かれるところです。

そして、夢かと思えば現実、夢から覚めたと思ったのにまだ夢の中、
ちょっと「インセプション」のように、混乱させる作りであるのが面白かったです。
全体に暗いので、スタミナのない私にはちょっと疲れる映画でした。


さて、異人たちとの夏」は、実は、両親が出てくるのはお盆の直前なのです。

暑い日本の夏・・

「もう行かなきゃ」
と親たちが言うのも、お盆を過ぎた頃です。
戻ってきた精霊は、また彼岸に戻らなければならない。
日本人には今でも、しっくりくるあたりです。

イギリスでは、そういうのは織り込めなくて残念でした。
お盆ないし。


ところで最近見たリメイクは、黒澤映画の「生きる」を、ビル・ナイが、
カズオ・イシグロの脚本で演じたイギリス映画で、両方続けて観ました。

リメイク版も、すごくよくできた映画だったのですが、
主人公を演じた志村喬の「だめさ」「泥臭さ」「気持ち悪さ」
(だからこそ、愛すべき人に昇華するのですが)、
これがビル・ナイだと、素敵な紳士すぎて、
全然ダメじゃなくて、ここは違和感ありました。
でも大丈夫。
別の映画! と思って見たので、両方とも楽しめました。




さて、イギリス映画「異人たち」と、
そのリメイクの元となった「異人たちとの夏」の大きな違いは、
「異人たちとの夏」の主人公は、結構実はいい奴で、明るい。
最後も救いがあります。

幽霊のはずの鶴太郎も秋吉久美子も、やんちゃでノンシャランで、苦悩がない。
ただただ、こじらしている息子に喝を入れにきた感じ。

一方イギリス版「異人たち」は、主人公も、恋人も、なんだか湿度が高い。
両親もちょっと・・悩みすぎ? に思えて、重いと言えばとても重いです。

あの最後のシーンはかなり、別の意味で衝撃です。

やっぱり、UーNextで「異人たちとの夏」が観られる今、
良かったら二つの作品を見比べていただきたいなと思います。


続きます。



私が若い頃から何度も見て、大好きな映画の一つに、
山田太一原作の「異人たちとの夏」があります。
監督は大林宣彦。
ツッコミどころも多い映画ですが、忘れられない秀作です。

昨日、これをイギリスで映画化した「異人たち」を、日本公開初日に見てきました。

その感想ですが、なんだか濃過ぎて、一回見れば気が済む系の映画でした。

これは私の、「異人たちとの夏」への思い入れと、
新しい映画「異人たち」が表現しているものとの間に、
大きな開きがあったからだと思われます。
「異人たち」を観ている間中、「イニシェリン島の精霊」を観ていたときに感じた不安感と違和感を感じ続けました。
あれよりもずっと救いはありますが、自分が主人公に感情移入しすぎる性格なので、
見ていて辛いということは、どちらにしろありました。
「問題作」が苦手で普段逃げているので、そういう意味で重かったけれど、
観て良かったと、あとからじわじわ思えてきました。


以下、最初に「異人たちとの夏」(1)
続いて昨日見てきた「異人たち」(2)、最後にもうちょっと書きます(3)、
と書いていきたいと思います。
よかったらおつきあいください。


日本映画「異人たちとの夏」」の公開は1988年だそうです。
今もDVDやレンタルビデオで見られるでしょうが、日本では今なら、Unextで観られます。


以下はネタバレを含みますのでお気をつけください。



映画情報はこちらで。



これから書くストーリー再現は、記憶からですので、状況設定やセリフなど、
細かいところは間違っていると思いますが、ご容赦ください。

主人公の原田(風間杜夫)は売れっ子の脚本家です。
映画が始まった時点では、冷え切った元妻とのやり取りで気が立っている感じです。
仕事関係や取材先などでも、なんだか緊張していて、不安な様子が観られます。
この辺の演技、当時つかこうへい劇団の花がたとしての風間杜夫と全然違います。

売れっ子の原田は、高そうな素敵なマンションに一人暮らしをしています。
そこへ訪ねてくる同じマンションの女性が、ケイです。
夜に一人暮らしの男を訪ね、
飲みきれないシャンペンを、一緒に飲みませんかというケイを
ドアから押し出すようにして原田は断ります。

原田はある日、ふと訪ねた浅草の演芸場で、
子供の頃に交通事故で亡くなった父親に会います。
浅草は、12歳で両親を失くすまで原田が住んでいたところです。

原田は衝撃を受けますが、父親はまるで当たり前のように、
「うち、来るか?」。

父親に連れられて、木造モルタルアパートに行くと、
若い母が夏もののワンピースを着て、そこに普通に住んでいます。

なんの説明もなく、3人は夕食を食べます。
この日以来、孤独な原田の生活が大きく動き出します。

味気ないマンションでの執筆の合間に、
両親のアパートを訪ねて二人と過ごす原田。
キャッチボールをしたり、母親の手伝いをしたり。

暑いので、昔の人はランニング一つになります。
親父たちは、ランニングとステテコです。
お母さんは、昔はアッパッパと呼んだ木綿のワンピース。
両親と話すときは、表情も明るく、子供っぽくさえある原田。

こんな時間の流れる中、原田は一度は冷たく追い返したケイと
恋人関係になっていきます。

しかし、時の止まったようなこんな日々の中で、
原田は白髪が増えてきたのに気づきます。
体の衰えも、何人もから指摘されるほどになっていく。

とうとう、原田の両親のことを聞いたケイに、
「二人に二度と会ってはいけない」

と言われます。


ここで私たちは死者との交流は、やはりタブーの領域であると気づくのです。

あんなに楽しいのに、だめなのか。

・・・原田もそう思ったように、映画を観ている私たちも思います。

「なあおめぇ、こいつ、こんなに立派になりやがって・・」

と言う父親も、聞いている母親も、自分たちが死んでいて、
ありえない息子との時間を過ごしていることは、もちろんわかっています。

物語はスピードを増します。

ケイに強く言われ、両親に別れを告げに行く原田。
両親は予想していたかのように、最後にすき焼きを食べに行くことを提案します。
今半へ、堺してから初めての親子3人の外出です。
もしかして、両親はあのアパートを離れられないのかと思います。

行かないでと言う原田に、そうも行かねえらしいや、と父親。

二人が逆光の夏の西日の中に消えていったあと、
3人前の手付かずのすき焼きを見て、

「全然食べてないじゃないか」

と原田は涙するのでした。


ところがこのあと、衝撃の展開があります。

原田を心配した編集者、間宮がマンションの管理人から、
同じマンションの女性が、自殺していたと聞くのです。
あの部屋ですよ、と指差す先は、ケイの部屋です。
いつも見えていた灯りも消えています。


ケイは、火傷の跡がひどいからと、
原田を体を合わせるときにも、そこを見せようとしませんでした。

引きこもり、孤独に苛まれ、思い切って原田を訪ねた晩、
冷たく追い返されて絶望したケイは、
チーズナイフで火傷のひきつれのある胸を何度も刺し、自殺していたのです。

「この人を助けて!」

と叫んだケイこそが、一緒に原田を連れて行こうとした死者だった・・

この衝撃。

(この辺、「シックス・センス」や「アザーズ」を見るたび、
ああ、「異人たち」のパターンだ・・と思うようになっています)

間宮に邪魔され、ケイは去っていきます。
ですがもしかしてケイは、相手が死者であろうと化け物であろうと、
なんだって構わないと言う原田の声を聞いて諦めたのかもしれません。


入院した原田のベッドサイドに、つまらなそうな顔の息子。
つまらなそうだけれど、一人で来て、結構父親とも話しています。
なんだか見ていて救われます。
原田はこの子を、父親を亡くした子供にはしなかったのです。

12歳で両親を亡くしてから、
ほとんど泣いたことがないと、原田の口から語られます。

感情に蓋をして生きてきて、大人になった。
大人になって、ある程度成功しても
それだけで幸せではないんだなと感じ、
両親に出会う前の原田の硬さが、理解できてきます。

親にとっては酷な話なのですが、親の責任でないこと、
例えば親が病気だったり、死亡したりするのも、
子供にトラウマを残すと言う意味で、虐待であると、
ある本で読んだことがあります。
親の不運であっても、結果機能不全家族となり、
この先 生きていく子供にとって、
とてもしんどい人生が続いていく可能性が高いのだそうです。

凍りついていた原田の涙を溶かした 亡き両親の霊が善玉で、
寂しさゆえの他責で自殺し、原田に取り憑いたケイの霊が悪玉、
と一概に決めつけることはできません。

けれど、一人の人間の生き方に、大きい変化をもたらした死者たちは、
異世界から着たキーパーソンズ、「異人たち」であったのです。


続きます。