圭破龍文の凸凹競馬日記&市民活動日記
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ハッシュタグ『#検察庁法改正案に抗議します』が示した”新しい民主主義の形”と憲法を守るために”必

検察庁法の改正案が今国会での成立を見送られた。おそらく、総理の職を辞した後に「モリカケサクラ」の責任を問われて逮捕される可能性を出来る限り小さくしたかった安倍総理にとって、”安倍政権の守護神”と呼ばれる黒川弘務氏を検事総長に押し上げる事が出来なかった今回の一連の動きの顛末は「痛恨の失敗」であるに違いない。

だが、今まで安保法制にしろ「共謀罪」にしろ、あるいは沖縄の辺野古新基地建設にしろ、「既成事実を積み上げれば反対の声は小さくなるし、そうやって時間が経てば国民はいずれ忘れる」という感覚のもとに強行・断行を繰り返してきた安倍政権が、今回は強行出来なかったのは何故だろうか。

それはやはり、ハッシュタグ『#検察庁法改正案に抗議します』を触媒としてSNS上で可視化された『民意』の巨大さに、ひるまざるを得なかったという事なのだろう。

ハッシュタグというのは、#(シャープ、ハッシュ記号ともいう)とある語句を組み合わせることによって文字自体にリンク機能を持たせるもので、その文字をクリックすると同じハッシュタグが入っている投稿を一覧で見る事ができる。twitterの場合には、同じハッシュタグを入れた投稿が重なると「トレンド」の上位に表示され、注目が集まる仕組みになっている。この仕組みを利用して普通なら注目されない事柄に注目を集めるために、同じハッシュタグ入りの投稿を呼びかけるのが『twitterデモ』だ。

ハッシュタグ『#検察庁法改正案に抗議します』によるtwitterデモは、最初アカウント名「笛美」さんという全く無名の女性が一人で呼びかけた。「笛美」さんはフェミニズムの運動に少し関わりがあったものの、コロナ・ショックの前までは政治にそれほど関心はなく、安倍政権に対してもそれほど強い疑問を持っていなかったそうだ。

それが安倍政権のコロナ対策の迷走ぶりから疑問を持ち始め、国会をよく見るようになり、政治に関する事を調べるようになった中で、検察庁法の改正案にたどり着き、「民主主義的にヤバいことでは?しかもコロナで緊急事態宣言が出ている中で?」と不安になっていた。そしてその法案が「来週にも成立する」というニュースに震え上がり、いても立ってもいられなくなってこのtwitterデモを呼びかけたのだとか。

しかしこの小さな声が、翌日には「トレンド」入りし、その日の夕方にはトレンド3位に、2日目には1位になり、有名人がツイートして拡散されたこともあって、100万、200万、300万……ついには累計で1,000万件を超す巨大な声にふくれあがった。
そしてついに、この可視化された『声』=『民意』が、現政権が反対を押しきってでもやり抜こうとした政策を思いとどまらせるまでに至ったのだ。

今まで、僕らはどこかで「選挙で与野党を逆転させ、政権を交代させない限り、現在の政権がやろうとする事を止められない」と思っていたが、それは「思い込み」だったようだ。
SNSという新しい「フィールド」があった事が大きいが、「選挙以外で民意を可視化する事によって現在の政権の政策を止めた」というのは、この国に生まれた”新しい民主主義の形”だと言っていいだろう。

では何故『#検察庁法改正案に抗議します』はここまで短期間で爆発的に広がりを見せたのだろうか。

それはこの検察庁法改正案がこの国の基本的なルールである「三権分立」をおびやかすものだった事に加え、「三権分立はこの国の基本的なルールであり『変えてはいけないもの』」という共通認識が、おぼろげながらでも出来ていたという事が大きいと思う。

つまり、「この国は立法・行政・司法の三軒が互いに牽制しあって権力の集中=独裁を防いでいる」という事は、「学校で習う」のだ。だから今回、安倍政権がこの三権分立をおびやかす動きをした事に対して、多くの人が「安倍政権はやってはいけない事をやろうとしている」と感じ取る事ができた。それが今回、今まで政治的な発言を避けてきた有名人も発信するようになった要因であり、またこれだけ短期間で爆発的に世論が大きくなった要因でもあるだろう。
今までより多くの人が、「安倍政権は踏み込んではならない領域に踏み込もうとしている」と瞬時に理解出来たのは、ある意味「教育の成果」だと言っていい。

では、「憲法9条」や「憲法そのもの」について、そういう『変えてはいけないもの』という共通認識が出来ているかというと、全く出来ていないというのが現状だろう。何せ憲法は学校でほとんど習わない。高校までの教育で憲法について習う事は「日本国憲法は『国民主権』『基本的人権の尊重』『平和主義』の3つの原則で成り立っています」という事と、後は内閣不信任案に関する条文を習うくらいだ。そもそも「知らない」のだから、憲法を変える事の是非など判断しようもない。

だからこそ、憲法を守るためにはまず「憲法に何が書かれているか」を伝える事から始めなければならないのではないだろうか。

ではまず憲法のどの条文から伝えていけばいいのか。「9条」だと思われる方が多いだろうが、僕はいきなり「9条」から伝えるのは避けるべきだと思う。「9条」は歴史的な経緯を経て、正直現実と解離している。もちろん「抑止力」という考え方では戦争を止める事は出来ないということを伝えるのは重要だ。しかしもともと憲法を「知らない」人たちにいきなりこういう難しい話を伝えると、それだけで敬遠されたり、逆に「やはり丸腰では不安だから憲法を変えてちゃんと軍隊を持つべきだ」という反応になりかねない。最初に伝えるのは、議論の余地なく皆が肯定できる条文にするべきだろう。

僕がまず伝えるべきだと思うのは「第13条」だ。『すべて国民は、個人として尊重される。生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の上で、最大限の尊重を必要とする』
もちろんこの条文そのまま伝えても「言葉が難しくて何を言っているのか分からない」という反応になるだろうから噛み砕いて伝える必要がある。例えば、「今の憲法には、『国民一人一人を”独立した人間”として大切にする、それがこの国の基本だ』と書かれているんだよ」と
いうように。さすがにこう伝えて内容に異を唱える人はほとんどいないだろう。逆に「何だ、当たり前の事じゃないか」という反応になるかも知れない。その時はすかさず「それが当たり前じゃない時代があったからこそこういうルールが出来てるんだよ」と伝える必要があるだろう。

重要な事は、憲法が普遍的なものを守っている事にもっと多くの人に気づいてもらい、「憲法を変えるのはどうもマズイらしいぞ」という共通認識を作り上げていくことだ。これが出来ないままに「憲法守れ」「憲法いかせ」と叫んでも、『普通の人々』にはその切実さがほとんど伝わらないのではないだろうか。

第13条を中心に、憲法の『中身』をもっともっと多くの人々に伝え、『憲法は変えてはいけないもの』という共通認識を作り上げること。これが出来れば、検察庁法改正に多くの声が挙がったように、憲法改正に対しても多くの反対の声が挙がるようになるだろう。「時間もないのにそんな遠回りな事してられるか」と思われる人もいるかも知れない。しかし僕は一見遠回りに見えるこの方法こそ一番の近道だと思う。
「憲法を守るためにはまず、憲法の『中身』を伝えること」。その事が今、重要になって来ている。

”第13回辺野古新基地反対コンサートin名古屋!楽しかった。そして頑張ろう!”

”この卑怯な手口を見よ! ボロが出まくりの安倍劇場型詐欺”

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