お久しぶりです。ここのところ立て続けに大きなお仕事を頂いていたもので、すっかり更新が遅れてしまいましたが、今回も素敵な映画のリクエストを頂戴しております。誠にありがとうございます星


リクエスト頂いた作品は『コーラス』です。(フランス語の原題は''les choristes'' レ コリスト合唱隊員たちの意、英語では''The Chorus'')。

$映画で学ぶフランス語-les choristes

2004年に公開されたこの作品は、公開10週目にして850万人という観客動員数を達成した大ヒット作です音譜単純に計算して、フランス国民の8人に1人は本作品のために劇場へ足を運んだこととなるのですから、これは大変な数字です。

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さて、その物語は、戦後間もない1949年1月から始まります。長年音楽に情熱を捧げつつも、これといった成功をおさめることもなく、ついに失業の身となったクレモン・マチュー(ジェラール・ジュニョ)は、ある施設への赴任を引き受けます。それは、親を亡くした子供たちや、素行の悪い問題児たちを矯正するための寄宿舎でした。

この施設での仕事が、過去になく大変なものになるであろうことは覚悟していたマチューでしたが、彼がそこで出会った子供たちの抱える闇は、その想像を絶するものでした。世間から隔離された疎外感、誰とも分かち合うことの出来ない孤独感、取り巻く全ての人に対する猜疑心、明日に希望を見出せない閉塞感…子供たちはこうした様々な負のエネルギーを、どう表現しようもなく、ただただ身近な大人たちに反抗を繰り返していたのです。

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恐怖の念すら抱かせる子供たちに、暗い先行きを憂うマチューでしたが、ある晩、彼は子供たちが枕投げをしながら歌をうたっていることに気がつきます。決して上手ではないものの、歌をうたっている…その事実に、彼は思わず自らに問いかけるのです。

Il y a t-il vraiment rien à en faire de ces gosses?
イ リ ア ティル ヴレモン リアン ナ フェール ドゥ セ ゴス?
この子供たちはもう本当に手の施しようがないのだろうか?

Moi, qui m'étais juré d'enterrer à jamais mes notes de musique.
モア、キ メテ ジュレ ドンテレ ア ジャメ メ ノットゥ ドゥ ミュズィック
私は、もう決して作曲などしないと誓った身。

Ne jamais dire jamais.
ヌ ジャメ ディール ジャメ
「決して…」などとは決して言ってはいけない。

Il y a toujours quelque chose à tenter.
イ リ ア トゥージュール ケルク ショーズ ア フェール
どんな状況でも、常に何か出来ることはあるはずだ。


こうしてその晩、マチューはもう一度、その人生で音楽の力を信じてみることにしたのです。マチューは子供たちに正しい音階を教え、彼らのために曲を作っていきます。はじめはからかい半分だった子供たちも、次第にコーラスを通して自らが抱える内面を表現することが出来る悦び、そしてその悦びを仲間と分かち合うことが出来る達成感を味わうようになります。

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少しずつ輝きだす少年たちの瞳と、彼らと共に音楽の喜びを再発見していくマチューの様子は、それが演技であることを忘れさせるほど自然に描かれていて、観る者を自ずとその世界に惹き込む名作です。

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さて、今回ここで注目したい単語は、マチューが思わず自問自答した

Il y a t-il vraiment rien à en faire de ces gosses?
イ リ ア ティル ヴレモン リアン ナ フェール ドゥ セ ゴス?
この子供たちはもう本当に手の施しようがないのだろうか?

というフレーズの中の、gosse ゴス です。これは子供という意味のファミリエ(口語表現、詳しくは映画に出てくるフランス語をご参照くださいなのですが、実は、この場面とラストシーンの2箇所を除いては、マチューはクラン(日常語)を用いており、子供たちのことについて話す時には常にles élèves レ ゼレーブ生徒たち、もしくはles enfants レ ゾンフォン子供たちなどと表現しているのです。

ではなぜここだけ急にgosse ゴス というファミリエ(口語表現)を用いたのでしょう?それは、このフレーズはマチューの心の底からの思いを吐露したものであるという事実を示すためなのです。そう、ファミリエとは、単なる口語表現に留まらず、時にその思いの誠実さ、率直さを表す役割を果たすのです虹特にマチューのように、普段はファミリエを用いない人が思わず口にするファミリエは、それがいかに心の奥深い所から発せられた言葉であるかを端的に表す有効な表現となります。

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この映画での成功をきっかけに、小さな合唱隊員たちは実際にコンサートを開催するほどの人気者となり、2004年のフランスを駆け巡りました。マチューが信じた音楽の力は、フランス全体を巻き込む大きな熱狂をもたらしたのです。

ちなみに、今でもフランスでコーラスや聖歌隊の話題が出ると、よくこの映画について語られます。実は以前ご紹介したプチ・ニコラにも、このコーラスのマチューがほんの一瞬登場していることをご存知でしょうか?ヒントは、合唱指導の場面です。フランス人なら殆どの人が観た本作だからこそ実現した、ちょとしたコラボレーション、是非発見してみて下さいサーチ


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1993年に公開されて以来、フランスを代表するコメディの一つとなった''Les visiteurs''レ ヴィズィトゥール、英語ではThe visitors訪問者の意)。

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日本でも『おかしなおかしな訪問者』の邦題で紹介されたこの作品は、余りの人気ぶりに、その後2作の続編が製作されたほどの大反響を呼びました。

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物語の始まりは1123年に遡ります。中世の勇敢な騎士ゴッドフロア(ジャン・レノ)は、時の王ルイ6世を救った褒美として、兼ねてから相思相愛だった公爵の娘フレネゴンド(ヴァレリー・ルメルスィエ)との結婚を許可されます。喜び勇んで許婚の待つ城へと向かうゴッドフロアでしたが、その道中で魔女の仕掛けた罠に掛かり、誤って許婚の父上を殺してしまいます。

愛するフレネゴンドとの未来を取り戻すため、知己の魔術師の元を訪ね、過去に戻って自らの過ちを正すことにしたゴッドフロア。魔術師は彼をタイムスリップさせる術を知っていたものの、魔法の秘薬に腐ったウズラの卵を入れるのを忘れたために、ゴッドフロアをその近侍ジャクイユ(クリスチャン・クラヴィエ)と共に、過去ではなく未来のフランスへと送り出してしまうのです。

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こうして1992年へとやってきたゴッドフロアとジャクイユは、行く先々で奇想天外な騒動を巻き起こします。

テンポよく自然な流れで描かれたシナリオと、名優ジャン・レノとクリスチャン・クラヴィエの豪快な演技は、国境と世代を超えて、観る者を文字通り笑いの渦に巻き込みました。

実はこのシナリオは、監督であるジャン=マリー・ポワレが1990年に引っ越しをした際、偶然見つけた古いノートをベースに描かれています。それは、彼が13歳の時に、数学の授業中に書き留めた走り書きでした。確かにこの映画を観ると、いかなる枠にもとらわれない、純粋な発想の豊かさに魅了されます。13歳の少年が授業中に妄想した物語が、時を越えてフランスを代表する傑作コメディとなった事実こそ、現実に起こったタイムスリップだったのです。

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さて、映画の内容に戻りますが、中世からやってきたゴッドフロアとジャクイユにとって、見る物全てが珍しい物でした。特に、現代フランスにおける言葉使いの変化は、2人に強い印象を与えます。とりわけジャクイユは、現代のフランス人が、中世には存在し得なかった、あるファミリエ口語表現)をよく使っていることに気が付きます。

それは''OK!''オッケーと''Dingue!''ダングでした。

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''Dingue''ダングとは、すごい信じられないという意味のファミリエ口語)で、フランスにいてこの表現を聞かない日はない、といっても過言ではないほど頻繁に使われる単語です。

もともと鐘の音の擬音dang, dangダン ダンから派生した''dinguer''ダンゲという動詞に由来する形容詞で、より正確には思わず倒れそうになる程ビックリさせられることを表します。ただ、実際には余りに頻繁に用いられているので、必ずしも倒れそうになるほど意外なことに使われるといった訳ではなく、日本語でいう所の「へえー!」や、「マジで!?」といった表現に近い感じで、より軽い意味での驚きや感嘆の意を示すためにも使われています。

フランス人のお友達と話していて、「えー本当に?」「すごい話だね!」と言いたい時には、是非
''C'est dingue!''
セ ダング
と言ってみて下さい。フランス人にとってはとても自然な表現なので、会話が更に滑らかに進むはずです。

また、自分が何かの話題について話したい時にも、
'C'est dingue! Au fait…'
セ ダング!オ フェットゥ…
といった感じでフレーズを始めると、「そうそう、こないだビックリしたんだけどね、実は…」と言ったニュアンスでフレーズを始めることが出来ます。

是非お試しを!

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有難いことに仕事が立て込んでいたため、
すっかり更新が遅れてしまいましたが、
今回は嬉しいことに映画のリクエストを頂きました!
ありがとうございます星


リクエスト頂いた作品は『勝手にしやがれ』
(フランス語のタイトルは à bout de souffle ア ブ ドゥ スーフル、英語ではbreathlessで、息切れしたの意)
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1959年製作、翌年に公開されたこの作品は、言わずと知れた巨匠ゴダールの長編デビュー作にして、映画史に文字通り革命を巻き起こした、ヌーヴェル・ヴァーグの記念碑的傑作です。

映画で学ぶフランス語-勝手にしやがれ5

自動車泥棒のミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)は、マルセイユからパリへ向かう道中で警官を殺してしまい、警察に追われる身となります。そこで、アメリカ人のガールフレンド、パトリシア(ジーン・セバーグ)と共にイタリアへの逃亡を画策するものの、パトリシアは逃亡前日、自らの愛を確かめるためにミシェルの居場所を警察に通報してしまいます。彼女はその事実をミシェルに告げ、彼に独りで逃げるよう促すものの、本人は「牢屋に行く覚悟は出来ている」と、逃げることを拒みます。

映画で学ぶフランス語-勝手にしやがれ4

そしてやってきた警察にミシェルは射殺されてしまうこととなるのですが…技術的にも、芸術的にも、あらゆる意味でそれまでの映画の常識を覆した本作品は、そのラストにおいて最も斬新で、ミステリアスな衝撃を残しています。

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とても興味深いシーンなので、まずは直訳と照らし合わせてみてみましょう。

ミシェル: c’est vraiment dégueulasse.
   セ ヴレモン デギュラス
   本当に最低だ
パトリシア: Qu’est-ce qu’il a dit ? 
   ケ ス キラ ディ?
   彼は何て言ったの?
警官: Il a dit : Vous êtes vraiment une dégueulasse.
   イ ラ ディ、ヴ ゼット ヴレモン ユヌ デギュラス
   あなたは本当に最低な女だと。
パトリシア: Qu’est ce que c'est dégueulasse ? 
   ケスク セ デギュラス?
   最低って何のこと?

実は、このシーンについて解説された資料を参照すると、ものによってはミシェルが『俺は本当に最低だ』とつぶやいたことになっていたり、パトリシアに向かって『お前は本当に最低だ』と呟いたことになっていたりと、実に曖昧な解釈が散見されます。それもそのはず、よく見てみると、ミシェルのセリフは警官によって意図的に歪曲されており、観る者の解釈を難しくしているのです。

ミシェルの最期の言葉は、
c’est vraiment dégueulasse.
セ ヴレモン デギュラス
でした。

dégueulasse デギュラス とは、dégueuler デギュレ吐くというグロシエ(俗語)から発生したファミリエ(口語表現)で、「吐き気を催す程汚いもの」を表します。ここでは字幕で採用された邦訳に従って「最低だ」と訳しましたが、実際には「最低」という言葉よりも、うんと強い嫌悪感を表す単語で、非常にインパクトが強い表現です。このような単語が映画のラストシ-ンに用いられること自体、当時の常識では考えられない手法で、観る者に大きな衝撃を残しました。

さて、ここで注目したいのは、ミシェルは心変わりしたパトリシアの密告のせいで銃弾に倒れることになったにも関わらず、
T'es vraiment dégueulasse.
テ ヴレモン デギュラス
お前は本当に最低だ
とは言っていないという点です。

ミシェルの'c'est vraiment dégueulasse' セ ヴレモン デギュラスという最期の言葉を紐解いてみると、それが’c'est、英語でいう所の 'It's' ではじまっていることから、漠然とした状況を指すセリフであったことが分かります。従って、ミシェルが「本当に最低だ」と言ったのは、彼の人生全体に対する感情の吐露だったと受け取ることもできれば、銃弾に倒れて幕を閉じることとなった最期の状況に対して投げつけた言葉だったと受け取ることもでき、その解釈は観る者の判断にゆだねられる訳です。もし仮にこれがパトリシアに対しての言葉だったとしても、この文章が’c'estで始まっている以上、「警察に密告する」という行為そのものに対する批判では有り得ても、彼女自身を責める言葉では有り得なかったのです。

実際、ミシェル自身、牢屋に行く覚悟は出来ているとパトリシアに告げた際、「疲れた、眠りたい」と語っており、更に警官が駆け付けた際にも、まるでわざと自らが射殺されるような逃げ方をしている点からも、パトリシアをとり立てて責める意図はなかったものと推察されます。

反対に、パトリシアにミシェルの最期の言葉を尋ねられた警官は、意図的にミシェルの言葉を歪曲し、あたかも彼がパトリシアをののしって逝ったかのように伝えます。警官がパトリシアに伝えた言葉は、
Il a dit : Vous êtes vraiment une dégueulasse.
イ ラ ディ、ヴ ゼット ヴレモン ユヌ デギュラス
でした。

dégueulasse デギュラス とは、それ自体非常にインパクトが強い言葉ですが、それが un アンune ユヌ といった冠詞と共に用いられると、ある特定の人物を侮辱する表現となり、それが一定の状況や行為に対して用いられる時よりもさらに過激で攻撃的な表現となるのです。従って、ここで警官がパトリシアに伝えた言葉は、「彼はあなたは本当に最低な女だと言ったのです」という意味になり、ミシェルがdégueulasse デギュラスという言葉で言い表したかったことが何であれ、敢えてパトリシアに向けての直接的な表現を用いないことで、彼女をかばおうとした彼の意志に反する内容が伝えられてしまったのです。

ここでなぜ警官が意図的にミシェルの言葉を歪曲したのかは、一つの大きな謎です。しかし、更に大きな謎は、パトリシアの最後のセリフ
Qu’est ce que c'est dégueulasse ? 
ケスク セ デギュラス?
です。

このセリフは、字幕の邦訳だけを観ると、あたかもパトリシアが「最低って何のこと?」と、「最低」という概念自体に疑問を投げかけたかのように感じられますが、より正確には、「dégueulasse デギュラス って何のこと?」と尋ねているのです。それはもちろん、dégueulasse デギュラス という概念自体に対する疑問であったかもしれないし、あるいは単純に、外国人である彼女がdégueulasse デギュラス という表現を知らなかっただけとも受け取れるのです。

前者の場合、パトリシアがdégueulasse デギュラス という概念、または善悪の基準そのものに対する疑問を投げかけて去っていったこととなり、後者の場合は、ミシェルがその最期にdégueulasse デギュラス という言葉を用いたのは、パトリシアがその表現を知らないことを知っていて敢えて選んだものだったという仮説も成り立つ訳です。

ゴダールは後に、「この映画は、死を考える青年と、死を考えない若い女性の物語だ」と語っています。刹那的な生き方をしながら死を見つめていた青年と、そんな彼から去っていくことを決めた若い女性。dégueulasse デギュラス とは、そんな2人の状況を象徴する言葉だったのかもしれません。

いずれにせよ、多くの解釈の余地を残したこのミステリアスで衝撃的なラストシーンは、映画史を新たな時代へと導く1ページとして、多くの人々の記憶に残ったのでした。

ちなみに、dégueulasse デギュラス は上記の通り非常にインパクトの強い、何かを侮辱する表現ですが、日常会話において、そのコンテクストによっては、より軽い意味合いで使われることも多々あります。例えば、気の置けない友人同士、お互いにdégueulasse デギュラス という表現を用いても、それが相手を侮辱するための言葉ではないと理解しあえる仲である、という前提においては、友人がちょっとした抜け駆けをした際などに、
c’est dégueulasse!
セ  デギュラス!
などと言ったりすることがあります。この場合は、単に「もう、ひどいなあ!」という程度の表現になり、かえってdégueulasse デギュラス という単語を使っても支障のないほど仲の良いことを示す目安にもなります。

また、dégueulasse デギュラスの代わりに、これを短縮した表現、dégueu デギュを用いることもありますが、これはdégueulasse デギュラス という単語の持つ強烈なインパクトを和らげるための表現です。

こちらもフランス映画でよく出てくる表現なので、この単語を耳にしたら、それがdégueulasse デギュラス なのかdégueu デギュ なのか、またどのようなコンテクストで用いられている表現なのか、注意してみると面白い発見があるかもしれません。



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