国賊三条実美とその不愉快なお猿達(仲間達) | みそ汁の具

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明治朝廷をぶった切る 蹴散らし 叩き潰し ぺちゃんこにする為 強記する!!『たまに更新します』

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こんにちわ。前回、何かの陰謀によって削除されてしまったかと思われていた当ブログの記事をなんと、ありがたい事に『みそ汁の具』ふぁんくらぶ会員の方が、大事に保存してていましていたた合格

ありがとうございました!!それを頂戴しまして再度掲載!!お礼の代わりに孝明天皇の叡慮(天皇の考え)ある宸襟を一つ付け足して引用し、更に完璧に仕上げましたので尚更に必見の記事となって甦りました。でわ、御堪能ください!!


明治維新の英雄とされる輩共は全員国賊です。
その中でも三条実美は国賊の中の国賊です。
その訳は…、孝明天皇の叡慮書と言っても過言ではない京都守護職始末を読めば一目瞭全です。というわけで『いがぐり史料館』
http://igagurisiryoukan.blog.fc2.com/ の中の京都守護職始末1 二十八章  「七堂上の西奔」から引用、孝明天皇が、中川宮、二条斉敬、近衛忠熙に連名で与えた叡慮(天皇の考え)ある宸翰 を全文引用しますので是非お読みください。

[引用開始]
元来、攘夷は皇国の一大事にて、なんとも苦心に堪え難く候。
さりながら、三条はじめ暴烈の所置は深く痛心の次第。
いささかも朕の了簡を採用せず、そのうえに言上もなく浪士輩と申し合せ、勝手次第の所置多端、表には朝威を相立て候などと申し候えども、真実の朕の趣意相立たず、誠に我儘(わがまま)、下より出る叡慮のみ、いささかも朕の存意は貫徹せず、じつに取退けたき段、かねがね各々へ申し聞かせおり候ところ、去る十八日に至り、望み通りに忌むべき輩を取退け深く深く悦び入り候事に候。
官位を解くの事も、急速に取計らい候よう、過日より度々申し聞かせ候ところ、ようやく承知いたしくれ、喜悦の事に候。
重々不埒の国賊の三条はじめ取退け、じつに国家のための幸福。
このうえは朕の趣意の相立ち候事と深く悦び入り候事。
和州浮浪の一件も【注三】、容易ならざる事、右はどこまでも追討申しつけ候。
すみやかに下知これあり候よう、浮浪も真実の朕の意を相立て候わば、依頼にも存じ候えども、三条はじめ暴烈に随従し、じつに罰すべき者に候。早々追討のよう分けて存じ候。
長州父子は温純の人ながら、藩士の暴烈おびただしく、右は厳重に罰したきことに候。
各々精勤を頼み入り候。
これまで度々、暴烈を取退けたき段、各々へ申し聞かせ候えども、
一向応ぜず、深く朕の身に迫り難渋のところ、今日の姿に相成り、安心の事に候。
今度召し候諸藩の上着のうえは、朕の趣意貫徹を祈り入り、とかく末の見留なく暴烈にては、後患これあるべく、深く深く心配の事に候也。
 右大臣
 尹 宮
 前関白
[引用終了]


ご覧の通り孝明天皇は、公家の三条実美以下長州藩士やその周辺の浪人共を国賊扱いしています。
つまりこの後、明治の元老と云われるようになる連中を、孝明天皇は、幕末の時点で反日売国奴として認定し、切り捨ててます。中でも三条実美に対しては名指しで国賊としています。

もう一つ同じく『いがぐり史料館』京都守護職始末1から孝明天皇が島津久光(島津家は建前は孝明天皇の叡慮である公武合体推進派でした。なのでその建前を信じてしまっていた孝明天皇は島津家を信用していました。)に与えた叡慮ある宸翰も一部ご覧ください。これによっても孝明天皇が、三条実美以下暴徒らの事を激しく嫌っていた事がうかがえます。
二十九章 「御宸翰ならびに御製賜う」から一部引用(長いので一部引用。全文興味ある方は『いがぐり史料館』
http://igagurisiryoukan.blog.fc2.com/ でお読みください。


[引用開始] 
去る八月十八日、脱走の実美以下七人は、じつもって暴激、私情のみの人体、往来苦心し候ところ、すでに脱走後も種々の姦策をめぐらし、じつもって害の基に候えば、急度(きっと)厳重の処置に致したく存じ候。
これによって、まず帰洛致させ候上、厳重に後禍にならざるようの手段を内談じ依頼し候。
なにぶんこの姿にては、じつにせんかたよろしからずと内心心配し候。
なにぶん大胆の輩故、厳重になくてはいかがかと深く存じ候。
復職などの沙汰もこれあるやながら、決してなるまじく候間、猶、美策これまた頼み候事。
[引用終了]

ご覧の通りこれが天皇の叡慮です。


で、もう一つ、同じく『いがぐり史料館』http://igagurisiryoukan.blog.fc2.com/ 、今度は京都守護職始末2の 二章 「将軍家望外の恩遇」から文久四年一月二十七日、征夷大将軍徳川家茂が孝明天皇から下された宸翰を一部引用しますが、これも価値が高いので全文を是非『いがぐり史料館』でお読みください。


[引用開始]

あにはからんや、藤原(三条)実美等、鄙野の匹夫の妄説を信用し、宇内の形勢を察せず、国家の危殆を思わず、朕が命を矯(た)めて軽率に攘夷の令を布告し、みだりに討幕の師を興さんとし、長門宰相の暴臣のごときは、その主を愚弄し、故なきに夷舶を砲撃し、幕使を暗殺し【注三】、ひそかに実美らを本国に誘引す。かくのごとき狂暴の輩は、必ず罰せずんばあるべからず。

[引用終了]

以上、これが明治朝廷なる西南政府の馬鹿デカイ声によって心身ともに掻き消されてしまった聖上孝明天皇による本当の声なき声です。日本史上最悪の国賊と言ってもよいのが、この三条実美と、その周辺に生息していた猿に等しい輩共でしょう。

これら暴徒に暗殺された孝明天皇は、今、不幸にも平安神宮に祀られてます。京での最後の天皇と言う事で、平安京初の天皇である桓武天皇に付随された形でついでといった感じで祀られてます。しかも三条実美の子孫が、平安神宮の神主を勤めてるようですね。罰あたりにも程があります。
このままでは、日本国に神の御加護もあったものではないでしょう。明治以降の日本が常に反日売国奴の国賊共に支配され続ける起因の一つが、この事からも充分伺えます。
また三条実美は、明治政府の右大臣、太政大臣、内大臣、臨時に総理大臣等までをも歴任しました。大層なものです。


この三条実美の幕末当時の黒幕が誰かと言えば、武家七百年間を逆恨みし、武家日本を全否定して止むことのなかった久留米水天宮神官の老害真木和泉と、その手下の長州藩久坂玄瑞らです。これらが畏れ多くも天皇の言葉を偽り、偽勅を作り、日本を破壊する為の反日工作をしていました。これらは最終的に禁門の変で天皇に弓をひき日本を乗っ取ろうとする日本史上最悪の悪逆を起こすが失敗します。するとまるでその責任から逃れるかの如く自害します。
また、この三条実美の黒幕であるこの賊らを祀る為に創建されたのが、あの靖国神社です。…罰あたりにも程がある…。
この国賊神社が存在するかぎり孝明天皇はあの世で苦しみもがき続ける事であろう。その限り日本民族も孝明天皇と共に苦しみもがき続けては平穏が訪れる日は来ないであろう。
我々日本民族の心は、孝明天皇が西南人によって暗殺されたその日、孝明天皇と共に暗殺されたのである…。日本を覆い尽くす西南人による闇、この闇による反日売国国賊行為を綺麗さっぱりすっきりと取り除き排除しない限りは孝明天皇が成仏できる日は来ないであろう。

それにしても孝明天皇の素晴らしい先見性はどうであろうか。明治になるとこの国賊共は正体を現す。この賊らによって日本と朝鮮との同化をさせられてしまうと、日本民族の生命財産は好き勝手に奪われ、朝鮮半島等のインフラ作り、投資に利用されては、賊らの為の金儲けの道具とされてしまう運命となるとは…、挙げ句に更なる反日売国勢力を生産し続けられては、その勢力を日本の社会の隅々にばら撒きつくされてしまった、そして賊はそれらにマッチポンプ役(裏稼業や合法犯罪)を担わせると、恐怖で日本民族の心を縛り付け、永遠に日本人から生命財産をむしり取る為の仕組みを作り上げたときたもんだ。
孝明天皇の叡慮に従っていたらこんな事にはならなかったはずだが、残念ながら無残にも日本は国賊に乗っ取られてしまってる現状である。

日本民族よ!
そろそろ成り済まし体制である明治朝廷なる西南体制を打ち砕け!
そして孝明天皇の叡慮であった公武合体政策を速やかに実行し、日本民族による大同団結を貫徹し、日本に仇なし、日本民族の財産生命を略奪し続ける、この日鮮同祖体制を維持推進し続ける悪逆非道なる同和民族(西南人と朝鮮人)共を下関の海に叩き沈めるんだ!!


《同盟兄弟ぶろんぐ》


極右翼勢力


在特連