ポルトベーリョ Memorial Hondon | Always Smile ♡ 私のチクチク日記

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2024年、4年間暮らしたサンパウロから本帰国しました。まだまだ、人生波瀾万丈。
日々のできごとやパッチワーク、ゴルフのことを書いたブログです。
怒っても1日、笑っても1日。どうせなら笑って1日を過ごしたいなぁ^^
 

おはようございますニコちゃん

 
今日は晴れ時々くもり晴れくもり
31度予想です。
 
ポルトベーリョからマナウスまで、約890kmのアドベンチャードライブが無事終わり、マナウスに着きました。
また、後日詳細書きますね。
 
 
さて、ポルトベーリョ観光の続きです。
中央市場の後は、Memorial Hondon へ行きました。
 

 

Rondon さんは、ホンドニア州の名前の由来となった方です。

 

 

ゴム生産が盛んだったころ、ボリビアからポルトベーリョ経由でゴムを運ぶため、鉄道が敷かれました。

その時使われた蒸気機関車がありました。

 

 

こちらは、かつての駅です。

 

 

こちらは、チャペル

 

 

これは、昔のアマゾナス州とマットグロッソ州の境界地点です。

以前はまだホンドニア州がなくて、マットグロッソ州でした。

 

 
 

マデイラ川の奥に見えるのは、サントアントニオ発電所です。

マデイラ川の上流には、ダムがいくつかあります。

 

 

ホンドンさんは、1865年生まれです。

40年間歩いてアマゾン開拓をし、電信機の敷設をしました。

 

 

また、アメリカのルーズベルト前大統が、アメリカの博物館に飾るために、ブラジルの野生動物を探しにきたのをお手伝いしました。

ルーズベルト前大統領は、この時にマラリアにかかり死にかけたそうです。

 

 

 

 

ホンドンさんがいなかったら、ブラジルの領地は

もっと少なくなっていたと、パネルに書いてあります。

 

 

 

電信機の中継地です。

 

 

ホンドンさんは、インディオに対しても優しく接し、殺すような事はしませんでした。

 

 

 

これが、電信機です。

モースル信号を送る機械です。

 

 

 

ボリビアでもゴムが作られていた事、海のないボリビアがポルトベーリョまで鉄道で、そこから船で運ぼうとしていたこと、ホンドンが電信機をアマゾンに敷設しこと、アマゾンの大部分の領地を取られずに済んだことなど、色々勉強になりました。

 
 

 

 

 

 

 

では、みなさま今日もすてきな1日を~。クローバー
 
 
 
 
今日も読んでくださり、ありがとうございます。

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