秋の夜長のショーケン話

https://www.youtube.com/watch?v=GnMQ1FyZu3k&list=RD7O2DTbH3v3A&index=3
この感じのライブは1980に宇都宮でみました

愛猫を失ったせいか、過去を振り返ることが多くなった秋の日。どうせなら盛大に過去を振り返ってひと段落しよう。そう考えてしつこいようだけどやっぱり今夜も「ショーケン話」

俳優のショーケンもいいが、やはり生のステージをみられるという点では、僕は断然“ロッカーのショーケン”が好きだった。特に上の「youtube」の「最後のウェスタンカーニバル」の頃。1979年〜1980年のショーケンが僕の中では一番カッコよかったと思っている。まあ、自分が生でみたからなんだけれどね。

上の動画のナンバー「ローリング・オン・ザ・ロード」は、翌年1980年7月29日に「ドンファンロックンロールバンドツアー」を宇都宮市文化会館でみました。その時は友だちの「新一郎君」と一緒に東武線に揺られて「南宇都宮」で降り「宇都宮市文化会館」でワクワクしながらみました。あの会場はちょうどいい広さで、ステージも低くて最高にみやすかった記憶があります。

めくるめく街、浅草

https://www.youtube.com/watch?v=5eAIDRuIqLU
初めて生でみたショーケンのステージが最高すぎた

ライブをみた順番は前後しますが、記念すべき“初めて生でみたショーケン”は1979年12月31日浅草国際劇場「ニューイヤーロックフェス1979〜80」でした。高2の大晦日に、やはり「新一郎君」と東武線の始発で浅草に向かいました。1979年の浅草は田舎者の僕たちからするとキラキラしていた「ワンダーランド」でした。ビールを出していた、酒臭い「牛丼の吉野家」正月料金で通常料金の2倍だった喫茶店。(当時は地方もみんなそうでした)「傷痍軍人」を装った「救世軍」の「社会鍋」が結構あって、片足がない軍服を着た人がアコーディオンを弾いていたりしてました。田舎の高2には目に入ってくるもの全てが衝撃的で忘れもしません。

ケミカルジーンズとタクティクス

六区にあった「浅草国際劇場」に着いた僕たちは、早速チケットを買うために並びました。当時は「チケットぴあ」などもなく、(あったのかもしれないが、僕たちは知りませんでした)当日売りが全てでした。かなり前の方に並ぶことができました。トイレに行きたくなったら交代で行こうぜと決めていましたが、集中していたせいか一度もトイレには行かなかったです。列のトップには同年代の男の子二人。その次は“横須賀から来た女の娘3人組”そして僕たち“田舎から来た二人組”だった。その横須賀の娘の1人が可愛くて、あれ以来「横須賀の娘は可愛い」と僕の脳に刷り込まれてしまった。(結構そんなもんだよね)

先頭の同年代男二人は、常にこちらの二人組を意識していて、常に目が合うと睨みつけていた。(あの頃ってそうだよね)朝から並んで絵退屈していると、いきなりちょっと年下の「高1か中3くらい」の小綺麗な男の子が僕たちに馴れ馴れしく話しかけてきた。まるで友だちのように。そしていろいろ話していると僕たちのところに割り込んできたのである。前の横須賀姉ちゃんたちは、
「ずっこい!」とこちらに聞こえるように言っていたが、僕たち田舎者はどうすることもできずにそのまま迎え入れてしまった。内心、
「やっぱ、東京の子は違うな」と感心していたのである。

それと、当時「ケミカルダメージのボンタンジーンズ」と、男のコロン「タクティクス」が流行っていて、列からはタクティクスの香りが漂っていた。そして「横須賀姉ちゃんたち」はケミカルボンタンジーンズだった。ちなみに僕は、どこで買ったんだ?「コーディロイ黒のパンツ」と「ビニール製うんこ色ダウン風ジャケット」カッコ悪かった。自覚していたので恥ずかしくてしょうがなかった。

生涯ナンバーワンのステージ

夕方になり、国際劇場の入り口に「内田裕也さん」が登場。上下ブラックの皮コートと皮パンツでカッコよかったな。そこで今夜の出演者リストが張り出された。そこにも「ショーケン」の名前はなかった。でも、僕には確信があった。
「絶対出る」と。

そしてチケットが販売開始され、(前売りもあったのかな。だよね)いよいよ会場へ。トップの男二人が意気込んでこちらを睨んでいる。年上の同い年くらいの男が、
「援護射撃頼むぞ!」と一緒にきた年下っぽい男の子に話している。それも俺たちに聞こえるように。これだ。都会の奴らはハッキリ言って、
“自意識過剰だ”このことに僕は高2で気づいた。すごくない?田舎者の呑気な僕は、内心、
「馬鹿か?こいつら」と思ってました。

みんな生で見て知った

さあ、いよいよライブが始まった。MCはなんと元「カーナビーツ」の「アイ高野さん」だった。「クリエイション」としても出てました。まだあのヒット曲「ロンリー・ハート」はできてませんでした。その後いろんなバンドを次々に生でみて、ものすごい刺激を受けました。枚挙にいとまはないが、凄かった。テレビに出ているアン・ルイス、桑野正博、ダウンタウンブギウギバンド、沢田研二、ジョー山中、元キャロルジョニー大倉、内海利勝などなど有名どころはもちろん「シーナ&ロケッツ」「RCサクセション」「ヒカシュー」「P-MODEL」などをすべて生で間近で見られたという経験は大きかった。忘れもしないのが、トップバッターの「パーティー」の「ストロベリー・キッス」田舎の高2がPAの大音量で聴いた初めての曲でいまだに歌えます。

深夜11時ごろからフジテレビでライブ中継されて、行きつけの喫茶店で知り合いたちはみていたらしい。

衝撃的だったPAの大音量

それからしばらくはショーケンのライブには行ってなかったのだけど、麻薬所持で捕まって「不起訴」になって拘置所から出てきた時に行った「読売ランドオープン・シアター・イースト」には行きました。これは友だちの「阿部」と。開演前から異様な盛り上がりで、パッと見で「組合の方」とわかる人が、
「ショーケン!ショーケン!」と叫びながら手拍子をしたのを合図に、会場全体が手拍子でショーケンの出番を待ち構えることになった。

照明が消え「2001年宇宙の旅」のテーマが流れ、
「マネージャーの桜井です!ショーケンが帰ってきました!」というMCでライブが始まりました。下の動画はおそらくその時のものだと思います。
「いや〜、このライブも最高でしたね」


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