2021年08月21日

ああ「風雲児たち」が・・・

 大河歴史ギャグ漫画(とでも表現するしかない)「風雲児たち」の作者である、みなもと太郎さんが8月7日に亡くなられていた、と報じられた。

「風雲児たち」
を知ったのは、高校時代(1983年ごろか?)だと思う。そんなに本屋に並んでなくて探すのには苦労したけど、潮出版の「コミックトム」に連載されていた。

 「コミックトム」の連載陣は多岐に渡っていて、

 「三国志」「項羽と劉邦」(横山光輝)
 
「T.Pぼん」(藤子・F・不二雄)
 「石の花」(坂口尚)
 「ヤマタイカ」(星野之宣)
 「ルードウィヒ・B」(手塚治虫)
 「無面目」(諸星大二郎)
 「グラン・ローヴァ物語」(紫堂恭子)


 などなど、ちょっと挙げただけでも個性的な作品が出てくる。
 
 そんな高校時代でも、既に「三国志」と「風雲児たち」はロング連載漫画として別格の存在だった。

 「風雲児たち」によって江戸時代以降で知った人物や、評価が変わった人物は多い。

 大黒屋光太夫の流離譚もここで知ったし、寛政の三奇人もそう。

 吉田松陰が諸国を旅をすると、70年以上昔に同じ尊皇思想を持っていた高山彦九郎の足跡を知る事となる。それで彼の戒名にあった
「松陰」を名乗る。

 このエピソードを知らなかったので、自分が20〜30年前に読んでいた高山彦九郎編から時が流れ、吉田松陰編に至り両者が「松陰」で繋がった時、戦慄が走ったよ。

 また、はっきりと田沼意次の時代が続いていたら、日本の開国も早まり蘭学者も迫害されず、産業も米から商工業へと移行して行けただろうに、と大変高い評価をしていたのが自分としてはコペルニクス的変換の衝撃だった。

 その他、歴史は流れだと強く感じさせることが多かった。

 福島へ10年前に出張した時、会津藩の悲劇の原点となる
藩祖・保科正之の墓所へ行ったのも「風雲児たち」を読んでいたから。

 
そもそも幕末を知るためには、関ケ原の戦いから遡る必要がある、と言う発想・構想が凄すぎる。

 しかも、それをこてこてのギャグで表現してるのだ。時代と共にギャグも廃れたりするから、その解説をワイド版の巻末にページを設けて説明・解説する有難さ。

 幕末編も進んでこれからと言う所で、現在連載されていたリイド社の「コミック乱」で1年以上休載されてて心配してたのだけど、連載開始から42年にして未完と言う大変残念な結果となってしまった。

 まだ74才、早過ぎる。
 生前語っておられた通り「五稜郭の戦い」まで描き切ってほしかった。

 ありがとうございました。お疲れさまでした。
 合掌。


(2021.9.4追記:ご逝去の記事をリンクしてましたが消滅してしまいましたので、事実上の公式サイトである、

「風雲児たち長屋」を紹介しておきます)
  


soraumi_meet at 10:44│Comments(0) 日記 | 乱読感想文

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