謹賀新年、防衛増税で失われた40年へ、厚労省の無駄遣い、集団マスクという犯罪的行為、独り言、他 | 誰もが心に日の丸を

誰もが心に日の丸を

英霊を顕彰しよう。私達も、祖国を守ろう。

日本は一家。日本人は皆、兄弟。
一刻も早く、拉致被害者全員を取り戻そう。
さあ、新憲法を制定しよう。
前文、9条を潰そう。
日本を 名目上から、実際の独立国へ。
『戦後』に負け続ける祖国を 私達が止めよう。

 

三、なすび

 

 

明けましておめでとうございます!

 良い初夢を観られましたか。

 

 

 防衛増税で、失われた40年へ まっしぐら。びっくり

 嗚呼! 日銀実質利上げが先か!

 先ず、私は、左翼の様に、防衛費増額に反対する立場では無い。

 しかし増税は、不景気が続く温床に成ろう。

 私自身は、元が貧乏過ぎて何も変わらないが。

 世間は、敏感に反応するから。
 頭の良い方々は、財務省の悪知恵と言う。

 その財務省が、厚生労働省をコロナで無駄遣いするなと叱った時の資料が、以下のリンク先。

 

 

 そして、そのリンク先の資料から切り抜いた、次の図だけでも、しっかり見ましょう。

 

財務省
 上差し 開示されてるデータ自体が、その国の姿勢を現してる。
 
 
 日本人が大好きなアメリカ人、アメリカ合衆国がワクチン先進国で、日本は一所懸命に追っかけてるんじゃ無かったっけ?
 私自身、驚いちゃったけど、ここで大事な事は、コロナワクチンがアメリカの陰謀では無くて、この結果がアメリカ人のキャラクターで、ちゃらんぽらんなんだよ!

 因みに、必要回数!の接種完了率は、アメリカ 69.5% 日本 81.9% 全世界 65%

 死亡者総数は、アメリカ 110万(人口 3.3億) 日本 5.8万(人口 1.2億) 全世界 670万(人口 78億)

 感染者総数は、アメリカ 1億、日本 2.9千万、全世界 6.6億。

 日本がアメリカだったら、一日もコロナ禍など、存在しなかったでしょう。

 
 
 それで、欧米ではコロナを追わなくなったのに、日本人は、なぜマスクも外せないのかと、考察を色々と見る様になったが、為に成らない物ばかりが、私の感想。
 曰く『世間が強すぎる』『思いやりの気持ち』他、色々でマスクを外せないと。
 先ず私が思うのが、これは答えが出ません。
 取材すれば、一応の応えは集められるけど、それは答えでは無いだろうし。
 だから考察するのだが、見てると、幸せな考察だなあと、感想を持つ物ばかり。
 どういう事かと言えば、他人を自身と大して変わらない考えの人々として考察してるって事。

 もっと色々な人々で溢れてるでしょ!

 そして、私は他人と違う考えの持ち主なのが大前提で、日々、苦しんでるのに。
 人生が上手く行ってる方って、周りに似た者が集まってるんだと思う。

 設定された世間に多様性が無い。

 では、私が、どう考えるかと言えば    

 現状、マスクを外してる方は確かに増えた。

 屋外だけで無く大規模店内でも外しちゃってる方を結構、見る。
 そして、もう、マスクを外して接客する小規模店も増えた。
 もちろん、最初からマスク無しの接客で貫いてる個人店も存在するが。
 私が利用する店の一つで流れる案内は、マスク未着用の者に咳エチケットを促す内容なのだが、本来これ以上の事を促しては成らないでしょう。
 もう一例、夜中に公衆便所の前にタクシーが数台、止まっていて、会社は、それぞれだが内一台に運転手が乗り込んで話しているが、マスクなんて、してないよ。

 もう、流石にバレてる方にはバレている。

 しかし一方、夜中に外を一人で歩く者でも、しっかり着けてるのも居る。
 では、なぜ着けているかと言えば、

新型コロナウイルス感染症が、怖いからでしょう。

 それ以外の事を述べて、どうするのか。

 ごめんね、こんな下げで。
 詰まり『世間が強すぎる』も『思いやりの気持ち』も、建前に過ぎない。

 そもそもマスク着用は、世間が勝手に始めた事。

 そして店頭からマスクが消えてしまう。
 それでアベノマスク配布が決定。
 そうして緊急事態宣言解除〈→延長〉の時、外出(経済活動)を促したい安倍総理が、マスク着用に触れる。
 
 他方で、外出それ自体が悪いわけではありません。人との距離を十分に保ち、マスクを着用する。そうした予防対策を講じながら外出できる。そうした日常を、専門家の皆さんのアドバイスの下に取り戻してまいります。
 もう一度申し上げますと、外出それ自体は全く悪いわけではないということであります。
 
 しかし、この時の尾身茂会長は、マスク着用を かなり限定的にしか勧めなかった。

 

 3つの基本的な原則といいますか、基本は何かというと、これは1つ目はよく言われる、今、一番大事なのはフィジカルディスタンス。今、ソーシャルディスタンス、社会的隔離と言っていますけれども、我々は少し社会的隔離と言うと何か分断しているようなので、フィジカルディスタンスを取るということが極めて重要です。ワクチンがない今のこの状況で感染症対策に最も大事なのは、感染しているかもしれない人とそうでない人の、これはもうずっと古典的にそうなのです。これが一つ、フィジカルディスタンス。
 それから2つ目は、実は、マスクについてはいろいろな見解がありますけれども、最近になって、これは我々も学びつつ動いていますので、マスクについても比較的、当初は余り効果的ではないということですけれども、最近になると、この感染症の難しさがはっきり分かってきたのは、一番症状が出る、出ますよね。感染して症状が出る2日ぐらい前と、感染をして直後、この数日ぐらいが最もウイルスの排出量が多いのですね。したがって、まだ症状が出ていないうちに人に感染させるということがはっきり、前から、もう当初から我々はそういうことがあるのではないかと思っていましたけれども、かなりはっきりしてきた。
 そうすると、症状がないわけです。せきとか何かがないのにほかの人にうつってしまうという可能性があるので、ここでマスクが。実際にマスクの使用というのはそこが極めて重要です。したがって、距離が遠い場合はいいですけれども、実際に対面するときも、会話するときも、なるべく正面に向かないで。時々は、だけど、会話するときは正面を向いてやらざるを得なくなりますよね、日常では。そういうときにはマスクをしていただきたいということが第二の原則です。
 それから第三の原則は、これはもう極めて有効なのは手洗いと。この3つのことをじっくり守って、あとは現場のいろいろな状況にそれを応用する、工夫していただくというのがいいのではないかと思います。

 これ、マスクの勧めですか?

 勧める言い訳です!

 尾身会長が、悪びれずにマスクを促す様に成るのは、この時よりも後の事。

 
『 元々、世間が勝手に始めた陋習だ。
 マスクは効かないと言った所で聞く耳を持たれないから。だったら、いっそ促した方が、丸で国民を従わせてる様で気分が良い 』

 上差し 勝手に尾身氏の頭の中を詮索した。

 そして、実は非常に大事なことだと思うので繰り返すが、マスクを着けるのは新型コロナウイルス感染症が怖いから、それから新型コロナウイルスワクチンを打つのも新型コロナウイルス感染症が怖いからで、全く自身の為です。

 それを 感染拡大防止の為と言ってマスク着用を押し付けたり、愛する人の為にワクチンを打ちましょうなんて言っては、駄目です。

 しかし現実は、例えば、かつてのマスク警察、彼らが正義から行動していたと思いますか。

 そうでは無く、自身の恐怖心が抑えられなくて、感染拡大防止という名目を正義に傘として、狂っただけでしょう。

 そして、コロナは怖くないと結論を得たならば、マスクもワクチンも不用です。

 もし実際に外で一人でマスクを着用している方に尋ねてみても「怖いし、皆まだ着けてるし、念の為」というのが、素直な言い分でしょうね。

 あとは、別に何も考えず、何とも思わず、真似して着けてるのが大半でしょう。予防予防予防予防予防予防予防予防予防

 そもそも、マスク着用を不快に思ってないのでしょう。

 もう、心地良くって、いつまでもマスクが流行っていて欲しいと思ってたりしてね。

 

 

 

 

 

 下差し 世間の方が、より狂ってるのを確認すべし。

厚生労働省 マスク着用について
 
子どものマスク着用について
 

 

 

 それで、叱られて、それでも御抱えの専門家は、まだ5類に下げられないと報告して、厚生労働省は、令和五年四月に下げる積もりだと。

 既に5類の脅威も無いと思うが。

 しかし多くの国民がマスク姿で応えてるんだぞ!

 ほぼ考えの無い大衆が皆マスク姿で目立つから、連中も安心して愚策を弄して税金を盗んでいく。

 

 コロナ禍に於けるマスク着用の問題は、何も考えず思わず真似して着けてる大衆が、丸で集団で意思を表してるかに見える事。

 

 

 

学ぶ

 
 
 
 いつからか、送迎バスが職場に着くのが遅れがち。

 マイカー通勤が、増えている。

 そして、サッカー・ワールドカップを通して、緩和された。

 大衆なんて、こんなもの。

 
島
 
 

 さて、気になった、この話題。昨年11月    

 

 

 

 運転手が失神した原因までは特定されないでしょうけれど、マスク姿で急激に苦しくなった経験が有る私としては、マスク着用を原因と疑って欲しい。

 本当に、マスクに因ると思われる事故が、小五の児童の死亡事故一件なのが、私には不思議。

 と、考えるのだが、続きの報道も無い。

 

 

 

 下差し 私がマスクで意識が飛びそうになった話あり。

 

 

 

2022.10.21 

 

 上差し 新型コロナウイルスワクチンを打った後に死亡した被害者の遺族会が結成されたニュースだが、他に報道したマスコミは無いのでは。

 マスゴミどもめ!

 

 ワクチンを打てば死者が出て、急造のワクチンなら尚更、多くの死者が出て、しかし因果は認められないのは、これまでと一緒。

 

 

 しかし、今回は、その先に、遺族会が結成された。

 これが、これまでとの違い。

 インターネットの力でも有るが、もしワクチンを打つ前に活用していたら、打たない選択が出来たか、どうか。下差し

 

2022/01/04 

 上差し 出来なかったでしょう。

 

 

 

2022.10.28 

 

 上差し なんと、マスクを外したまま対局していたって事で、佐藤天彦九段の反則負け。予防予防予防予防

 大人って、馬鹿?

 マスゴミが、主なスポンサーだからかなぁ。

 

 

 

 

 下差し 佐藤天彦九段のツイッターから。

この度は先日の順位戦で下された裁定について皆さまにご心配をお掛けすることになり申し訳ございません。私の振る舞いに至らない点があったところは事実で、そのことにより皆さまにご心配を頂く事態になったことを心より申し訳なく思っています。

 

その上で、今回の裁定に納得がいかない部分もあります。また、この臨時対局規定を適用された当事者として、今後改善されたほうが良いのではないかと考えている点もあり、それを文書にまとめ、連盟にも通知いたしました。ご一読いただけましたら幸いです。

 

なお、この書面は私の主張を連盟に申し伝えるためのものであり、永瀬王座に対し何かを申し上げる意図はございません。加えて、感染症に対するマスクの有用性自体を論ずるものではありません。また、私自身は対局に際しこれまでマスクについて何らかの注意を受けた事実はないことをご承知おきください。

 

 色々な方が反応したなあ。

 反応した方々には「マスクなんて無効なのに」が、思考の根底に有るが、佐藤天彦九段の抗議は、規定の運用のみに絞った物。予防予防予防予防

 今や、マスク着用にて対局するのが、ファンサービスなのだろうか?

 

上

 

 

 上差し 結局、前記事を投稿してからも、参政党の動画ばかり見ています。

 全く、サヨナラ出来ません。

 否、最近は流石に見なくなって来たか。

 困った事に、コロナ禍は間違った施策からとの認識を持つ政党が、参政党の他に見当たらない。

 詰まり、早くとも四月までは、間違った施策が続く。

 参政党の動画を見て嫌なのは、コロナワクチンを打たなかった者を『気付いた人』『目覚めた人』と、言われてたりする所。

 私、打ってませんけど、別に気付いても目覚めてもいません。

 そういうキャラだから打ってないんです。

 でも、それが大事なのですけど。

 キャラが違えば、肉親をワクチン接種で亡くしても、接種を選択するのです。

 

 

 

 

大

 

 

 母が亡くなりました。

 令和4年9月27日(火)午前1時40分、死亡確認、

だったかな。

 9月27日は、妹が母の最期を看取ろうと退院させる予定の日、そして私のコロナ隔離解除の日だった。

 それから、世間では故安倍元総理の国葬儀の日。

 ここで、報道では国葬と言われていたが、政府が言うには国葬儀で、国葬とは区別されると。

 何が異なるかと言えば、国葬儀は国葬と違い、国費は使うが、国民に喪に服する事までは求めないのだと。

 日本国って、姑息だ    

 さて、だから、きちんと国葬儀を追いかけられてません。が、しかし、母が亡くならなければ、唯の平日であり出勤してるので、少しは追い掛けられた環境だった。

 それで丁度、献花の場面を見た時、

『 流れ解散なのかな? 』

と、思っちゃったよ。

 無宗教形式とは、一体、何なのか。

 自衛隊の弔砲と音楽と、黙祷と献花ですか。

 加えて、映像の上映と、追悼の辞と。

 坊さんを呼びたくないだけか。

 特定の宗派の坊さんへ 布施を税金から出すのが問題か。

 母の葬儀は、真言宗で行った。

 普段、坊さんから、実家の周りには他に檀家は居ないと聞いている。

 詰まり近所の方々とは皆、宗派が異なる。

 しかして、当たり前だが、トラブルは皆無だ。

 私には、無宗教形式も 変な宗教にしか見えないのだが、違いますか。

 母の葬儀周りの事も書き残しておこう。

 令和4年9月27日(火)午前2時、電話のベルが1回だけ鳴る。妹が連絡しようか迷ったらしい。

 午前5時40分、数分前に起床していたが、妹から電話。

 午前6時30分、職場に電話。

 午前10時過ぎ、和歌山、駅に迎えに来ていた妹の車に乗り込む。聞くと既に母の遺体は実家に安置されたと。父母は葬儀屋をあらかじめ決めて前金を出してたからか早い。

 実家に着くと、近所の婆さん達が待っていて、蝋燭も線香も灯ってないまま、母と対面してもらう。

 思うに、ここが最も故人と向き合うには良い機会だ。

 葬儀屋(斎場)の都合で通夜が明日、葬式が明後日に。

 職場には、金曜まで休むと伝える。

 結局、私にとって、生前の母との最後は、前記事に在る、9月9日(金)10日(土)11日(日)の病院での面会だった。

 私は近所の婆さん相手に、母に最期だと伝えた上で話をしたいと言ってたのだが、止められて実行しなかった。

 妹は、少しでもリハビリに成ればと母の体をいじるのだが、母は「もういい。もういいよ」と言って痛がるだけだった。

 結局、何も話せなかったな。

 母も最期だと察してただろうに。

 さて、より前、8月25日に、母は、四回目のコロナワクチン接種を済ませたが、29日に発熱してコロナ陽性と成る。

 老人ホームの職員から移されたのだが、これで老人ホームを責める家族は居ないと思う。だから、隔離して利用者と家族を会わせない対応を止めてもらいたい。

 人と話していても、どこの老人ホームも家族を締め出す対応で、それでも職員からコロナが蔓延したとの結果が、ほとんどセットの話に成ってる。

 だったら、もう、無理な事は、しないで、コロナ禍以前の普段通りに戻して欲しい。

 

 老人ホームの隔離を望んでいる入所者と利用家族は架空の者で、実際、居ないと思うんだ。

 

 さて、葬儀は父の時と違って、斎場は小さく、家族葬で行った。丁度良い規模だったと思う。

 香典は受けない。ここは父の時と同じ。

 家族葬と言っても、家族は妹と二人で、残りは、殆ど近所の婆さん達だ。

 それと、一人ずつ、近所とは言えない婆さんと、妹の友人。

 私は、ずっとマスクを着けなかった。

 外したい方が居るかも知れないから、これは譲れない。

 坊さんは、読経時、外してる場合も在り着けてる場合も在りだった。

 ところで、日本人、あまりに宗教を遠退け過ぎやしないか。

 この事とマスクを外せないのと、関連が有るのではないか。

 マスク着用に関しては、科学的だと主張する立場も有るが、実際の着用のされ方は、至って非科学的だ。

 コロナを『 穢れ 』と捉えてる?

 困った事に、宗教を遠退けながら、日本人の信心に囚われてる最悪の状況。

 

 

 

 

 
 最後に伝わらない独り言。
『国家安康』『君臣豊楽』の銘で有名な鐘から啓示を受けたと感じて、ノロノロと行動したが、もう終わり。ゲームオーバー。
 次のプレーヤーに伝えた積もりだが、行動しないと思われる。
 もう、鐘が直々に裁けば善い。知らんけど。
 

 

三、なすび 黒白