日本の3月というのは、寒暖の落差や気圧の変動で自律神経のバランスが崩れやすく、心身の不調を起こしやすい。あと花粉が激増する。
もうね、今年の花粉症が酷いの何のって、薬をうっかり飲み忘れると、満員電車の中で悲惨な状況となる。マスクをしているので即座にハンカチを使うこともできず、突発的にマスクの中に流出し続ける・・・以下略。
母も鬼の霍乱ではないが、首の横が腫れて、ものを飲み込む際に喉に違和感があるというので、先日某総合病院で、診察と検査結果を聞くため2回にわたって受診したという。母の場合、基本病院は付き添いなし(拒否)でひとりで行く。
そこでの受診体験談を聞いたのだが、ひじょうに珍奇というか面白かったので、それを備忘録として書いておく。
総合受付での診察で甲状腺の腫瘍かも(だいたいが良性らしい)、ということで、壮年の穏やかな医師に外科で受診するように言われる。
外科で呼ばれて診察室に入ると簡易ベットがあるだけの部屋で、ナースは「上半身の服を脱いで下着でお待ちください」と言い残して去ったまま、10分以上放置されたという。レントゲンでも撮るのかとイライラ(超せっかち)待っているとナースが現れ「すみません上着を着て診察室に入ってください」と。
何のために脱いだのか不明のまま、上衣を着て隣の診察室に入ると、「見るからに今風の薄ら生意気な態度の若造医者」(母の主観的印象)が待っていたという。
「よろしくお願いします云々」と挨拶して向かいの椅子に座ると、医師は黙ったまま綿で患部を拭いた後、おもむろに注射器を取り上げ、首の腫れた部分に計4箇所、針をぶっ刺したそうな。
3箇所目を刺したときに思わず「痛い!!」(敏感かつ痛がり)と叫んだところ、その医師は
「音を出さないでください」
そこまで話してきた母に「声じゃなくて音を出すなって?」と聞き返したところ、「そうよあんた、音を出さないでください、って言ったのよ」。ちなみに母の聴覚は呆れるほど正常。
ギャハハと笑い出した私に、アラナインの母は「もう人間扱いじゃないのよ。こんな大年寄りは生きてても無駄な物体って思ってるわけ」
その受診の間に医師が発した言葉は「音を出さないでください」のみであったという。あとはナースに細胞検査の結果(何の説明もないので母の推測)を聞くために次回の受診日を予約させられて帰ったそうな。
で、2回目の受診日。
外科の診察室に入り、挨拶をして例の医師の前に座ったところ、しばらく待っても何も言わないままなので
母「検査結果はどうでしたか?」
医師「針、刺したでしょ」
母「・・・(コイツに何を言っても無駄と、会話への意欲が消滅したという)」
そこまで聞いて「え?それだけ?説明は?」と問うと
母「それだけよ。針を刺して検査したけど何でもなかったし、どーでもいい(独自解釈)、ってことでしょうよ」
私「えーそうなの?、インフォームド・コンセントを軽く蹴り飛ばしてるのが凄いわ!」
母「コンセントだか何だか知らないけど、モノ扱いってことは分かる」
私「確かに度外れて失礼だわ、ウッフ」
母「要するに年寄りが多すぎる、さっさと逝けって話よ(超解釈)」
2回にわたる一連の珍察でその医師が発した言葉は
「音を出さないでください」
「針刺したでしょ」
という二言であったという。
通常の日本語でのコミュニケーションをかなり逸脱した言語表現の使い手ではある。それが彼の歩んできた環境的背景によるものか、経験的なものか、性格的なものか、様々な要因の複合的なものか、あるいは意図的な選別的対応なのか‥‥等々、勝手にいくらでも憶測できるが、あくまで想像に過ぎない。
母の解釈による高齢者物体扱いなのか、「痛い!」への報復なのか、通常のスタイルなのかは不明だが、現時点では母や私レベルの者には想定外の斬新な対応である。その後腫れも引き、母の怒りも苦笑いに収束したようだ。
言語というのは、コミュニケーションの手段として使う場合、人間同士が、種々雑多な情報や意見や感情を伝達し、互いの理解を深め、つながりを築くための最重要なツールのひとつであることは確かだ。
しかし同じ言語ツールを共有はしていても、搭載している言語システムは一人ひとり個別のもので、けっして他者と同じではない。さらにコミュニケーションの手段として使うにはダイレクトに感情が伴うので、時と場合によってはかなりブレの大きい面倒なツールにもなると考えている。
ツーカーの仲でない限り、せめて誤解を最小限に抑えるためにも、丁寧かつ丁寧な言語使用を心がけるに越したことはない と、しみじみ思う今日この頃。