でた!そば粉と米粉のパンケーキ!砂糖ゼロのメープルシロップがけ。うまみ! この投稿をInstagramで見る jun_Cairnsさん(@jun_cairns)がシェアした投稿 - 2019年Oct月6日pm10時02分PDT
「自然の中で、太陽の光は、植物の緑になる。それを光合成と言う。太陽光線を植物の葉がキャッチ... この投稿をInstagramで見る 「自然の中で、太陽の光は、植物の緑になる。それを光合成と言う。太陽光線を植物の葉がキャッチすると、光は葉緑素になる。だから植物の緑は太陽の光なのだ。緑は光。 その光を僕たちを食べる。それが生命のエネルギーになる。 (空飛ぶブッダ・正木高志:著) 「この世に存在するものは、全てエネルギーである」 というのは、スピリチュアルでは言われてきたことと思うのですが、最近では量子力学でも言われていますね。 とかくスピリチュアルは論理的でないと言われがちですが、量子力学によって論理的に説明されても、それを信じるかどうかは別の話のようです。 実際、自分も頭では分かっていますが、 「この世は全てエネルギーという波動」 ということを「リンゴが木から落ちる」くらい信じられるかというと難しい。 でもね、これは避けられないと思っています。 僕たちが肉体を持っている以上、五感のバイアスから完璧に自由にはなれないわけで。 だから、 信じられるだけ、信じればいいのかなと。 いや、「感じる」感覚かな。 「食べ物をいただく」という感覚があります。 「生命をいただく」という感覚。 この世のものすべては波動という生命体だから。 それ、忘れちゃうんだよね。 よく忘れちゃうから、自然の中に入ったりして思い出す必要があるのかも。 jun_Cairnsさん(@jun_cairns)がシェアした投稿 - 2019年Sep月21日pm6時51分PDT
「よい」「わるい」「害虫」という言葉があります。また、「バイ菌」や「雑草」という言葉... この投稿をInstagramで見る 「よい」「わるい」 「害虫」という言葉があります。 また、「バイ菌」や「雑草」という言葉があります。 どれも、あまりいいイメージはありませんね。 ところが、どれも自然の中では必要なものです。 自然は「いい・わるい」という一義的なジャッジをしないのですね。 つまり、「害虫」や「バイ菌」「雑草」というのは、人間視点の呼び名なわけです。 以前のブログでも書きましたが、「害虫」はむしろ僕たちを守るために野菜や果物を食べて、土に還すという見方もできます。 「バイ菌」も腐敗させることで浄化作用と考えられますし、「雑草」も土に栄養分を提供し、肥沃にするためとも言えるのです。 ある存在を「絶対的に悪い」とは言えないはずなのですが、いつの間にそのような言い方や判断をしてしまいます。 それはなぜなのか? ここをちょっと考えると見えてくることが多いですね。 jun_Cairnsさん(@jun_cairns)がシェアした投稿 - 2019年Sep月19日pm4時15分PDT
︎ポエム的つぶやき︎自分で自分を苦しめていたそれに気づかなかったいや、気づきた... この投稿をInstagramで見る ⭐︎ポエム的つぶやき⭐︎ 自分で自分を苦しめていた それに気づかなかった いや、気づきたくもなかった 苦しい自分を見つけても きっと、黙っていた それは誰かに操られていると思っていた あの人が私を縛っていると思った あの人から離れれば全てが解決すると思っていた 違う 実は自分だった 苦しめていたのは「自分」だった すごいショックだった 受け入れがたいレベル 信じられない まさか自分が自分の敵だったなんて 時間はかかった でも、ゆっくりと受け入れていくと 心が、体が、 ありがとうって 小さな声が、 ひとつひとつ重なっていくような心地よさ そうか 思ったように生きていいんだ そうか そうか 私は叫びたくなった すぐに叫んだ 自分の体だもの 声だもの 人生だもの jun_Cairnsさん(@jun_cairns)がシェアした投稿 - 2019年Sep月18日pm8時03分PDT
ふと、思ったんだけど、自分がSNS始めたのって、確実にオーストラリア来てからなんだよね。... この投稿をInstagramで見る ふと、思ったんだけど、自分がSNS始めたのって、確実にオーストラリア来てからなんだよね。 1995年から豪州に住んでいるので、SNSどころかメールさえ、まだまだ普及していなかった頃。 ということは、FB含むSNSの活動って、日本の生活ベースにの発信でなく、オーストラリアの生活・経験がベースになった発信をしてきたんだな〜 と。あらためて、思った次第。 海外に住む、から始まったオージー・ライフも、今やここオーストラリアがリアルな生活空間なんだよね。 そりゃ、感覚ずれてくるよなあ〜 シドニーについて、まずしたことは歩くことでした とにかく歩く。 無目的に歩く。 それまで、意味・効率・目的で生きてきた自分を、根本的にリセットしたかった。 初期化したかった。 それに、土地勘を体に染み込ませたかった。 それで、知らない街を、直感的にとにかく歩いたわけです。 これは、今でもそうで、新しい街につくと歩きたくなります。 特に歴史のある街は、歩いて気づくことが多いですしね。 歩くって、最初はちょっと面倒くさいってあるんです。 それが、不思議に歩き出すと、不平が、「どうせなら楽しもう」になっていく。 その感じが、人生そのものだなって、思うんですね。 まさに、ある登山家の言葉です。 そこに山があるから登る。 意味なんてないんです。 山があるから登るんです。 人生も、ここに人生があるから生きるんです。 だったら、楽しく生きよっと、って腑に落ちたんですよね。 子供の頃は、全然響きませんでしたけどね。 は? 山があるって、だから目的聞いてるのに。そもそも答えになってないし、って。 このメッセージから、自分が受けたのは まず自分がハッピーになること。他人との比較ではなく、自分だけは幸せって思えるものを見つけること。 そうすると、自分にとっての場所ができる。 そうすると、そこからスタートできる。 歩いてると、学び多いです。 jun_Cairnsさん(@jun_cairns)がシェアした投稿 - 2019年Sep月16日pm4時46分PDT