(7月16日記)


本書は、刀工(とうこう)、刀鍛冶(かたなかじ)という職人のエッセイです。

エッセイといっても、内容の大半は、自分の仕事に関すること、刀工としてどう生きてきたか、生きているか、でした。

日本刀。

皆さんは、この鋼(はがね)の芸術品に対して、どのような感慨を持っていますか?

昨今、主として若い女性の間で日本刀の鑑賞ブームとか、はたまた、『エヴァンゲリヲン』との関連も語られているようです。若い女性と日本刀ねえ、珍しい取り合わせです。

著者は1968(昭和43)年生まれでしたが、刀工になろうと発起したきっかけは、大学生の頃に、東京国立博物館で国宝の「城和泉守正宗(じょういずみのかみまさむね)に出会い、こんなに美しい刀があるのかと衝撃を受けたことでした。

卒業後、一般企業に就職したものの、短期間で退社し、親方の宮入行平(みやいりゆきひら)氏に弟子入りしました。

住み込みで給料なし、休日は親方の気分次第という、今ならブラックと呼ばれても致し方ない条件です。本当にやる気があって、自分で何者かになりたい、何かを成しとげたいとなれば、これもよし、となるのでしょう。

弟子の生活は想像以上に厳しいものでした。均一の大きさに作らねばならない炭切りから始まり、刀身の材料となる玉鋼(たまはがね)作りも、技を盗むのが前提です。手取り足取りではないところに、職人、それも暗黙知の部分が多い職人を感じます。

著者は5年目に、作刀を評価され、さらに外から通いの身を4年経て、別の地にて完全独立を果たします。

5年目に親方から刀工として名乗ることを許され、「晶平(あきひら)」としました。

その後、新作日本刀・刀職技術展覧会にて、経済産業大臣賞を3度受賞し、現代を代表する刀工・刀匠(とうしょう)の一人となっています。

作刀の情景が再三にわたって描写されていますが、夏の過酷さ、暑さ、熱さが伝わってきました。

刀工というのは、熱さ、暑さとの戦いでもあります。鍛造する刀を叩く度に飛び散る灼熱の鋼(はがね)、もととなる玉鋼(たまはがね)は常に赫々と熱せられている状態です。

飛び散る鋼で火傷しないため、厚い道着を着なければなりません。Tシャツ一枚などでは、とても務まる仕事ではないのです。

これを書いている本日、日本列島は猛暑に見舞われていますが、著者の作業場は、さらに暑いのです。

日本刀は、刀工・刀匠だけで完成するものではありません。鞘師(さやし)、研師(とぎし)、塗師(ぬし)、金工師(きんこうし)、柄巻師(つかまきし)など、その他のたくさんの職人がかかわって完成します。

そうして完成した現代の新刀(しんとう)を、わかりもせずに貶(けな)す、自称専門家も多く、著者は明解に批判していました。

この八方美人ではないところ、いいです。今の世は、自分がどのように見られるかばかり気にする人が増え、波風立たぬようにという思潮がありますが、人間が丸い・できてるのと、単に自分が可愛いだけで波風立てたくないので、というのは違います。

その点で、この著者の人間性は信用できるものでした。

著者は自分の作品を値切る人とは付き合わない、とも語っていましたが同感です。人の作品の価値を安く見るという奴なんぞ、さっさと縁切りせよ!なのです。

同じことではテレビ局の取材も「ただで」というのは断わっています。これは取材のために経費がかかっているので、それを払ってもらうのは当然ということです。テレビに出られる!というので何でも言いなりになってしまう、安い連中への警鐘でもあります。痛快でした。

著者は50歳を過ぎた頃から、弟子を育てたいと考えるようになりました。千年先に残る刀を作りたい、が、より発展したわけです。

また、日本刀の奥深さに興味を持ってもらうため、さまざまな企画を実行しています。刀工とはどんな仕事なのか、以外に生き方について、芯のあるものを感じました。

閑話休題。

私と日本刀についてです。

初めて日本刀の切れ味を知ったのは、小学校の1年生の時でした。この頃、母が通っていた日本舞踏の師匠の家でのことです。

同じ敷地内に師匠の娘の嫁いだ家もあり、そこの子どもが私より二つ上で、母が通う際に私も一緒に行くと、よく遊んだ相手でした。

その子が、ある日、二階の大きな和室に私をつれて、行き、床の間に飾ってある軍刀を見せてくれたのです。あの戦争の時に将校以上が佩用(はいよう)を義務づけられていた軍刀のことで、それは茶の皮鞘でした。

それも横に寝せてあるのではなく、縦に立て掛けられていました。おじいちゃんのだよ、ということで、彼はそれを抜くと、いきなり座卓にかぶせてある真っ白い布のカバーを5センチ程切ってみせてくれたのです。

私からすると、触れただけなのに切れた、という感じで驚きましたが、それ以上に師匠さんの家の物を傷つけたことが気になっていたのです。

私ではないとはいえ、一緒にいたことで母に迷惑がかかるのではないかと気にしていました。

日頃から母には「他人に迷惑をかけたらダメよ」と言われていた私は、小さいのに自己規律が厳しく、母に叱られたことが一度もないくらい「母の言うこと」は守っていたのです。

切った本人は、平気だよなんて笑っていましたが、私はその家からすれば他人なので気にしていたのです。

その後、野蛮なオヤジが「なんとかに刃物」で日本刀を持つようになり、床の間に飾っていましたが、学生の頃はこれを持ち出して木や枝を斬っていました。

本当によく斬れました。その後、オヤジが「こらあっ、きさまあっ。また父さんの刀で斬ったなあっ」と刃の汚れを見て切れていました。こちらも本当によく切れました!

不思議なもので、日本刀というのは、持ってみると無性に斬りたくなります。そんな危ない面もあります。

さらに時代を経て、ヤのつく自由業の幹部になると、拳銃以外に、白鞘に入った日本刀を用意することになり、幾振りか買いました。

全て、教育委員会に登録した物で、標準的な刀が2尺3寸・約70センチ程の刀です。
この時、研師(とぎし)に研ぎに出すようになりましたが、研ぎ料は1寸1万円で、1振り約20万円強でした。これは人によっても違うようですが、私は何であっても断じて値切らないので、他の人の値段は知りません。

社会にいた頃は、マンション、車、宝石、時計など、物の値段を事前に尋ねることはありませんでした。小さい時に一度、喰うや喰わずの貧乏をしたので、大人になったら物の値段、金のことなど一切に気にしない人間になると決め、それを実行したからです。

私の中では、その物の値段が気になるうちは、それを手にする資格はないというものでした。

さて、日本刀に戻りますが、日本刀と言っても、その時代によって違いがあります。

平安から鎌倉時代は長く、先にいく程、身幅は細くなります。鎌倉末期から南北朝になると、身幅が広く切先(きっさき)が大きくなりました。

日本刀の反(そ)りは、平安後期に登場し、それまでは直刀(ちょくとう)でした。真っ直(す)ぐな刀のことです。

室町までの刀を古刀(ことう)、幕末になるまでを新刀(しんとう)、幕末を新々刀(しんしんとう)と分けています。

現代は新作、現代刀です。

日本刀の美しさとなれば、究極まで突き詰めた機能美があります。

単に斬れ味というだけではない、見ていると魅了される美しさがあるのです。

その美しい刀が、鋼(はがね)から不純物を叩き落とす、鍛造から生まれます。

その叩き落とす過程は、職人の魂、厳しさの象徴とも言えます。なまぬるい生き方をしている者には、到底、成し得ぬ仕事です。

著者が第一人者になり得たのは、その日本刀に対する価値観の独自性にありました。

むろん、基本をしっかり身に着けた上での、独自性・独創性です。

著者は毎年、「最新作こそ今までの最高傑作」というつもりで作刀、コンテストに出品しています。

145ページに賞状を持つ著者の写真がありますが、その顔つきには、自信と、自身の信条とはこうだ!という静かな「きかなさ」が顕われていて、好感が持てました。

サインを求められると、「刀王晶平」と書きますが、この気持ちがいいです。

自分の仕事には、これくらいの自負と矜持を懐くべきです!

展覧会など、近年は増えているようなので、皆さんも是非、見に行って下さい。

刀工・刀匠たちの職人としての気概を感じられるかもしれません。感性によりますが。

少しつけ加えときますが、この国には日本刀にまつわる逸話にこと欠きません。

持つ人、全てに不運をもたらした「妖刀村正(ようとうむらまさ)」、戸棚に隠れた者を、信長が戸棚ごと斬り捨てた「圧(へ)しきり」、新選組の近藤勇(いさみ)の虎徹(こてつ)、ただし、これは偽(にせ)と言われてますが、同じく土方歳三(ひじかたとしぞう)の「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」、通称は「ノサダ」など多々あります。

『寺田屋事件』での近藤は獅子奮迅(ふんじん)の働きで、彼の刀だけがまともな状態、あとの隊士の刀は、歯こぼれはもちろん、曲がって鞘に入らないというありさまでした。

また、人斬りの土方の刀は、柄(つか)の中となる茎(なかご)が、斬った相手の血で腐りかける程ともされています。

日本刀の斬れあじの凄さは厚さ1尺、約30センチの碁盤をも真っ二つにすると言われていますが、見たいものです。

幕末の剣豪、榊原健吉(さかきばらけんきち)は、兜さえ両断したと伝えられています。ちなみにこの人の腕の太さ、なんと61センチ!でした。

あの重い日本刀を自在に操るのだから宜(むべ)なる哉(かな)というところです。

私の大好きな桐野利秋(としあき)は、軒から地面に雨垂れが落ちる間に、抜刀して鞘にしまう、これを3回できます。これも凄い技です。

剣豪の修行というのは、現代人からすれば度を越すものですが、何かをなさんとするなら、それくらいが普通ではないでしょうか。


今回の本は、
サムライ精神を復活せよ!
荒谷 卓
並木書房
2019-02-05



柳生兵庫助〈1〉 (文春文庫)
津本 陽
文藝春秋
1991-11T


※1巻から8巻まで。この夏、特に面白かった書!


です。


『髪にそよぐ、風のように生き、燃えつくした炎のように死ぬ』(ルイ・アラゴン フランスの作家)


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