先日、今年の春から滋賀県彦根市に引っ越した事をようやくAさんに伝えられた。

Aさん:『彦根って京都から近いの?』

私:『JRの新快速で京都から50分位かかるので、大阪から姫路くらい離れてますよ。』

関西住みのAさんには、その例えで十分に距離感が伝わると思ったのですが、彦根駅の隣が米原駅と言った途端、『むちゃくちゃ遠いやん!』って言いだした。

新幹線でしか聞かない米原を岐阜県と思っていたらしいのですが、大阪の人からは岐阜県がすごく遠いイメージなんですね。

米原から国道21号線を20キロ行けば岐阜県なので、意外と近いんだけどな。

 

今日は国道21号線で滋賀県と岐阜県の県境辺りまでカブで走ってみよう。

国道をトラックと一緒に走っても楽しくないので、できるだけ中山道の旧道を選んで走りたいな。

 

中山道61番目は、地蔵川の清らかな流れと百名水の醒ヶ井(さめがい)宿。

 

歴史資料館になっている旧醒ヶ井郵便局は1915年築のヴォーリズ建築。

ポストの横にそれとなく赤いカブを停めてみる。

 

60番目の柏原(かしわばら)宿の特産品は艾(もぐさ)だ。

 

伊吹もぐさ亀屋佐京商店の創業は1661年。

福助人形のモデルになった福顔の番頭さんがおられたとか。

歌川広重の木曽街道六十九次 柏原にも福助人形が描かれている。

 

 

59番目の今須宿から難所の今津峠を越え、58番目の関ヶ原宿を通過する。

 

57番目の垂井宿は中山道と脇往還美濃路が交わる大きな宿場町だった。

旅籠の亀丸屋さんは1777年の創業だ。

数年前は営業されていて、ココから写真を撮っていたら、女将さんに呼ばれてお茶を御馳走になった。

 

垂井から引き返す前に、1986年に廃駅となった新垂井駅に立ち寄った。

蒸気機関車時代の1944年に大垣と関ヶ原間の急勾配緩和の迂回線に作られた駅だ。

 

以前は線路の左側にホームが見えていたけど、今は立ち入り禁止で雑草に埋もれてしまっている。

 

関ヶ原合戦地の家康の陣地跡。

1600年9月、徳川家康を総大将とする東軍と毛利輝元を総大将とする西軍の合戦という事くらいは、戦国時代に疎い私でも知っている。

 

家康陣地から約1キロ離れた石田三成の陣地の高台からは合戦場を見渡す事ができる。

今日も数人の歴史マニアと思われるおじさんをお見掛けしたが、この聖地にはロマンを感じるな。

 

今日の一番の目的地は、名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠跡。

終戦まで使われていた大日本帝国陸軍の火薬庫で、玉の火薬庫と呼ばれていた施設だ。

衛門の門柱と立哨台が道路脇に残っていて、この先が軍の敷地。

 

施設の敷地はかなり広く、かつてのメナードランドも基地の敷地跡にあった。

関ヶ原鍾乳洞へ向かう道沿いに、洞窟式火薬庫が残っている。

 

敷地内には約50か所の火薬庫があったそうだ。

第5火薬庫には説明パネルの展示があって、庫内を見る事も出来る。

 

 

施設マップが分かりやすい。


 

私は歴史建造物などが大好物ですが、今回の戦争遺構は知りませんでした。

意外と近いと思っている岐阜県でも知らない場所が一杯あって、もっと面白いものがあるんだろうなと改めて思いました。

 

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