夏休み、お盆休みの思い出 | 魚鱗癬(ぎょりんせん)と闘う日々

魚鱗癬(ぎょりんせん)と闘う日々

魚鱗癬という皮膚の病気(国の指定難病に認定されています)を知ってもらいたくて登録しました。上手く書けませんが、何か一つでも伝わり、そして多くの人に病気を知ってもらいたい。そう願っています。内容が暗くならないように心がけます。よろしくお願いします。

ご訪問ありがとうございます。

 初めてご訪問された方は、以下の記事を先にお読みいただけると幸いです。

初めてご来訪の方へ

私が働いている会社はお盆休みありません。

休みたい人は年明けに休暇申請して抽選で当たれば休んでいる感じです。

私は逆に会社に行っている方が良いのでカレンダー通りのお休みにしています。

 

小学生の時、親が当時、自営業をしていたのでお盆休みは3日間。

お盆休み2日目に、父方の祖父母と従弟と、2箇所のお墓参りに行くのが恒例でした。

一箇所は祖母の本家のお墓。もう一箇所は祖父の方のお墓。

朝早く起きて行って、モーニング食べて解散。

解散後は買い物行ったりしていたかな。

 

お盆休み前までは、母方の祖父の家に行き、従妹と過ごしていました。

花火鑑賞目的が一番だったので7月の終わりぐらいから行っていたのかな?

お盆までには自宅に帰ってきていました。親が迎えに来てくれていました。

今では橋が出来て車でスッと行けますが小学生の時は一旦、従妹の家に寄ってから、船に乗って行っていました。

祖父が船の会社の元社員だったので無料で乗船。顔パス。USJでいう順番待ち回避付き。

普段食べられない、揚げたての唐揚げ、天ぷら。そしてタコ焼きなど食べるのが楽しみだった。

不器用だったので、タコ焼きうまくひっくり返せなくて笑われたっけなぁ~~~

祖父は家のこと全部出来る人だったので、天ぷら揚げる鍋やたこ焼き器、そして材料全てそろえて待っていてくれた。

私と従妹が思う存分楽しんだ後は、嫌な顔1つせずにお片付け(洗い物も)してくれていた祖父。

従妹はお皿洗い手伝っていました。

私は割れ物を触れないし持てないのでお手伝いは一切しないでお客さん気分でした。

 

そういえば島祭りに合わせて遊びに行っていたかも。

目の前でドデカい花火が上がっていた。耳ちぎれるかというぐらい大きな音だった。

 

自分が高校生になった年(次の年かも?)、何かの事情で親の引率なしで、従妹と2人だけでバスに乗り祖父の家行った。

橋が開通したばかりでバスも新しかったです。たった一度だけでしたが、よく覚えています。

もう自分は高校生でしたが、冒険気分で楽しかったです。

その時はカレーを焚いて待っていてくれた祖父。

泊まったので次の日は肉じゃがが出てきた・・・・

祖父は今で言う料理男子でした。

味もそうだけど見た目にこだわる人で、お刺身買ってきても、お店屋さん?というぐらい

お皿に綺麗に盛り付けて出してくれていました。

大人になってから一度お泊まりしましたが、その時は缶酎ハイの横にコップ置かれた・・・・・

缶酎ハイ、基本うちでは缶のまま飲むのですが・・・・・

 

夏休みは7月の終わりから8月いっぱいまでありました。

学校も特に楽しかったわけじゃないので、お休み期間中、お出かけした際は目一杯楽しんでいたと思います。

今は祖父も他界していないし、親戚も居ない(お盆が稼ぎ時の職場の人ばかり)ので遠出することがなくなりました。

 

就職してからはお盆、年末年始以外で休暇を取って楽しむようにしています。

今年は勤続お祝い休暇もあったので2回休暇が取れます。

社員全員がもらえる休暇は後2ヶ月後です。コロナ感染者、少しぐらい収まっていると良いなぁ~~~

ではまた・・・・・・

 

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