最近の思考 | ぽっちゃりPTの臨床奮闘記                          〜未来を担う子供たちにとって夢のある職業に〜

ぽっちゃりPTの臨床奮闘記                          〜未来を担う子供たちにとって夢のある職業に〜

理学療法士として病院で勤務しています。
私の夢は「将来を担う子ども達にとって夢のある職業にする」です。そういった夢を叶えるため、日々の臨床での悩みや考えたことその他もろもろをアウトプットしていきたいと思います。

こんばんは星

 

今日は久しぶりに今の考えというかまとめてみようかなと思います

 

 

よく、もっと良いもの食べたいとかお金持ちになっていい生活がしたいなど言う人っているけど

 

 

そもそも、それって今の生活自体を謳歌できていないんじゃないかな

 

 

普通に朝・昼・夜ってご飯が食べれてそれ以上を望むこと自体が結局は格差を生んだり、差別を生むんだろう

 

 

結局は自分の人生に責任も持てないし、腹に据わることも出来ず、他者と比較して人生を全うするのかもしれない

 

 

確かに、私が言う食事がどの程度を言っているのかはわからないし、どれくらいがいいなんてのも言えません

 

 

ただ、私自身は高級料理を食べたり、高級車に乗ることが幸せだとは思わないし

 

自分がそういったものを常に欲しがった時点で負け組だと思う

 

そう思った時点で自分はそうはなれないし、焦りや不満などが出てきて

 

 

結局同じだけど他人と比較して自分を良くしようとする

 

 

比較ならまだましだけど、他人を落として自分を優位にすることでその焦りや不満・不安を補おうとする

 

 

いわゆる、普通になる勇気がないんでしょうね

 

 

でも、そういった他人を落として自分を優位にすること自体が普通以下にしてるって気づかないといけないと思うけど

 

 

できないんでしょうね

 

 

 

人生を考えたときに、他者と比較すること自体が根本的に違うと思う

 

 

人生は私1人にしか価値観を導き出せないから

 

 

だって、生まれる時代も生まれる場所も生まれる性別も選べない

 

ただし、この人生は絶対的なものというのは確か

 

ということは、人生というものは絶対的だけど

 

その時代や場所などは選べないし、理由なんて考えてもでるわけがない

 

ようは他者と比較すること自体、無意味なんだと思う

 

自分の人生はこれしかないし、これ以外はありえないという絶対的なもの

 

 

それに、生まれる時代や場所・性別も選べないんだから

 

 

もしかしたら、自分は私ではなくあなたになっていたかもしれないし

 

 

あなたは私になっていたかもしれない

 

 

そこに理由なんてないし、気まぐれみたいな感じなんだと思ってみるといいかもしれない

 

 

そう思って今の人生を考えると

 

 

結構、気楽にかつ真剣に自分の人生を謳歌できるんじゃないかな

 

 

だって、人生は絶対だけど気まぐれなんだから

 

 

今日はこのへんで。。。

 

 

 

んじゃねん音譜