「お年玉切手シート
1枚しか当たらなかったわ!」
早朝に親父殿からの電話で叩き起こされた。
どうやら朝刊の『お年玉付き年賀はがき』の
当選番号で、早速年賀状を確認したらしくて
その、1枚だけ当たったという年賀状は息子
(吾輩の弟)から来たはがきであったらしい。
1等
「EJOICA(イージョイカ)セレクトギフト」
(31万円分)
6けた 757462
2等
ふるさと小包など
下4けた 6335
3等
お年玉切手シート
下2けた 60、58、50
毎年、年賀状に一喜一憂している親父殿の
姿を見るにつけ長男の吾輩は思う事がある。
一見、くじの当たり外れを気にしている様な
呟きだけれど、本当はそんな事より自分が
貰った年賀状の枚数に向けられてるんじゃ?
年賀状ってやつは子供時代から現役で働いて
いる頃をピークにして以降は段々と出す枚数も
貰う枚数も減ってくるものじゃないかなって思う。
我輩だって会社勤めをしていた頃は毎年200枚
以上年賀状を書いて(というか印刷して)いたが
今ではその三分の一に満たぬ枚数に過ぎない。
年上である先輩や上司から頂く年賀状は勿論
一度仕事を辞めてしまえば部下や後輩からも
自然に減っていって何時か年賀状と共にその
関係性まで「自然消滅」してしまうものらしい。
長年辛苦を伴にして培って来た(と自分勝手に
そう思い込んでいた)関係や絆みたいな思いも
実は相手からしてみたら結構ウザく煩わしくて
所詮は単なる『仕事上の付き合い』に過ぎぬと
否応なく思い知らされる瞬間であったりもする。
親父殿もまた吾輩も、同じ様に年賀状は毎年
「出した枚数」より「貰った枚数」の方が少ない。
それは気にしても仕方無い事だし自然な事だ。
でも、御年93歳の親父殿にしてみれば、当然
既に親は存命しておらず、存命の兄弟も減り
勿論知古の友人も既に鬼籍に入られた方の
数の方が遥かに多いのだから、今では殆ど
外出もしなくなった親父殿にしてみれば例え
それが儀礼上の付き合いでしかないとしても
年賀状を頂くという唯それだけの事が我々の
想像より遥かに大きな意味を持つのであろう。
かく言う吾輩も又『寂しくなく歳を取って行ける』
自信など微塵程も無いのだが、果たして・・・?
(⌒-⌒; )