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以下の文章は2011年10月3日に書いたものをコピーして掲載しています
上海の中心にある人民公園に続く福州路には書道用具店が何軒もある。ここにある書道用具店は個人経営がほとんどだが、以前表通りの河南中路にあった老舗の筆屋である「周虎臣」も「曹素功」と一緒になって店を構えている。ここは「朶雲軒」と同じ数少ない国営店である。
以前河南中路にあったころの周虎臣はよい筆を売っていたし、日本人もあまり行かなかったので値段が安く、上海に行くといつも買いにいっていた。他の業種同様国営店は企業努力をしないため、次々個人営業の店に客を奪われ、衰退の一途をたどっている。
この頃は個人営業の店でかうことが多いが、筆は産地が近いせいか、種類も多くなかなかよい筆が安く買える。福州路には墨の博物館や大きな本屋もあり、2・3時間の散策にはもってこいである。また福州路を出て、河南中路を左折してすぐのところに西泠印社もある。
中国を代表する書道用具店は、北京の栄寶齋であるが、二番目は上海の朶雲軒である。ここは福州路から200mくらいのところに平行してはしっている南京東路にある。上海一の繁華街で、車を入れない「歩行街」にある。朶雲軒に初めて行ったのは1973年3月である。
改装を重ね、近代的なビルになったが、今では高級みやげ物や風でつまらない。軽く覗くがほとんど買うことは無い。朶雲軒は数少ない木版水印印刷の出来る店で、詩箋の原譜である『蘿軒変古箋譜』を出版している。私が買った30年前は35000円であった。それが今年の夏には1500000円になっていた。
上海の個人営業の書道用具店の主人が言うことには、70万で売れないから100万にし、100万で売れないから150万にしたのだという。国営店だから売れなくてもつぶれることはない。値段を高くすれば、それだけの資産を店が持っていることになる。実勢価格はよくわからない・・・
上海の書道用具店はみな歩いて10分くらいでいけるところに集中しているので、事前に調べてから行けば安く用具・用材を買うことができる。
キャンベラにあるトルコ料理店 結構うまい クリックで写真拡大
以上の文章は2011年10月3日に書いたものをコピーして掲載しています。
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以下の文章は2012年10月3日に書いたものをコピーして掲載しています
収 蔵 品
書や篆刻を自分でつくるものにとって、収蔵文物が必要かどうか・・・。多くの文物を持っていても、自分の作品制作に生かせない人、なにも持っていなくても優れたものをつくる人などいろいろである。
生活の中に書がなくても、生きていくのに困ることはないが、生活に潤いが生まれるのはたしかである。書家が文物を持つのも同じである。私が18歳から師事した保多孝三先生は、世間の高名な書家が持つような文房具や印材をあまり持っていなかった。買っていたのは勉強に必要な本だけであった。
弟子は師匠に似るものだが、私は学生時代からあちこち出かけていたので、いつしか適当に安い文房具や文物 (骨董品) を買うようになっていった。安いといっても当時の自分の収入からすれば月収の半分くらいのものもあった。
今、自分を振り返ってみると、芸が小粒なのは、この文物の買い方にもあらわれている。よいものを自分で持っているということは、勉強する時の意識が違う。分かっていながら生活優先で、使うお金が中途半端だった・・・
22歳の時、高貞碑と乙瑛碑の拓本(清代)を入手した。今なら二つで50万位の値がつくマアマアの拓である。もちろん二玄社から出版されている拓には少し劣るが、原拓の迫力は持った人にしか分からない。精拓を持っている人はたえずそれに接することが出来るのである。
知人に呉昌碩や趙之謙の書画を持っている人は何人もいる。私も若い頃、香港で何度も機会があったが買わなかった。持っている人にとっては、呉昌碩や趙之謙は博物館で見るものではなく、自分の書斎で見る身近な存在なのである。
東梨房には、数万から数十万の価値のあるものは沢山ある。しかし一品数百万するものが何もない。それだけセコイものしか身近に置かなかったから、芸が小粒になってしまったと思っている・・・
これから書道や篆刻を専門的にやりたいという人にアドバイスしたい。最初に「月収の2・3倍の硯や拓本を買ってみろ・・」、「印譜や印を買ってみろ・・」といいたい。
息子は仕事と関係ないオートバイを二台持っている。給料4か月分である。仕事としてやるのに、20万、30万の硯が高いと思う人は、その程度の思いいれしかないいうということである。
上海では今、よい印泥はいくら高くても売れるという。10両(300g) が西安の大学の先生の給料より高い。日本で3万円ー5万円というと高いといって買わない篆刻家・・・ (所詮その程度か・・・)
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東京湾岸地区 木更津から東京駅に行く時バスで通っているあたり 東梨房主人撮影
上海 味千ラーメン シシャモ アイス
味はなかなか美味い (日本料理店)
私が書道を始めたのが高校1年の三学期。二年間で親に買ってもらったもので記憶に残っているもの。唐筆3500円、1800円。日本の篆刻 (本) 5000円。硯6500円など・・・ ちなみにこの時の高校卒の初任給は15000円位。みな親が無理をして買ってくれたものである。物事最初がカンジン。
娘は高校卒業時まで、毎年海外に遊びに連れて行っていた。(15-6回) 大学を卒業と同時にオーストラリアに渡り、試験で現地の教員資格を取り、中学校で5年間教諭 (英語で数学を指導) をし、今はオーストラリア国立大学 (世界ランク20位くらい) で講師をしている。
息子は小学校4年生の時、西安の警察射撃場で拳銃を撃たせてやったり、ケアンズでライフル銃を撃ちに連れて行ったりした。小学校の体験が影響したかどうかは分からないが、今は陸上自衛隊にいる。(銃を撃つ普通科連隊ではなくヘリ部隊)
以上の文章は2012年10月3日に書いたものをコピーして掲載しています。
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2022年10月3日
三遊亭円楽師匠がお亡くなりになった。私と同じ年である。3度集中治療室に入り生還した方である。病院で注射をした先生が
注射 いたくない ですか?と聞いたら、病院に いたくない と答えたという。
私は高校時代、授業中に落語全集8巻を読み、東京にいくたび上野鈴本演芸場などに行っていた。大学に行ってからも新宿や浅草、池袋などにも落語を聞きに行っていた。
私の自慢の1つは、〚人形町末広亭で8代目桂文楽師匠の落語を聞いたことがある・・〛である。人形町にあった寄席は江戸時代から続く客席が畳敷きの珍しい寄席で、桂文楽師匠は当時を代表する落語家だった。55年前の話なので今の多くの落語家も知らないだろう・・
私が篆刻家を続けるうえで一番お世話になったのは精華堂の佐藤一行社長である。佐藤社長は話がうまく、書道団体から講演を頼まれたり、書家の祝賀会などで来賓祝辞などを頼まれたという。
若い頃講釈師(講談師)から話し方を学んだという。私は31歳から教壇に立っていたので、話し方を学ぶつもりで寄席に行っていた。間のとり方 の勉強には落語を聞くのが一番である。
今でも関西に行くと必ず〚吉本演芸場〛に漫才と新喜劇を見に行く。13日には4回目のワクチン接種する。久しぶりに浅草に落語を聞きに行こうと思っている。
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一日一刻 彭不去 【篆刻】
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上海の中心にある人民公園に続く福州路には書道用具店が何軒もある。ここにある書道用具店は個人経営がほとんどだが、以前表通りの河南中路にあった老舗の筆屋である「周虎臣」も「曹素功」と一緒になって店を構えている。ここは「朶雲軒」と同じ数少ない国営店である。
以前河南中路にあったころの周虎臣はよい筆を売っていたし、日本人もあまり行かなかったので値段が安く、上海に行くといつも買いにいっていた。他の業種同様国営店は企業努力をしないため、次々個人営業の店に客を奪われ、衰退の一途をたどっている。
この頃は個人営業の店でかうことが多いが、筆は産地が近いせいか、種類も多くなかなかよい筆が安く買える。福州路には墨の博物館や大きな本屋もあり、2・3時間の散策にはもってこいである。また福州路を出て、河南中路を左折してすぐのところに西泠印社もある。
中国を代表する書道用具店は、北京の栄寶齋であるが、二番目は上海の朶雲軒である。ここは福州路から200mくらいのところに平行してはしっている南京東路にある。上海一の繁華街で、車を入れない「歩行街」にある。朶雲軒に初めて行ったのは1973年3月である。
改装を重ね、近代的なビルになったが、今では高級みやげ物や風でつまらない。軽く覗くがほとんど買うことは無い。朶雲軒は数少ない木版水印印刷の出来る店で、詩箋の原譜である『蘿軒変古箋譜』を出版している。私が買った30年前は35000円であった。それが今年の夏には1500000円になっていた。
上海の個人営業の書道用具店の主人が言うことには、70万で売れないから100万にし、100万で売れないから150万にしたのだという。国営店だから売れなくてもつぶれることはない。値段を高くすれば、それだけの資産を店が持っていることになる。実勢価格はよくわからない・・・
上海の書道用具店はみな歩いて10分くらいでいけるところに集中しているので、事前に調べてから行けば安く用具・用材を買うことができる。
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収 蔵 品
書や篆刻を自分でつくるものにとって、収蔵文物が必要かどうか・・・。多くの文物を持っていても、自分の作品制作に生かせない人、なにも持っていなくても優れたものをつくる人などいろいろである。
生活の中に書がなくても、生きていくのに困ることはないが、生活に潤いが生まれるのはたしかである。書家が文物を持つのも同じである。私が18歳から師事した保多孝三先生は、世間の高名な書家が持つような文房具や印材をあまり持っていなかった。買っていたのは勉強に必要な本だけであった。
弟子は師匠に似るものだが、私は学生時代からあちこち出かけていたので、いつしか適当に安い文房具や文物 (骨董品) を買うようになっていった。安いといっても当時の自分の収入からすれば月収の半分くらいのものもあった。
今、自分を振り返ってみると、芸が小粒なのは、この文物の買い方にもあらわれている。よいものを自分で持っているということは、勉強する時の意識が違う。分かっていながら生活優先で、使うお金が中途半端だった・・・
22歳の時、高貞碑と乙瑛碑の拓本(清代)を入手した。今なら二つで50万位の値がつくマアマアの拓である。もちろん二玄社から出版されている拓には少し劣るが、原拓の迫力は持った人にしか分からない。精拓を持っている人はたえずそれに接することが出来るのである。
知人に呉昌碩や趙之謙の書画を持っている人は何人もいる。私も若い頃、香港で何度も機会があったが買わなかった。持っている人にとっては、呉昌碩や趙之謙は博物館で見るものではなく、自分の書斎で見る身近な存在なのである。
東梨房には、数万から数十万の価値のあるものは沢山ある。しかし一品数百万するものが何もない。それだけセコイものしか身近に置かなかったから、芸が小粒になってしまったと思っている・・・
これから書道や篆刻を専門的にやりたいという人にアドバイスしたい。最初に「月収の2・3倍の硯や拓本を買ってみろ・・」、「印譜や印を買ってみろ・・」といいたい。
息子は仕事と関係ないオートバイを二台持っている。給料4か月分である。仕事としてやるのに、20万、30万の硯が高いと思う人は、その程度の思いいれしかないいうということである。
上海では今、よい印泥はいくら高くても売れるという。10両(300g) が西安の大学の先生の給料より高い。日本で3万円ー5万円というと高いといって買わない篆刻家・・・ (所詮その程度か・・・)
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味はなかなか美味い (日本料理店)
私が書道を始めたのが高校1年の三学期。二年間で親に買ってもらったもので記憶に残っているもの。唐筆3500円、1800円。日本の篆刻 (本) 5000円。硯6500円など・・・ ちなみにこの時の高校卒の初任給は15000円位。みな親が無理をして買ってくれたものである。物事最初がカンジン。
娘は高校卒業時まで、毎年海外に遊びに連れて行っていた。(15-6回) 大学を卒業と同時にオーストラリアに渡り、試験で現地の教員資格を取り、中学校で5年間教諭 (英語で数学を指導) をし、今はオーストラリア国立大学 (世界ランク20位くらい) で講師をしている。
息子は小学校4年生の時、西安の警察射撃場で拳銃を撃たせてやったり、ケアンズでライフル銃を撃ちに連れて行ったりした。小学校の体験が影響したかどうかは分からないが、今は陸上自衛隊にいる。(銃を撃つ普通科連隊ではなくヘリ部隊)
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三遊亭円楽師匠がお亡くなりになった。私と同じ年である。3度集中治療室に入り生還した方である。病院で注射をした先生が
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私は高校時代、授業中に落語全集8巻を読み、東京にいくたび上野鈴本演芸場などに行っていた。大学に行ってからも新宿や浅草、池袋などにも落語を聞きに行っていた。
私の自慢の1つは、〚人形町末広亭で8代目桂文楽師匠の落語を聞いたことがある・・〛である。人形町にあった寄席は江戸時代から続く客席が畳敷きの珍しい寄席で、桂文楽師匠は当時を代表する落語家だった。55年前の話なので今の多くの落語家も知らないだろう・・
私が篆刻家を続けるうえで一番お世話になったのは精華堂の佐藤一行社長である。佐藤社長は話がうまく、書道団体から講演を頼まれたり、書家の祝賀会などで来賓祝辞などを頼まれたという。
若い頃講釈師(講談師)から話し方を学んだという。私は31歳から教壇に立っていたので、話し方を学ぶつもりで寄席に行っていた。間のとり方 の勉強には落語を聞くのが一番である。
今でも関西に行くと必ず〚吉本演芸場〛に漫才と新喜劇を見に行く。13日には4回目のワクチン接種する。久しぶりに浅草に落語を聞きに行こうと思っている。
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印の注文や、指導希望者は、左のラインから入り、
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