海山散歩人

古希を過ぎても、ライフスタイルは変わりようもなく、ジタバタしながら生きている高齢極楽トンボのブログです。

和田義盛一族の塚参り

2022-11-23 | 近隣散歩
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も後ひと月余りで完結を迎えます。

以前、ドラマが放映されているうちに謂れの地を訪ね歩いて、また他の地に行ってみよう思っているうちに、いつの間にか頭の中から意欲が薄らいでいた。

数回前の放映で和田義盛が亡くなった様子が記憶に残った。
勇ましく優しく巴御前と共に過ごす様子は武者とは思えない人柄を彷彿させて、侍所別当として慕われ実朝の信頼を一身に背負っていた。

武士社会のドラマでは良い人が滅ぼされることが多いが、それが実際の歴史なのだろう。(現代にも共通している社会はある?)

鎌倉駅から江ノ電で


家々の軒先をすり抜けるような電車は人気路線


和田塚駅、和田一族そのままの駅名称


駅から歩いてニ・三分、鎌倉駅から歩いても楽勝だったけど、つい習慣的に江ノ電に乗ってしまった。
 
少し小高い場所に「和田一族戦没地」の碑が立っている








見学と墓参を終えて地図を見ていたら、少し歩くと畠山重忠の墓もあるようで行ってみることにした。

住宅街の路地を抜けると近道のよう


鎌倉は狭い路地が多く、公道なのか私道なのか分からない小路が網の目のように存在している。
一説には、攻め入る敵を迷わせて混乱させたのではないかと云われることもあるが、それが独特の文化になっていたりする。

由比ヶ浜へ出る若宮大路に出て、歩道の脇にあった!と喜んだら畠山重保の墓だった。

畠山重保は重忠の嫡男らしい


何かおかしいなと思っていても、老眼で鎌倉幕府を考えながら先入観で地図を見るから勘違いする。
そして葉山町には畠山という山があり、畠山家の墓石も多いから三浦半島界隈に畠山氏の所領が存在したのかと思ったこともある。

主役の人物が多すぎて、細かく調べようとしても素人には調べ切ることも書くこともできない、頭の中が混乱してくる。

和田義盛の出身地は三浦市、鎌倉幕府の侍所別当を務めた三浦一族のNo1だったのだろう。
和田という地名は今も残っており、横須賀市との町境の海岸は和田長浜と呼ばれている。

10年ほど前シーカヤックでよく上陸した浜


この浜が長浜海岸で左に進むと、中央からは三浦市で和田海岸となるのです。

三浦半島は鎌倉幕府に謂れある地域が多いのですが平家に関わる場所も多く、歴史に詳しければ年間を通して退屈しない地域でしょう。

NHKの大河ドラマが地域を見直す切っ掛けになって、新しい興味が湧いて次は何処を歩こうかと考えています。


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