2016年6月16日木曜日

成人期ADHD当事者 執行泉さんの半生を観て


宗教家のすがいんです。


成人期ADHD当事者 執行泉さんの半生を観て
知ったつもりになるのが一番怖い。その時点で……

ここ数日、「ADHD」「発達障害」関連の動画を観ています。今日もまた。『 成人期ADHD当事者 執行泉さんの半生 』を観て感じたことを。15分53秒です。

無理解からの「 何で出来ないんだ 」という言葉

周りの人が普通に出来ることが私には出来ないと苦しんでいます。そしてそれを隠そうとしているということを今回の動画ではじめて知りました。

何と隠そうとしているのですね、必死に。そしてどんどんどんどん苦しくなってくる。

「 片づけられない 」「 段取りが組めない 」「 優先順位がつけられない 」

「 何で出来ないんだ 」と言われ続けてきた。本当に辛かったろうなぁと思います。

周りにたくさんの人( 旦那さんも両親も会社の同僚も )がいても、ただの一人も理解してくれないならば、それは孤独であり、より一層辛さを増すことになる原因にもなっていたのではと拝察します。

事実、病院に行けども自分の辛さすら表現できない、むしろ表現したところでまた怒られるという思い込みが、自分で自分の苦しみを表現させなかったのだろうなと。

あれだけ周りから「 何で出来ないんだ 」と言われ続けたら、そう思い込んでも仕方がないなぁとも感じました。ホントに辛いです。映像だとよ~く分かります。

やはり理解

わたしも、これらの病名や症状のことを少しずつ知るようになって、見方が変わってきました。自分にも当てはまるところもあったり……当然これからの接し方も変わってくるように思います。

理解がなければ、「 ? 」しかありませんから、周りと比較して「 なんで 」「 どうして 」でまた当人を苦しめる。そして接する側がそのような心持ちですと、どうしても出来ないところばかりに目が、心が行きがちになるのでは、ともあらためて思いました。

現に、動画の中でも言ってますね。「出来ている所もあるのにそこは誰も見てくれない」と。

周りが見ないということは、いよいよ自分も自分の出来ているところを見てやれない、思い込みにより見れなくなってくるだろうなぁと、それは容易に想像出来ました。人間ってやっぱり弱いなぁと感じました。

できたところを喜びましょう。神様は喜んでくださっておりますから。

師の言葉

師の言葉です。この言葉で救われた経験があります。一緒にできたところを喜んでくれるという安心感。そしてわたしの喜びになる。

今苦しんでいる人が渇望しているもの それは受け止めてもらったという自覚ではないでしょうか|宗教家の書くブログ 今苦しんでいる人が渇望しているもの それは受け止めてもらったという自覚ではないでしょうか

おわりに

とにかく知ることです。色々なケース、一口に「ADHD」「発達障害」と言っても、まったく同じということはありませんから、その人その人に向かって、どう感じているの分からないから教えて、というスタンスで一緒になって考えていくのが良いかと思います。

知ったつもりになるのが一番怖い。その時点で「 なんで( 出来ないの )?」が生れてしまうはずですから。

いかがでしょうか。



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