不育症 公的支援までの道⑤ | 不育症から3 Rainbow Kids mamaになれました◡̈

不育症から3 Rainbow Kids mamaになれました◡̈

2013年に後期流産(死産)と早期流産を経験。不育症検査・治療を経て3人のレインボーキッズのママになれました!
不育症の公的支援依頼活動・天使パパママイベントにも関わります。
お酒・甘いもの・鉄道・地元を愛す保育園ママ8年目・ワーママの日常を綴ります♡


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このブログでは、不育症や天使ママのこと
そして現在の自分のことを
ランダムに綴っています。

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不育症 公的支援までの道
(在住市で支援制度実現までのストーリー)



▷▶︎▷▶︎20153月〜4


この頃「不育症そだってねっと埼玉」は

2度の当事者交流会(お話会)を行いました。




✔︎中浦和「ヘルシーカフェのら」さん

ケーキセット美味しかった♡)


✔︎大宮「Borabora」さん

私がボラボラ好きで


どちらも子連れに配慮されたお店で

レインボーベビーを授かった方も

数名、参加してくださいました飛び出すハート





もちろん医療面での心理学に

精通した方からのサポートは大事。


だけどピアサポートに勝るものはない。


今風に言うと

『ピアサポートしか勝たん!

というところでしょうか。


あんまりこういうこというの慣れていないから

恥ずかしいわ(")


それを実感した交流の場となりました。




この後、不育症そだってねっと埼玉では

お話会などは開催しませんでしたが

議会での会派回りなどという形で


✔︎できる人が

✔︎できる時に

✔︎できることを


⋯のスタンスで活動してきました。




私自身は0歳児の育児があるし

育休中とはいえ、仕事の資格について

勉強しなくてはいけなかったので

この活動のしかたは、とても合っていました。




同時に私は、自分のできる範囲で

埼玉県や在住市に対して


「まだみんなが知らない不育症のことを

少しづつ知ってほしい」


と思い

少しづつですが活動を続けていました。




一例ですが


Facebookの地元コミュニティで

不育症そだってねっと埼玉としての活動や

在住市で行ったことを

ことあるごとに書き込んでいました。





地元の新聞社にも

活動の様子を取材してもらいたい旨

メールを送りました。




S玉新聞社には

たまたま夫のコネクションがあったため

手紙を書き、夫から記者の方に

手紙を渡してもらうようお願いしました。


⋯返事はありませんでしたが⋯泣き笑い




A新聞社支局にもメールを送りました。

その時は返事をくださったのですが

何かの選挙と時期が被ってしまったため


ぜひ取材させていただきたいのですが

〜選挙前のため、余裕がありません‼️


⋯という

大変率直なお返事をいただきました。




というか

今よりも不育症が世に知られていなかったこの頃

大抵の人には訳の分からない活動ですよね。




まずは返事をいただけたことが

とても嬉しかったです♡