施術者になると決めたとき
人に触れる仕事を選んだ時
捨てたものがひとつだけある
「登る」こと、即ちクライミングとボルダリング
全身が擦り傷や青アザだらけになるのも、爪が剥がれるのも全く厭わない自分の性格では
人さまの肌にふれるレベルの手のコンディションを保つのは難しいと思った。
大人になってから、
全身が傷だらけになって、血が出ても全く痛みすら感じなかったり、
汗と涙と鼻水で、眼前が見えなくなったり、
死の恐怖で全身が痙攣して動けなくなったり、呼吸ができなくなったり、
そんなに真剣に生きることって、ありますか?
私は、なかったです。
全てをやめてから、私は「生」に執着するためにクライミングをしていたのだと気付いた。
「それ」を一度でも自分の身に体感したら、毎日のどんな平凡な日常も奇跡に値するものだと、改めて気づき、感謝することができる。
ジーンズは破れ、全身に擦り傷ができ、血が滲んでいても痛みなんて感じないクライマーズ・ハイ
徐々に腕の痺れと脈が落ち着いてきて、
あぁ、今生きているんだと実感できる瞬間。
その忘れかけていた強烈な感覚を、鮮やかに思い出させてくれた映画が、目黒シネマで再上映された「フリーソロ」でした。
この映画の中で語られていた
主人公アレックスの言葉
「危険を冒すことで
安心感を得る」
「寿命を全うしようと思わない」
(長生きしようとは思わない)
「幸福な世界には何も起きない。
そこにいても何も達成できない」
死に向き合うと高まる五感、ひりひりするような生きている実感は、エクストリームスポーツをする人間なら誰しも感じたことのある、あの美しい瞬間を主人公は手にしています。
何を隠そう私も、物心ついた時から「寿命を全うしたい」と思った事はなく、長生きは出来ればしたくなくて、その価値観は子供を産んでも変わりませんでした。
なので自分の身体には世界一周が達成できる量のワクチンも盛大に仕込むし
不食(今流行りの断食ファスティングではない)も、極端なヴィーガンやフルタリアンもしたし
暴飲暴食して滝のように酒を呑むことも何とも思わない。
常人には理解しがたい危険を冒し、完全なる達成感を追い求めるアレックスと、穏やかで幸福な生活を望むサンニ(パートナー)のいかにも人間らしい感情のコントラストが美しくて「わかるわ…」とつい頷いてしまう。
幸福な世界=日本にいては何も達成できないと思って世界に出た私が
地球の裏側から日本へきたパートナーと出会い
妊娠出産は周産期医療の手厚い日本にどっぷりお世話になった
周産期母子医療センターやNICUを始めとした、ベビーを巡る事の全ては「日本で達成できたこと」のひとつ
今後の子育ては、ヨーロッパでもアフリカでも中南米でも、どこでも人生を楽しめるように、子供に言語やアートやクライミングを手渡して行こうと思う。
お客様がもしそんな話をお望みになるなら、そのヒントのかけらが人生を生きやすくしたり、毎日楽しくするエッセンスになれたら、これからも喜んでシェアさせてくださいませ。
世界で、日本で、出会ってくれてありがとう。
これからも、生を全うするまで、仲良くして参りましょうね。