2021年10月15日金曜日

感染症が流行する中で活躍し神様になった巡査



日本には唯一、警察官を祀った神社があります

佐賀県唐津市肥前町にある神社で、増田神社といいます

その神社には、若くして亡くなられた増田敬太郎巡査が祀られています

彼が活躍されたのは、日本でコレラが大流行している時期でした

いま日本でも新型コロナウイルの流行がありますので、今日はその神社の由来についてお話ししたいと思います

増田敬太郎さんは1869年8月10日、熊本県合志郡泗水村(現・菊池市泗水町)に生まれます

幼いころより体格は立派で、性格は温厚で誰からも好かれる人物だったそうです

増田さんは佐賀県の巡査教習所という現在の警察学校へ入所されます

そこでは教習課程があって、通常は三か月かかるのを、彼はわずか10日で卒業する大変優秀な方だったそうです

そのころ日本では日清戦争の終結があり(1895年)、多くの兵隊さんが戦場から帰国すると、コレラも持って帰ってくる事となり、全国的な大流行となりました

佐賀県の高串という土地でも、コレラが大流行してしまいます

当時高串を担当していた巡査は身体が弱かったそうで、県警本部では新任の中から適任者を探していました

その時に、成績優秀な増田巡査に白羽の矢が立ったのです

増田巡査は着任するとコレラの流行を抑えるため、様々な対策を講じ、住民に指導していきました

そしてコレラに感染して亡くなった方の遺体は、住民が移るのを恐れてそのままだったのを、増田巡査は遺体を消毒してむしろに包んで急な斜面を何度も登っては墓地に埋葬していきました

やがて着任してから三日後には、増田巡査もコレラに感染してしまいます

容体は悪化していき、自ら死期を悟った巡査は「とても回復する見込みのないことは覚悟しています。高串のコレラは私が背負っていきますから御安心下さい。」と言い残してこの世を去ります

この言葉通りに、猛威を振るっていた高串でのコレラは終息していきました

まさに最後の言葉通りに、ご自身でコロナをあの世に連れていったのでしょう

さらに後日談があって、増田巡査が死去した二日後に、コレラに感染した子どもを看病していた中村幾治という人の夢枕に、増田巡査が立ったと言います

その姿は白シャツ姿に剣を抜いた大男であったそうです

夢で増田巡査は「余はこの世になき増田敬太郎なるぞ、高串のコレラはわが仇敵にして冥府へ伴い行きれば安んじて子らの回復を待て、ゆめ看護を怠りそ」と言って消えました

中村氏は、その時にはまだ増田巡査の死を知らなかったそうですが、翌日になり、死と最後の言葉を聞いて、夢の内容と一致する事を知り驚きます

そして一生懸命に看病した結果、子どもたちも無事に回復します

彼のほかにも、増田巡査が現れた似たような夢を見たものが二人もいたと言います

村人たちの間では増田巡査が高串のコレラを終息させたと信じ、神様として思うようになりました

巡査の死後一か月して記念碑が神社の一角に建てられ、やがて人々の信仰が広まっていき、いまの増田神社となっていったそうです

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3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

感動いたしましたT_T
宇宙から来られた魂なのでしょうね。

この時代にも、実は密かに何処かにいたりして(°▽°)人知れず

匿名 さんのコメント...

感動的なお話ありがとうございます。
神になられたこの巡査さんのように、自分のためだけでなく他者のために、
現代の私たちも日々、行動しないとといけないですね。皆がそう心がける事によりこのコロナが終息するような気がします。

通りがかり さんのコメント...

泣きました。私は健康なのにこの世の為に何もできていない。申し訳なくて泣きました。

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。