断酒行脚(松村春繁) その 3 | 断酒てへ日常

断酒てへ日常

断酒を続けること、そのために断酒例会に毎日出席を続ける日々

 松村春繁の公演録からです。

 

 なぜ、断酒会などが必要か、病院を出てからも断酒を続けるためには、何らかのものが必要なのです、と言うのは・・・・

 

 病院で酒を止めてもらう。そして退院してくると周りの人も、もう酒を飲んではダメだ、と言ってくれる。でもだんだん月日がたってくると周りの人の関心も薄れてきます。「ちょっとくらいならいいだろう」と言うようになってきます。

 本人も退院するときは、飲まないと決断しているのだけど、人はいつまでも我慢し続けれるものではないのです。(松村氏は忠臣蔵の松の廊下で浅野内匠頭が忍耐の限界を越えたという例を挙げています)

 また少しだけ飲んでそれで辛抱できればいいのだけどそれができない、と言う特質についても言っています。

 

 なぜアル中患者になってしまったかなのです。同じ寮飲んでもアル中にならなかった人がいるではないか、そんなことを言う人がいます。これは、自分自身がアル中になる体質だったから、としか言いようがないのです。

 結局のところ酒をのんではいけない、飲んでしまえばどうしようもなくなる体質だ。だから一切酒を飲んではいけない。と言うことを鉄の信念でもって貫き通さなければならないのです。

 

 そういえば然る先輩が、どんなに飲み方を工夫しても結局飲み続けて、適切な量で止めることができなかった。それで、自分はそんな体質だから、もはや酒を飲んではいけないのだと思い込むことにした。と言っていたのを思い出します。この考えのおおもとは松村氏に在ったのですね。

 

 体質だから、とにかく酒を止めなければいけない、社会人としての健康も、一家の円満もすべてが一滴の酒も飲まないという信念にかかっているのだ。と言うことを自分に叩き込まなければならない。そしてその信念を長く持ちこたえなければならない。

 

 そこに断酒会と言うものが必要になるのである、というところです。

 

 次回は松村氏の語る「どうして断酒会に入って酒が止まるか」です。


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