『「悪知恵」の逆襲』刊行記念 単行本未収録回を特別公開(その1)「森と木こり」 | 鹿島茂の読書日記

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『「悪知恵」の逆襲』(清流出版 2016/11/19)の刊行を記念して、

単行本未収録回を特別公開(その1)「森と木こり」

 

『「悪知恵」の逆襲』内容紹介

「すべての道はローマに通ず」「火中の栗を拾う」など、
多くの名言を残した17世紀の詩人、
ラ・フォンテーヌによる大人のための寓話集を
現代日本の状況と絡み合わせて考察。
鹿島流の解釈で、現代を斬る。
正直者は本当に馬鹿を見る? フランス流、賢い考え方・生き方に学べ! つまり、本書のコンセプトは、ラ・フォンテーヌに学んで「大人の思考」ができるようにすることである。 では、「大人の思考」とは何か? それは、選択肢を前にして、何が自分にとって一番得かを自分の頭だけで徹底的に考え抜くことである。
目先の利益や、見せかけの親切、甘い言葉、儲け話に騙されてはいけない。論理的にしっかり考えて、真の意味での自己利益を追求せよということなのである。
(「まえがき」より)

 

 

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「森と木こり」(2016/06/29、清流出版ブログに掲載)

 

恩をかければ、仇で返ってくるものなのだ。

でも、それを恨むべきではない。

そこには、必ず理由があるのだから……。

  

トランプは、日本を「恩を仇で返した」国と言う

 

 知的財産という概念がまだない時代、日本は欧米先進国に追いつき、追い越すために、知的財産の盗みと言って人聞きが悪ければ、無断借用を多く行った。その結果、さまざまな産業製品を欧米に輸出できるようになったのであるが、しかし、たとえば共和党大統領候補のトランプ氏のような人物から見ると、日本は恩を仇でかえした国ということになる。偉大だったアメリカが産業輸出国でなくなったのは、あまりに気前がよかったのが仇になり、日本のようなこずるい国に技術を奪われ、産業戦争に負けたからというのだ。思えば、トランプ氏が名を挙げたのは日米貿易摩擦において日本たたきの先頭に立っていた1980年代であり、そのころから、同じことを言っているのだ。いまやそのトランプ氏が大統領に当選するかもしれないので、この手の思考法がどのように生まれるか把握しておく必要がある。

 この意味で参考になるのが「森と木こり」という寓話。

 あるところに一人の木こりがいた。うかつにも、商売道具だった斧の柄を折るか、なくしてしまい、商売あがったりの状態となった。そこで、木こりは森に向かって、お願いだから枝を一本だけ切らせてほしいと懇願した。商売道具の斧はほかの森に行って使うから、森の見事なカシやモミが切り倒されることはないと保証したのだ。ひとのいい森は木こりの懇願に負け、枝を切ることに同意した。

 すると、木こりは新たな柄で力を倍にした斧を使って森の木々を片端から切り倒していった。かくて森は恩を仇で返され、自分の善意を大いに悔やむこととなる。

これはいかにもトランプ氏が好みそうな寓話である。日本人の中にも韓国や中国に対して同じような思いを抱いている人もいるだろう。

 しかし、よく考えてみればすぐにわかるように、産業においては恩を仇で返すのはある意味、あたり前なのである。それは相撲でいう「恩返し」と同じで、与えられた知識なり技術なりを自分なりに磨いて、それを与えてくれた当人を凌駕するようでなければいけないのだ。学問や芸術もまたしかり。恩師を凌ぐ弟子でなければ進歩というものはないのである。

産業もまたしかりで、資本主義は本来より安い労賃と地代を求めて世界中を移動するという特質をもっているから、昨日、アメリカが日本を、今日、日本が韓国や中国を恩を仇で返したと恨んだように、明日は中国や韓国がインドやベトナムを同じように恨むこととなるのだ。いずれ、木こりは世界中の森を切り倒すに至るのである。

 

決して「忘恩」なのではない

 

 とはいえ、「森と木こり」という寓話はトランプ氏好みの「正直者は馬鹿を見る」式の教訓に過ぎないのかというと、そうでもないといわざるを得ない。というのも、この寓話にはヨーロッパで、中世からルイ十四世紀時代まで行われた乱開発の歴史が寓話的に語られているからである。

 いっぱんにわれわれ日本人はフランスに旅すると都市部に多くの緑地帯が設けられていることに感動する。緑の少ない東京や大阪に比べてなんという緑の多さよ、と思うのだ。ところが、試しにグーグルマップでフランスと日本を比較すると、この印象は逆転する。都市を一歩離れると日本のいたるところが森であるのに対し、フランスの田園地帯にはあまり森がなく、ほとんどが耕地になっているのだ。

 なんでこうなったかというと、日本の国土のほとんどは山地で耕作不可能なのに対し、フランスの国土の大半が平地であるため、樹木が切り倒されて耕地にされたからである。ひと言でいうと、地理環境によって日本では山地の森が保全され、全体としては緑の多い国となっているのに対し、フランスは国土のほとんどが平地という地環境のため、緑の面積が少ないのである。

 フランスの森は木こりに斧の柄を与えたから丸裸にされたのではない。平地の森という環境によって災いをもたらされたのである。

 同じようにアメリカの製造業が衰退したのは日本や中国・韓国に知的財産を盗まれたからではない。国土が広く、国内市場が大きいため、かえって国際競争力を失ってしまったのだ。地理的環境は時に恵みとなるが、別な時には災いのもととなるのである。

 

2016/11/19発売 『「悪知恵」の逆襲』