主の道はまっすぐで、
正しい者はそこを歩む。
だが、背く者はそこにつまずく。
ホセア書14:10

 

あなたがたがそうしているように、
互いに語り合い、
築き合いなさい。
Ⅰテサロニケ5:11

 

 フィリピ書1:18b~26
 エステル記3:7~15(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』10/6;木)

    ―――― ☆  ――――

 

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)と
思いを一つにして歩む道は、まっすぐで、平らなのですね。

正しい者はその生き方をし、
この方の思いを無視し、
あるいはこの方に背き、対抗して歩む者は
つまずくことになるようです。

 

 だから私たちは、この方と思いを一つにして歩むよう、
互いに語り合い、励まし合い、
築き合い、高め合うようにしていくのですね。

 

使徒パウロが、ピリピの人たちに書き送っているように。

「人々の中には、
ねたみや争いからキリストを宣べ伝える者もいますが、
善意からする者もいます。
見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方で
キリストが宣べ伝えられているのですから、
私はそのことと喜んでいます。
そうです。これからも喜ぶでしょう。
 

というのは、あなたがたの祈りと
イエス・キリストの御霊(みたま)の支えによって、
私が切に期待し望んでいるとおりに、
このことが結局私の救いとなることを知っているからです。

 

私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、
(投獄されている)今も、いつものように大胆に語り、
生きるにしても死ぬ(死刑にされる)にしても、
私の身によってキリストがあがめられることです。
 

私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
しかし、肉体において生きることが続くなら、
私の働きが実を結ぶことになるので、
(生きること、死ぬことの)どちらを選んだらよいか、
私には分かりません。
私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。
私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。
そのほうが、はるかに望ましいのです。
 

しかし、この肉体にとどまることが、
あなたがたのためにはもっと必要です。
このことを確信しているので、
あなたがたの信仰の前進と喜びのために、
(死刑判決を受けることなく)私が生きながらえて、
あなたがたすべてとともにいるようになることを知っています。
 

そうなれば、私が再びあなたがたのもとに行けるので、
私に関するあなたがたの誇りは、キリスト・イエスにあって
増し加わるでしょう」(ピリピ1:15、18~26)と。

 

 

 私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いと思いを一つにしていきるよう、
語り合い、励まし合い、高め合い、
築き合っていくのですね。

今日も。

 

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