お久しぶりです。

皆様のブログはたまに拝見していましたが、義父の転院に次ぐ転院やその他のことで疲れてしまって、ほとんど読めていません。

 

義父は、11月12日の午前中に、肺がんと肝臓の多発性転移で、家族に見守られ永眠しました。

 

11月9日に緩和ケアのある病院へ移り、こちらでは面会が可能ということで、毎日面会へ行きました。大学病院に最初入院してからまったく食事を受け付けませんでしたが、

 

11月10日、義父の大好きな缶コーヒーの銘柄を試しに買っていき、たまたま口腔ケアのスポンジが洗面所に置いてあったので、これをコーヒーにしみこませ、口の周りにつけると下を動かし舐め、次は、コーヒーのついたスポンジを口の前に持っていくと口を開けてしゃぶって飲んでいました。何度も強くしゃぶって飲んでいたので、のどが渇いていたのだと思います。

また、義母のことができることを考え、保湿クリームで全身や顔を塗ってもらいました。口からなかなか水分が取れないなら、皮膚から吸収できないかな?乾燥防止のためです。

 

私の亡き祖母の入院中は、ほぼ毎日、塗れるところにニベアを塗っていました。女性だから最後まで綺麗にしていたいだろうと思って行っていたことを義母に勧めました。

 

11月11日の午前中、Drからの説明、緩和ケアの入院時、私がどうしても同席できなかったのでこの日にずらしてもらいました。生きているのが不思議なくらい悪い血液検査データなのに、お父様は頑張っていらっしゃいますが、いつ急変してもおかしくないので覚悟しておいてくださいと言われました。

これはどこの病院でも言われています。

 

それよりも11月11日の夕食時に合わせて、もう一度面会し、

何とか食事やコーヒーが取れるようにしたいと義母と私と妻がそう思い、缶コーヒーを用意していきました。

私自身、乏尿が気になっていたというのもあります。

 

前日、誤嚥するといけないので勝手にやらないで下さいと看護師さんから怒られてしまったので、11日は看護師さんを呼び、リクライニング調整、食事は・・・と聞かれたので、私が介護福祉士なので、口腔ケアのスポンジを使用して挑戦してみますと伝えました。

 

おかずのペースト食はそれぞれ2~3口でしたが、おかゆについていた海苔はとてもおいしかったようで、何回も強くしゃぶっていました。おかゆは飲み込みづらそうだったので、海苔の部分をかき集め、こちらは完食。缶コーヒーは半分くらい飲めました。

 

食事ができた半面、この栄養ががん細胞に取られて逆に体調を悪化させてしまう懸念はありました。しかし、私としてはもう長くないかもしれない義父に頑張ってほしいという気持ちがありましたし、亡き祖母は最後まで高カロリー輸液でしたが、「ごはんが食べたい」という言葉が耳に残っており、ひょっとしたら最後になるかもしれないけど、無理なく少しでも食事を食べさせてあげたいというそういう気持ちでした。

 

12日の2時10分、病院から電話があり、義父が急変したと電話がありました。急変の際の電話、義母・妻・私でしたが、私だけ気づき、血圧が降下し呼吸が荒くなってきていますが、来れますか?と聞かれたので、すぐ行きますと伝えました。

義母が自殺未遂してから、妻が付き添っていたのでなかなか連絡が取れず参りました。

 

私の車から義母・妻に電話しながら、妻にやっと連絡がつながり、義母と妻を乗せて病院へ急行。着いた時にはいったん落ち着いていましたが、下顎呼吸が始まっているように見え、酸素吸入が始まっていました。妻の姉家族にも連絡し、一人以外着いたのは6~7時頃、5時ごろから、脈がとりづらくなり、酸素飽和度が悪化していたので、酸素マスクを私や妻、妻の姉が交代で押さえました。7時以降は、呼吸が落ちてきたので、酸素MAXにしてもらい、私も含めて家族には手足を温めて、お父さんへ近くで見守っているよと心で伝えてと話しました。

8時過ぎ、ほとんど呼吸がなくなり、看護師さんを呼びました。

8時7分には呼吸も脈も止まりました。耳は聞こえていると思うので、全員に最後の言葉をかけてほしいと伝え、それぞれ話しました。

しかし、家族の一人が病院に向かっているが到着しないということで9時半過ぎまで待ち、対面してもらいました。

 

事前に打ち合わせていた葬儀社には連絡し、それまでの間、看護師さんがすべてエンゼルケアをするのかと思いましたが、

 

看護師さんからの提案で、みなさんエンゼルケアをしますか?と。ある程度、看護師さんや看護助手さんがエンゼルケアをしてくれたあと、看護師さんの見守りの元、家族全員が一人ひとり、みんな泣きながらでしたが義父に声をかけながら、体の清拭をしました。きっと義父もみんなが体をきれいにしてくれて喜んでいると思います。

 

お別れの時間を大切にするエンゼルケア、緩和ケア病棟だったからできたのかもしれません。

 

 

ただ私の心にずっと引っかかっているのは、私が11日の夕食介助をしたから急変する結果となってしまったのか?

私が殺してしまったのではないか?って強く思ってしまい、

 

また葬儀後の姉家族からの私への強い責めで、もう精神的にボロボロになってしまい、首をくくろうとしたら、妻に止められました。今日も、妻を通じて、姉の子供たちから私へあらぬ疑いをかけ責めかかってきました。

 

なので、電話をかけてもらい、疑いをかけている高校生の子と話しました。ずいぶんタメ口で、大人に対して、そういう口の利き方はないだろうと思いましたが、あえて言わず、「何か私に恨みがあるのか?こないだもずいぶん私への文句を言っていたと妻から聞いたけど、言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどう?」と聞きましたが、答えず、疑いのある事だけ聞いてきたので、きちんと答えたところ、トーンダウン、姉の子供たちは、きっと姉に洗脳されているので、全員が私を目の敵にしているのでしょう。

 

所詮、私のいないところなら言える『負け犬の遠吠え』ですね。

 

でもいままで、経済的に苦しいからと私や妻が支援物資を持って行ったり送ったりした恩は、棚に上げて話すのだから、なんて非常識な家族なんだろうと思います。

 

こんなこと気にしていたら、故人が成仏できないので、できるだけ考えないようにしたいです。

 

義父の家が社宅なので、年内には義母と一緒に生活しなければなりません。ただでさえ、姉家族でストレスが強くなっているのに加えて、義母との生活がうまくいくか不安でたまりません。

 

どこでも『人間関係』のストレスが強まれば、また自死を考えてしまうと思います。断捨離と遺言と、どこの人間関係が原因で、自死したのかも書き記したいと思います。

 

今、考えているのは、リストカットにチャレンジしてみることです。手首には行けないので、腕からですね。