この話は、2021(令和3)年11月5日(金)、水戸藩による村人大虐殺事件・生瀬の乱の起こった地獄沢に行った1週間後の12日(金)に、生瀬富士で起きた後日譚(ごじつたん)です。

 

※注意(後半に少しグロいような写真もありますので、閲覧は注意願います。)

 

※後日譚(ごじつたん)⇒ある事件や物語などが一段落ついた、その後の話。

 

2021(令和3)年11月12日(金)、AM3時頃に起き、何かに導かれる様に茨城県にある生瀬富士(406m)に向かい車を走らせました。

 

 

 

生瀬富士(406m)の頂上と頂上からの眺め。日光連山まで眺められます。

 

 

 

生瀬富士の山頂北側にある通称「茨城のジャンダルム」。

 

※ジャンダルム。主峰の前にそびえ立つ岩峰。

 

 

 

茨城のジャンダルムにて。そして、この後ろ辺りが水戸藩による村人大虐殺事件・生瀬の乱の起こった地獄沢でした。この時点で地獄沢とは知る由もありませんでした、、、。

 

 

 

この後、下山を開始して行くと、私を待ち構えて居たかの様に、右横の草むらから蛇(たぶん、シマヘビだった様な)がいきなり飛び出て来て道を塞ぎ、こちらをずっと凝視していました。そして、この後、足を滑らせ滑落しました、、、、。頭から岩場に転落しましたが、何かに引っかかったおかげか、最悪の事態は避けられました、、、。しかし、後頭部からの出血は、地元の総合病院で処置して貰うまで止まりませんでした。

 

 

 

登山道から道路に出て、この標識を見て、はっと気づきました。怪我した場所は虐殺のあった旧・小生瀬村でした。あの蛇は、夜刀神(やとのかみ)の使いで、何かを教示していたのかも知れません。もしかしたら、ジャンダルムから地獄沢の方向に敬意を払って祈りを捧げて居れば、滑落は無かったのかも知れません。私は、その時点で、いや、先週、地獄沢を訪れた時から、そこに巣くう死霊に魅入られ、知らず知らずに招かれていたようです。つまり、ここを訪れる事は、全てが死霊の仕業によるものだったのかも知れません、、、。今思えば山中で会った蛇は、御仏(みほとけ)が私を助ける為、使わされ、足止めしてくれたのかも知れないと思えてなりませんでした。その神からのシグナルを無視したが為、このような事になったようでした、、、。

 

※夜刀神(やとのかみ)は、『常陸国風土記』に登場する日本の神(蛇神)である。

 

 

血に染まったタオルとスマホ(頭の裂傷の写真は、さすがにグロいので割愛します)。落ちた時の頭部を打った衝撃で、眼鏡は、2メートル先に吹っ飛んでいました。左足は泥だらけで、痛めた左足を引きずりながら4キロ程を車まで戻るのはきつかったです。打撲の跡は左足よりも右足が顕著でした。

 

 

 

小生瀬村の村名は、村内にある生瀬富士に由来するそうです。改めて地獄沢で犠牲になった方々の霊に祈りを捧げて、そして、私を救ってくれた御仏の御加護に感謝して、病院に向かいました。

 

 

 

 

怪我は、頭の裂傷と全身打撲(右の二の腕、左の二の腕、右膝、右脹ら脛、頭部の打撲、その他、多数の打撲)。右脹ら脛の蛇に噛まれた様な傷(左右に何かに掴まれた跡がくっきりと)と打撲、左の二の腕・右膝・頭部の打撲の痛みは、一ヶ月たった今も治りませんでした。因みに重傷を避けられたのは、冬なのに何故か異様に汗をかいたので頭にタオルを巻いており、その結び目に岩が当たったので致命傷にはなりませんでした。あと、リュックにも何故か、冬なのに着替えを多く入れておいたのが、幸いにもクッションになった様です。

 

 

 

痛み止めが切れたら全身、あちこちから痛みが出ました。

 

 

 

 

因みに、この日に限って、2度ほど、バランスを崩したり、足を滑らせたりして、滑落しそうになりました。そう言えば、10月に訪れた戸隠神社の年齢で引くおみくじが気になり、見てみると、こんな事が啓示(けいじ)されていました。やはり、偶然ではなく、何らかの見えざる闇の恐るべき力が、働いていたような様な感じがしてなりませんでした、、、、。

 

※啓示。神または超越的な存在より、真理または通常では知りえない知識・認識が開示されることをいう。

 

 

 

追記。

2ヶ月以上経ちますが、蛇に噛まれた様な跡が消える事はありません、、、、。

 

 

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