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新東海道53次を歩く(四日市→桑名)

2016-05-17 22:15:09 | 東海道五十三次

★東海道53次 爺婆の珍道中

 

昨年の4月、京都三条大橋から東京日本橋をめざして東海道53次

「孫姫を訪ねて爺婆の東海道53次を行く」を夫婦でスタートして

1年あまり、15日、やっと三重県の旧桑名宿まで完歩しました。

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5年かけ東京オリンピックの2020年、80歳の誕生日に孫が待つ

日本橋にゴールするのを目標にしておりますが

なにしろ二人合わせてただいま149歳の高齢者コンビですから

日本橋に着くのが早いか

命が尽きるのが早いのか

明日のことはわからないぎりぎりの年齢です。

よくぞ、桑名まで!と夜はビールで乾杯しました。

 

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今回は京都を出て9回目で旧四日市宿から旧桑名宿を目指して9時半、

スタートして快晴の空の下をすすみます。

四日市にはかっての宿場町の面影を残すものはほとんどありません。

市街地を外れると右手、海側にコンビナートの建物が目立ちます。

電柱には「海抜×メートル」の表示が目立ちますが

ほとんどが1.5~3メートルの範囲内で津波なら町中が全滅?

これは桑名に移動してもさほど変わりありませんでした。

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街道歩き(もちろん東海道も)の楽しみはかって多くの旅人や大名行列が

歩いて刻まれた足跡をひとつひとつ訪ねて行くのが最高の楽しみです。

何が彫り刻まれたのやら判別できない道端の石からは長き歴史を感じ

旅人を見守った顔もわからないお地蔵さんには一礼をしてすすみます。

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四日市は軒先に<ここは東海道・四日市>と書かれた小さな木の表示板が

道案内をしてくれて大助かり、これがないと迷ってもわかりません。

 

暑いので水補給をしながらさして変化のない道をすすんでいくと運よく

食堂があったので日陰とトイレと昼食を兼ねて40分を過ごしました。

 

ちょうど正午過ぎ旧西富田村で高い石の柱の「富田一里塚の碑」に到着

さらに炎天下をすすみ朝明川の手前の小さな公園でしばらく休憩しました。

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朝明橋を渡ると街道を行き来する人の街灯となった大きな常夜灯があります。

東海道には結構、大きな常夜灯がいまでも残っていますが興味がなければ

意外と気がつかないかもしれません。

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かっては松並木が続いたという道もいまは桜並木になって続いています。

それもて日陰になって暑く助かりました

相棒は頭からすっぽり日焼け対策、うしろから相棒の足取りを見ながら

すすみますがこの婆さま、意外とよく歩くので助かりました。

軽量級で足腰へ負担が少ないからか73歳、歩き歴5~6年でよく歩きます。

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三重郡朝日町は古い民家が続きラインの引かれた車道横を歩くのでそれは怖い!

旧桑名藩の菩提寺だった浄土真宗の「浄泉坊」は山門に三つ葉葵の紋が入り

徳川家との深いつながりがあったようで参勤交代の大名も駕籠から降りて一礼を

して通ったとか、ちょっと寄らせてもらった。

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近鉄朝日駅、ここで9年前の11月に写真を撮ったので今回も同じ場所で撮って

みましたが、あー、やっぱりそれなりに歳をとっています。

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(↑2007.11.23)

桑名市に入るとここはかっての宿場町の雰囲気と史跡がかなり多く残っていて

石柱を頼りにひとつひとつ訪ね歩くのは意外と難しくて時間がかかりました。

城下町であったためか迷路のように曲がりくねった道になっているんです。

ゴールの七里の渡し跡に着いたのが午後4時20分

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かって東海道を行き来する人は、ここ七里の渡しと名古屋の宮の渡し間を

海路を使っていてそうでその距離が七里あったからそう呼んだそうです。

四日市をスタートして7時間近くもかかりました。

日陰のない暑い街道は熱中症の危険との闘いでした。

本日の歩数は約36,000歩 。

これで京都、滋賀、三重を歩いて次回から愛知県の東海道へ移動します。

 



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