上海で頑張ってる人を応援する!

上海で頑張ってる人を応援する!

上海で奮闘している人/上海で頑張っているサークルや企業を紹介
中国上海で配布している会員誌『マルコ』の編集をやっています。本ブログはサークルなどに参加して、
上海でがんばっている人や企業を個人的に取り上げて、上海の素顔を発信します。


Amebaでブログを始めよう!

国連開発計画のレポートによれば、
・200人の富豪が世界の総人口の41%分に相当する富を所有
・世界の五分の一人々が世界のGDPの86%を保有
・世界人口の五分の一貧困者は世界のGDPの一%しか保有していない


同レポートはグローバリゼーションが富の分配において、世界中でいかに悲惨な結果をもたらしたかを報告しています。
世界の指導者や先進国の政治家、超国家企業などの使うレトリックによれば、グローバルスタンダードの価値観に従って世界が徐々に発展していけば、これらの不平等もまた徐々に解消するといっています。

しかし、地球上における不平等は、逆に悪化しています。
アメリカでは過去20年間の経済成長で所得が増えたのは、ほとんどアメリカ社会のトップ1%のという最上級の家計のみでした。
1980年代以降、アメリカ人労働者の大半の実質賃金は下がっています。
ウオール街で発生し世界に蔓延した反格差社会デモが全てを物語っています。

日本の政治家や評論家の使う常套句に「日本は規制が厳しいために海外の投資家が入ってこれない、日本はもっとグローバル化して世界からの投資を呼び込まなければいけない」としたり顔で言っていますが、これほど愚かな言葉はありません。

何も外資に頼らなくても日本は使い切れないくらいのドルを保有しています。1997年のアジアを襲った金融危機は、タイや韓国、マレーシアで危険を感じた海外の投資家が資金を引き上げたから危機が起こったのです。

その後の金融危機も規制のない国際金融市場で高利を求めて移動する短期資金によって引き起こされています。
日本だけが危機を免れてきたのは、海外投資家に依存する状況を作らなかったからです。つまり金持ちだから外資など必要としなかったのです。

日本の貿易はほとんど世界の各地でドルで決裁されたから、日本は巨額のドルを手に入れたのです。これらのドルの多くがアメリカにとどまり、アメリカ経済の借り手に貸し出されます。つまりアメリカに存在している利益集団は増々日本に依存するようになってしまったのです。

アメリカを操る超国家組織は日本に対して圧力を掛ける場合「グローバル・スタンダードは世界の大多数が合意した流れである」という殺し文句で迫るはずです。

現実の世界ではグローバルスタンダードなるものは存在しません。両国の全ての利益になるような共通のルールなど作れるはずもありません。

しかし、日本の古い経済評論家たちは日本式モデルは解体して、もっと開放的で、競争原理の働く産業と金融構造に変えるべきだと主張しています。
つまり、超国家組織の提唱しているグローバリゼーション以外にまるで選択肢がないような脅迫観念で日本を誘導して行っています。

格差が世界に広がった最大の原因は、世界がグローバル化の実現が全ての経済問題を解決してくれると勘違いしてしまったからです。
そして、多くの人々が保護主義は時代遅れや世界発展の足かせになるという風に信じてしまったからです。

もちろん行き過ぎた保護主義は前工業化社会ですが、
保護主義が悪でグローバル化が善というレッテルを貼ってしまったことから、グローバリゼーションがここまで浸透し、結果、格差が極端に広がっていったのです。

日本の経済評論家や政治家は「経済成長」が全てを解決してくれるがごとく馬鹿の一つ覚えのように語りますが、経済成長が地域の経済を破壊することもあり、また社会の伝統的制度を壊滅させることもあります。

もちろん、経済成長が国民を少しでも豊かにする条件をつくる唯一の方法であることは明らかですが、経済成長に目が眩んで全てをグローバル化していく事の危険性について知るべきです。
現にグローバル化された社会では労働者の賃金を引き下げ、失業者を増やしています。

グローバリゼーションが世界に幸せをもたらすはずがないことを、日本は世界に訴えるべきです。
日本の経済評論家はこれまで日本経済の弱さを誇張するコメントばかりを発し、日本メディアは日本経済をまるで、悲惨な緊急状態に陥っているかのごとく報道しています。

お陰で日本に関する誤った報道が世界中に蔓延してしまいました。
日本は世界に真実が伝わらない状況で静かに世界経済を支えてきたのです。日本はもうそろそろより直接的な形で、世界に感銘を与える時期にきています。

今の世界経済は突然激流と化しています。
我々は急激な変化に備えなくてはならない時代に生きています。日本丸を沈没させない気概を持ったリーダーが一体いつ出現するのか、明治維新に針を戻したい心境です。

「中韓を知りすぎた男」 より抜粋)


日本は過去の歴史の中で、どうしようもなくなるとかならずヒーローが現れて状況を打開してきました。
戦国時代の織田信長、江戸末期の坂本龍馬・・・。

今回の行き過ぎたグローバル化の終焉に、また新たなヒーローが現れるのでは、と密かに思っております。

日本に仕事が少なくなり、不平等化が激しくなり、閉塞感が蔓延しております。
そろそろ社会の仕組みが変わる必要が出てきているのでは。
そう言えば、坂本龍馬は「日本を洗濯する」と言っていました。


本日も最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

ただいま、 ”上海ブログランキング” に参加しております。
毎日書き込みができるよう励みになりますので、下記クリックの応援をよろしくおねがいいたします。
        




   それでは、本日も良い一日でありますように!




池田信夫氏の「グローバル資本主義はユニクロ化する」と、津上俊哉氏の「内田樹教授の寄稿「壊れゆく日本という国」について一言」を拝読して、グローバル化について考えさせられました。


(1)グローバル化は世界を豊かにするか

我々の生活の豊かさは、エネルギーにより支えられています。
我々の快適な生活には、エネルギーが必要で、電気、ガスを始め、移動、運輸、食糧生産など生活の隅々にまで、エネルギーの供給が必要です。

物質的豊かさ = エネルギー供給 × エネルギー効率 

従って、エネルギー供給を増やすか、エネルギー効率を改善するかしない限り、世界全体の物質的豊かさは増加しません。すなわち、我々の豊かさは、自然からの収奪によって支えられています。

一方、グローバリゼーションは、エネルギー供給を増加させず、エネルギー効率を必ずしも上げません。従って、自然からの収奪を増加させない限り、グローバリゼーションは世界を豊かにすることはありません。

しかし、企業の行動を考えると、人件費の安い新興国に生産を移管すれば、コストを下げることができ、グローバル化は収益の向上、競争力の強化に繋がります。
これは一見、上記の考察に反するように見えるが、生産の海外移管によって、雇用が失われ、直接的には国内での付加価値創造が失われます。その一方で、新興国の人たちの所得は、次第に上昇します。

従って、先進国に於けるグローバリゼーションの作用は、それを上手く利用する人たちを富ませる一方で、全体としては、新興国への富の流出をもたらすことになります。
つまり、グローバリゼーションは世界的な富の平準化と先進国国内の格差の拡大をもたらすのです。  


(2)グローバル化と雇用

よく聞かれる意見に「単純労働は新興国の人たちに任せて、先進国の人たちは、もっと創造的な仕事をすればよい」というものがあります。この意見を考察しましょう。

この意見は、次の2つの点で誤りです。
(1) 創造的な高スキルの仕事を出来る人材は、極一部しか存在しないし、必要性も薄い。
(2) 既存の需要の外側に、新たな需要がほとんど存在しない。


(1)については大学進学率(2-3年制の専門学校も含む)が80%にも達する韓国の状況を見れば分かります。
「就職難に苦しむ韓国の大卒者」を 見ればわかるように、韓国の家庭は極めて教育熱心で、大学生も非常に勉強熱心です。しかし、ソウル、高麗、延世といったトップ大学を除くと、新卒者の 中、正規雇用に就く割合は30%程度しかなく非常に低い。
サムスンなどの財閥系企業に就職するには数百倍の倍率をくぐり抜けなくてはならず、 TOEIC990点中800点以上でないと書類審査さえ通らないという著しい競争社会です。
韓国の場合、大学教育をしても意味のない層までが大学に行きミス マッチが起きています。過剰教育が問題なのです。

教育をすれば、能力を向上させることができるというのは、非常に限定的な意味でしか成り立たちません。

創造的な高スキルの仕事の出来る人材も、そのニーズも限られているのです。

「グローバルな競争に打ち勝つために、他の人の持たないスキルを身に付けるようにしよう」というのは正しいが、必要な規模でこれを行うのは不可能です。 

先進国では、製造業が衰退し、サービス業に雇用の中心が移っています。
しかし、実際に起きているのは、サービス業における過当競争と低賃金労働の蔓延です。

たとえばウォルマートやユニクロのように、低価格路線をとる小売業では、従業員を厳しい労働条件下に置き、取引先にコストカットを要求することが、競争に打ち勝ち、企業を拡大する原動力に なっています。
これは、労働者からの搾取に成長の源を求めざるを得ない状況だということでしょう。新たなフロンティアの枯渇の末、たどり着いたのが、こういっ たビジネスモデルだということです。

次に(2)について考えましょう。
地球の有限性が顕在化しエ ネルギー供給の拡大が望めなくなっている現在の状況では、先進国の製造業の衰退に伴って生み出される失業者が、何か新しい事業を起こすのが難しい。

これは、世界経済の規模が、エネルギー供給により規定されており、これを先進国と成長著しい新興国が分け合っているために、先進国の享受できる物質的な豊かさが、減少し続けるからです。
このような状況では、既成の需要の外側に新たな需要を見つけ出し、発展させるのは極めて難しい。

結局のところ、極一部の人を除いて、先進国の国民の生活水準はどんどん下がり続け、低賃金労働が益々蔓延することになります。


(3)それではどうなるのか

このまま、この状態を続けた場合、どのようなことが予測されるでしょうか。
エネルギー供給の見通しを考えると、現在は、供給量のほぼピークであり、2050 年に掛けて、世界のエネルギー供給は現在の3分の2まで低下するでしょう。
IMFも2022年の原油価格をおよそ1バレル180ドルと予測しているように、今後もエネルギー価格は上昇を続けるでしょう。

このような中で、世界経済、特に先進国は、経済成長が困難になることは間違いありません。現在、ユーロ圏では2年連続のマイナス成長になりつつあるが、こういったマイナス成長は、先進国全体に拡大するでしょう。  

現在、先進各国は、過激な金融緩和を続けていますが、これは危険な賭けであり、実際のところ、どのように収拾するのか、見当もつきません。
例えばFRBが出口 戦略を取り始めた場合を考えても、円が暴落したり、中国のバブルが破裂する、といった副作用が考えられます。かといって、このまま金融緩和を際限なく続け ることも、全く無理な話です。

従って、これから数年の中に、世界経済に不連続な変化が起きる可能性が高いでしょう。
成長の鈍化、ないし、経済の縮小が続く中で、過剰債務を抱える、先進各国が財政破綻を回避するのは難しいでしょう。

「BLOGOS」 より抜粋)


新しい所得の収斂(同一賃金化)は以下によって説明されます。

(A)グローバル化は、後発国がノウハウおよび技術を輸入し取り入れる過程を通じて、キャッチアップ戦略を生かした経済成長を促進します。
技術を取り入れることは発明よりずっと簡単です。

(B)人口増加のペースが遅い新興国および途上国の多くにおいては、その人口動態が資本集約度を向上させ、より速い一人当たり成長を促しました。
同時に、こういった国の多くで、労働力人口が全人口に占める割合がピークを迎え、黄金時代を享受しました。一方先進国では、特に欧州および日本において高齢者の割合が著しく増加しました。

(C)過去10年間に新興国・開発途上国で投資された所得の対GDP比率が、先進国の20.5パーセントと比較して27.0パーセントという高さだったことです。

投資は、農業などの生産性の低い部門から製造業などの生産性の高い部門への移行を促進することも可能で、それがキャッチアップ戦略を生かした経済成長を加速します。この要因で最も顕著だったのが中国です。


本日も最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

ただいま、 ”上海ブログランキング” に参加しております。
毎日書き込みができるよう励みになりますので、下記クリックの応援をよろしくおねがいいたします。
        




   それでは、本日も良い一日でありますように!




我々が住んでいる世界が一体化され、グローバル化されていることを感じている人は多い。しかし最近の歴史から、人はこのグローバル化の本質について実際に何を語ることができるでしょうか?
そこには今日の世界経済を特徴づける3つの基本的な傾向があります。

(1)3つの基本的傾向
(A)新たな所得のコンバージェンス(収斂)

開発経済学者の故アーサー・ルイス卿は、1979年のノーベル賞受賞記念講演において、こう述べました。
「過去百年間、開発途上地域の成長率は先進地域の成長率に依存してきた。先進地域が急速に成長すれば開発途上地域も急速に成長し、先進国が減速すれば開発途上国の成長も減速する。この関係は不可避なものなのか?」

最近のデータでは、こうした関係が依然残っている一方で、今では長期トレンドと景気変動を区別することが重要であることが示されています。
1990年頃から、新興国・開発途上国の一人当たりの所得は、持続可能な形で成長を加速させているが、その成長のペースは先進国を大きく上回っています。
これは、世界経済の力学的構造が大きく変動していることを表しています。

(B)景気変動の相互依存

新興国・開発途上国の趨勢的成長率の長期トレンドは、過去20年間をかけて先進国の成長率からは分離されてきたにもかかわらず、趨勢線の周辺で起こる景気変動は、独立した動くことにはなりませんでした。

(C)多くの国において所得の分配はより不平等になり、特に最上位の所得層が稼得する所得が劇的に上昇しました。

米国では上位1パーセントの人口の所得が過去30年で3倍に近づき、現在では米国の総収入の約20パーセントを占めます。
これと同時に、上述の新たな所得の収斂によって先進国と開発途上国のそれぞれの合計額の差が縮まる一方、最貧国の中には、何百万人もの所得水準が1世紀以上ほぼ停滞している国も存在します。

この事実は、平均所得が幅広く収斂しているにもかかわらず、世界で最も豊かな人々と最も貧しい人々の格差の拡大につながりました。

(2)新たな所得収斂(同一賃金化)

世界経済は、新興国および途上国全体の平均一人当たり所得が先進国よりも急速に増加し始めた1990年頃に、新たなる所得収斂の時代に突入しました。
19世紀前半の産業革命以来世界を特徴づけてきた富裕国と貧困国の間のはっきりした区分は現在では薄れています。重要なのは、この新しい所得の収斂が継続する可能性が高く、今後10年前後の間に、世界経済を根本から再構築する可能性が高いという問題です。

産業革命および植民地主義は大きな格差をもたらしました。
19世紀初頭から20世紀半ばにかけて、より豊かで工業化の進んだ「北」と発展の遅れた「南」との間の一人当り平均所得の格差は、3~4倍から20倍を超えるまでに上昇しました。
この格差の拡大は第2次世界大戦後の植民地主義の終焉に伴い減速したが、相対的な所得の格差は1950年から1990年の間は平均して一定の状態を維持していました。

しかし、直近20年間の新興国・開発途上国全体の一人当たり所得は、1997年から98年のアジア金融危機にもかかわらず、先進国のほぼ3倍のスピードで増加しました。
新興国は1990年代にその成長を加速させ、20世紀から21世紀になるころには発展途上国がそれに続きました。


(3)2025年から2030年ごろまでには、もともとの成長率の違いと自国通貨の実質的増価によって、新興国の一人当たり所得は先進国の所得レベルにさらに近づくでしょう。

一人当たりGDP成長率が1パーセント未満に減速し、そして先進国ではほぼ4パーセントのマイナス成長となりました。
しかし、前者グループの経済は急速に回復し、2010年には先進国の2.3パーセントに対して6パーセントの成長率となりました。危機の最中にこのグループが見せた回復力により、先進国とは異なる運命を求める声が再度高まりました。

新興国・開発途上国の一人当たりのGDPは先進国経済と比較して2~3倍の速さで成長しており、この傾向は継続する可能性が高い。
1997年から1998年のアジア金融危機以来、景気変動には相互依存が存在し、どちらかと言えばその傾向が強まっている可能性があります。
途上国間の連関が強まることにより、相互依存はより複雑なものになっています。中国のような大きい原材料輸入国の好景気・不景気は、多くの開発途上国原材料輸出に直接影響を及ぼします。

世界経済は依然としてある種の相互依存状態にあり、そこでは各国の景気が国境を越えて伝播します。
新興国・開発途上国経済は先進国よりはるかに急速に成長しているが、これは主に、長期的資本蓄積、技術的キャッチアップ戦略、および人口統計等の供給面の要因によるものです。

しかし、短期的な需要面の要因との連関がより強い趨勢線周辺の景気変動は強く相関しています。

「ファイナンス&ディベロップメント」 より抜粋)


グローバル化が進めば、先進国の非熟練労働者の賃金と途上国の非熟練労働者の賃金が収斂する方向(同一賃金化)へと動きます。

それは先進国の非熟練労働者の賃金が低下するからで、逆に熟練労働者の賃金は上昇するか不変のままです。途上国には熟練労働者が少ないからです。
熟練労働者たちは輸入によって費用を低くすることができ、利益を多くできるからです。

しかし、グローバル化は世界全体の富を増加させるのは、グローバル化の影響によって発生した低賃金労働者や失業者が新しい仕事を見つけた場合だけです。
途上国の非熟練労働者の増加によって賃金の低下する先進国の非熟練労働者が、彼らの住む国の成長している産業に流入することで、グローバル化は先進国と途上国の双方の利益を増加させます。

ただ、現実的にはグローバル化の被害を受けた失業者や低賃金労働者が必ずしも新しい仕事を見つけられるとは限りません。
彼らがそれまで働いていた職場での経験や技能が成長産業で役に立つとは限らないからです。


本日も最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

ただいま、 ”上海ブログランキング” に参加しております。
毎日書き込みができるよう励みになりますので、下記クリックの応援をよろしくおねがいいたします。
        




   それでは、本日も良い一日でありますように!





(1)欧米は、途上国製の輸入品から身を守るため、不公平な貿易協定の押しつけに奔走しながら、自由貿易賛美の弁論術をみがきあげました。

先進諸国は、交渉の議題を設定する時点で、ほぼ勝ちを決めていると言っていい。
つまり、市場開放が論議される対象となるのは、先進国が比較優位性をもつ商品とサービスだけなのです。

欧米の交渉担当者たちは当然のように、好きな議題を設定して好きな結果を決定できると考えています。
アメリカとEU がサービス市場の開放を推し進めるとき、彼らの頭の中に、次のような論理的思考は存在しません。
全般的にみると、サービスは労働集約性が高い。また、全般的にみると、途上諸国は労働力が豊富です。したがって、全般的にみると、公正なサービス部門の自由化は途上諸国に多大なる恩恵をもたらします。

彼らは代わりに、次のように考えます。
現時点でわれわれが比較優位性をもつ熟練労働サービスを自由化してしまおう。労働集約性の高いサービスの自由化はなんとしてでも 阻まなくてはなりません。
議論をする前から、彼らの心の中には、バランスを欠いた合意が成立しているわけです。

諸悪の根元は利権集団、それも、貿易自由化に抵抗する途上国の利権集団ではなく、先進国の利権集団です。
貿易自由化擁護派は前者を非難するが、後者は、自分たちが有利になるよう貿易交渉の議題を設定させるだけでなく、その せいで自国の平均的市民の暮らしが悪くなろうと意にも介しません。

交渉担当者たちも、身近な"クライアント"(ときには直接、ときには議会や政府を通じ て、たえず大きな圧力をかけてくる企業群)を気づかうあまりに、しばしば大局を見失ってしまうことがあります。
業界の利益をアメリカの国益と混同するならまだしも、世界貿易システム全体の利益とも混同するのだからたちが悪い。しかも、これはアメリカだけでなく、先進国共通の現象なのです。
どこの国の交渉担当者 も、輸出品を製造する業界団体からは、国外市場開放の方向で圧力を受け、輸入品と競合する業界団体からは、国内市場保護の方向で圧力を受けます。

いきおい彼らが腐心するのは、論理の一貫性を保つことでも、原理にのっとった合意を形成することでもなく、相剋する利益の間でどうバランスをとるかということになります。

(2)利潤VS生きる権利

欧米の貿易交渉担当者の仕事は、農業補助金と非関税障壁を守りつつ、自国の産業界のためによりよい待遇条件( 例えば、市場アクセスの拡大や知的財産権の強化)を勝ちとることです。

交渉担当者の辞書に"公正"の文字はありません。

交 渉担当者が心にかけているのは、農業補 助金の撤廃で大きな恩恵を受ける欧米の納税者ではない。物価の下落で大きな恩恵を受ける欧米の消費者でもない。温室効果ガスの排出削減で大きな恩恵を受け る地球環境でもない。救命治療薬の入手性向上で大きな恩恵を受ける貧困層でもない。

交渉担当者の望みは、生産者の役に立つこと。そして、交渉担当者の仕事は、できるかぎり少ない代償で、できるかぎり大きな利益を得ることなのです。

環 境や健康や科学の進歩に配慮しようというインセンティブを、交渉担当者はまったくと言っていいほどもっていません。交渉担当者の立場からすると、環境を考 えるのは環境大臣の仕事であり、健康を考えるのは厚生大臣の仕事であり、科学の進歩を考えるのは文部科学大臣の仕事です。
つまり、環境や健康や科学の進歩に大きく影響する議題が話し合われているのに、交渉のテーブルをみわたしてみると、それらについて配慮する者はひとりも座っていないわけです。

民主主義をめぐる議論の中心には、常に基本的価値観の対立が存在します。
グローバル化反対派が指摘するのは、グ ローバル化の方向性が怒意的にゆがめられた結果、いくつかの重要課題の意思決定権が、各国の議会から取り上げられ、民主的とよぶのはおこがましい閉鎖的な国際組織にわたされてしまった、という点です。

利権集団の声だけが高く大きく響き、民主的プロセスによる"抑制と均衡"も機能しない環境下では、当然のように、大多数の意見をまったく反映しない決定が下されます。


(3)民主性の欠如

貧しい国々に、そして豊かな国の貧しい人々に、さらには利益やGDPを超える価値にもっと気を配って、グローバル化をもっとうまく機能させるすべを学ばなくてはなりません。

問題は、ここまでのグローバル化の営まれ方に民主性の欠如が認められることです。
ゲームのルール作りとグローバル経済の運営を託された国際機関(IMF 、世界銀行、WTO) は、先進工業国の利益のために、もっと正確に言うなら先進国内の特定の利権(農業、石油大手など)のために動いています。

過去二世紀のあいだに、民主主義は資本主義の暴走に歯止めをかけるすべを学び、市場の力の向きを調整したり、勝者を多く敗者を少なくするようはからったりしてきました。
その学習効果はとてつもなく大きく、先進国に高い生活水準をもたらしました。1800年の時点では、とても 想像がつかないほどの水準です。

しかし、国際レベルでは、グローバル化をうまく機能させるのに必要な政治機関をつくることに失敗してきました。
うまく機能させるというのは、グローバル市場経済の力で、富裕な国の最も富裕な層ばかりではなく、世界の大多数の人々の生活が改善されるよう仕向けるということです。

冷戦の終結にともなって唯一の超大国になったアメリカは、全世界の経済および政治の体制を、公正さと貧者への配慮の原則にもとづいて再構築する機会を与えられました。
しかし、共産主義の対抗勢力がなくなった今、世界の体制を自国や多国籍企業の利益にもとづいてつくりかえる機会をも与えられました。
残念ながら、経済に関して、アメリカは後者の道を選んだのです。

「徳間書店」 より抜粋)


自由な競争が健全化をもたらすとありますが、冷戦が終わり、アメリカ主導の世界観が広がりました。その結果が米英主導のグローバル化だったのだとおもいます。

しかし、多くの国で国情が合っておらず、民主制を欠いていると思われます。
グローバル化をうまく機能させるためには、局地的な考え方に変えることが必要です。日本における地方分権に似ている発想です。

局地的な政治とグローバルな諸問題の乖離をなくすことが、健全なグローバル化への道とおもわれます。


本日も最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

ただいま、 ”上海ブログランキング” に参加しております。
毎日書き込みができるよう励みになりますので、下記クリックの応援をよろしくおねがいいたします。
        




   それでは、本日も良い一日でありますように!




(1)グローバル化は現段階のプロセスにおいて、国と国との間でも、一国の内部でも、バランスに欠ける結果を生み出しています。


たしかに富は創出されたものの、大多数の国々と人々がその恩恵にあずかつておらず、また、グローバル化のプロセス形成に関しても発言権を持っていません。
大部分の女性と男性の視点からみたグローバル化は、自分の子どもたちにまっとうな仕事とよりよき未来を用意してやりたいという、しごくもっともな親の望みを実現不可能にするものです。

これらの人々の大半は、非公式な経済の中で公式な権利をもたずに暮らしており、彼らの属する貧困国は、グローバル経済の枠外でどうにか命脈を保っています。
経済的な繁栄を謳歌する国々でも、国内の労働者や共同体の一部は、グローバル化の負の影響を受けています。

この委員会は世界73カ国を調査して驚くべき結果を得ました。
1990~2002年のあいだに南アジア、アメリカ、欧州 連合(EU)を除く全地域で失業率が上昇していたのです。

報告書が発表された当時、世界の失業者数は過去最高の1億8,590万人を記録しました。
委員会の調査によれば、世界の総人口のうち、不平等が拡大傾向にある国々に住む人の割合は59パーセント。
不平等が縮小傾向の国々に住む人はわずか5パーセントにとどまりました。
先進諸国の多くでも、金持ちがより金持ちになる一方、貧困層は現状維持さえむずかしい、という状況でした。

つまり、グローバル化は一部の国に利益をもたらした(生産され た製品とサービスの総量であるGDP値を押し上げた)可能性があるものの、これらの国に関しても、国民の大多数に利益をもたらすことはなかったわけです。

グローバル化によって貧困者だらけの富裕国が生み出されるかもしれない、という懸念が生じたのも当然でしょう。
一般的に言うと、経済のグローバル化に反対する者たちは、世界市場全体の成功には反対していません。先進国が成しとげた発明と革新を途上国にも利用させる、という知識のグローバル化にも、もちろん反対していません。

(2)彼らが懸念するのは次の五つの点です。

(A)グローバル化という名のゲームのルールが不公平であり、先進工業諸国が有利になるよう設定されている点。
実際、最近行なわれたルール変更の一部があまりにも不公平なため、最貧国の一部では国民の暮らしむきがさらに悪化しました。

(B)グローバル化によって物質的利益を重んじる価値観が突出し、環境や生命を大切にするような価値観がないがしろにされている点。

(C)グローバル化推進のプロセスで、発展途上国が主権の大部分を奪われ、国民の福祉に影響する分野での自己決定能力をなくしてしまった点。
これは民主主義の弱体化にもつながりました。

(D)誰もが経済的利益を享受できるというグローバル化擁護派の主張に反し、先進国と途上国の双方に数多くの敗者がいる証拠が山ほど存在する点。

(E)途上国に押しつけられた経済システムが、国情を無視したものであり、多くの場合、大きな損害をもたらしている点。

5つのうち、(E)が最も重要かもしれません。
グローバル化は経済政策のアメリカ化や文化のアメリカ化を意味してはならないが、しばしば、あってはならないことが現実となり、途上国に遺恨を抱かせてきたのです。

最後の点は、先進国にも途上国にも重大な影響をおよぽす。市場経済にはさまざまな形態が存在しており、アメリカ・モデルは、北欧モデルとも、日本モデルとも、ヨーロッパの社会民主的モデルとも違います。
グローバル化が"英米自由主義的モデル"を広めるために利用されてき たのではないかという疑念の声は、先進諸国の内部からもあがっています。


(3)所得と生活水準の向上はもちろん大切だが、貧困者に足りないのは金銭だけではない。


わたしがチーフ・エコノミストを務めていた当時、世界銀行は『貧しい人々の声』と題する報告書を公表しました。
エコノミストと調査員で構成された研究チームは、世界60カ国を対象に、貧困層の男女およそ6万人から聞き取りを行なった。自分たちが置かれた状況をどう感じているか、と。

案の定、貧困層の人々は収入の乏しさだけでなく、不安と無力感にも悩まされていました。
特に仕事をもっていない貧困者の間では、社会からのけ者にされているという疎外感も強かった。

一方、仕事をもつ貧困者にとっての不安は、失業と賃金低下のリスク(90年代末のラテンアメリカ、ロシア、東 アジアの経済危機では賃金が大暴落した)でした。
グローバル化は途上国をより高いリスクにさらしました。しかし、途上国にはこのリスクへの備えがみごとなまでに欠落していたのです。

先進国では、社会の格差を埋めることを目的に、政府が老齢年金、障害者給付、健康保険、生活保護、失業保険などの 制度を提供してくれますが、途上国は往々にして政府も貧しいため、社会保険プログラムを実行する余裕などありません。
なけなしの財政資金は多くの場合、基礎教育や 医療やインフラ整備に注ぎこまれます。

独力で対処しろと突き放された貧困者は、海外との競争によって経済や雇用が悪化すると、当然その影響をもろに受けてしまうわけです。富裕層のように貯蓄をしておけば、悪影響を緩和することも可能でしょう。
しかし、貧困層に貯蓄があるはずもありません。

貧困層が抱える懸念の中でも大きいのは、不安と無力感です。
貧困層の人々は発言の機会がないに等しい。彼らが声をあげても、誰も聞く耳を持ちません。たとえ誰かが聞いてくれたとしても、打つ手は何もないと言われるのが落ちであり、たとえ何か打つ手があると言われたとしても、今までに実現された試しはありません。

世界銀行の報告書では、ジャマイカの若い女性の発言が、この無力感を的確に表わしています。
「貧困というのは、監獄の中で日々を暮らし、手枷足枷をされたまま、解き放たれるのを待つようなものです」

「徳間書店」 より抜粋)


世界73カ国で、1990年以降、南アジア、アメリカ、欧州連合(EU)を除く全地域で失業率が上昇していたとありますが、2000年以降、アメリカ、欧州 連合(EU)においても失業率は上がっています。

つまり、南アジアを除いて、ほとんどの国で失業者が増えているのです。
グローバル化によって貧困者が多い富裕国が生み出されているのです。
グローバル化が"英米自由主義的モデル"を推進したために、多くの国の国情に合っていないものもあり、その国の中で格差社会が生まれ、少数の富裕者と多数の貧困者を生む結果になってしまったようです。

国民の幸福を目指す民主主義が多くの国がグローバル化した結果、貧困者を増やすという結果に陥ってしまっています。
今後、各国はグローバル化を続けていくのでしょうか。


本日も最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

ただいま、 ”上海ブログランキング” に参加しております。
毎日書き込みができるよう励みになりますので、下記クリックの応援をよろしくおねがいいたします。
        




   それでは、本日も良い一日でありますように!