世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す-2 | 上海で頑張ってる人を応援する!

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中国上海で配布している会員誌『マルコ』の編集をやっています。本ブログはサークルなどに参加して、
上海でがんばっている人や企業を個人的に取り上げて、上海の素顔を発信します。


(1)欧米は、途上国製の輸入品から身を守るため、不公平な貿易協定の押しつけに奔走しながら、自由貿易賛美の弁論術をみがきあげました。

先進諸国は、交渉の議題を設定する時点で、ほぼ勝ちを決めていると言っていい。
つまり、市場開放が論議される対象となるのは、先進国が比較優位性をもつ商品とサービスだけなのです。

欧米の交渉担当者たちは当然のように、好きな議題を設定して好きな結果を決定できると考えています。
アメリカとEU がサービス市場の開放を推し進めるとき、彼らの頭の中に、次のような論理的思考は存在しません。
全般的にみると、サービスは労働集約性が高い。また、全般的にみると、途上諸国は労働力が豊富です。したがって、全般的にみると、公正なサービス部門の自由化は途上諸国に多大なる恩恵をもたらします。

彼らは代わりに、次のように考えます。
現時点でわれわれが比較優位性をもつ熟練労働サービスを自由化してしまおう。労働集約性の高いサービスの自由化はなんとしてでも 阻まなくてはなりません。
議論をする前から、彼らの心の中には、バランスを欠いた合意が成立しているわけです。

諸悪の根元は利権集団、それも、貿易自由化に抵抗する途上国の利権集団ではなく、先進国の利権集団です。
貿易自由化擁護派は前者を非難するが、後者は、自分たちが有利になるよう貿易交渉の議題を設定させるだけでなく、その せいで自国の平均的市民の暮らしが悪くなろうと意にも介しません。

交渉担当者たちも、身近な"クライアント"(ときには直接、ときには議会や政府を通じ て、たえず大きな圧力をかけてくる企業群)を気づかうあまりに、しばしば大局を見失ってしまうことがあります。
業界の利益をアメリカの国益と混同するならまだしも、世界貿易システム全体の利益とも混同するのだからたちが悪い。しかも、これはアメリカだけでなく、先進国共通の現象なのです。
どこの国の交渉担当者 も、輸出品を製造する業界団体からは、国外市場開放の方向で圧力を受け、輸入品と競合する業界団体からは、国内市場保護の方向で圧力を受けます。

いきおい彼らが腐心するのは、論理の一貫性を保つことでも、原理にのっとった合意を形成することでもなく、相剋する利益の間でどうバランスをとるかということになります。

(2)利潤VS生きる権利

欧米の貿易交渉担当者の仕事は、農業補助金と非関税障壁を守りつつ、自国の産業界のためによりよい待遇条件( 例えば、市場アクセスの拡大や知的財産権の強化)を勝ちとることです。

交渉担当者の辞書に"公正"の文字はありません。

交 渉担当者が心にかけているのは、農業補 助金の撤廃で大きな恩恵を受ける欧米の納税者ではない。物価の下落で大きな恩恵を受ける欧米の消費者でもない。温室効果ガスの排出削減で大きな恩恵を受け る地球環境でもない。救命治療薬の入手性向上で大きな恩恵を受ける貧困層でもない。

交渉担当者の望みは、生産者の役に立つこと。そして、交渉担当者の仕事は、できるかぎり少ない代償で、できるかぎり大きな利益を得ることなのです。

環 境や健康や科学の進歩に配慮しようというインセンティブを、交渉担当者はまったくと言っていいほどもっていません。交渉担当者の立場からすると、環境を考 えるのは環境大臣の仕事であり、健康を考えるのは厚生大臣の仕事であり、科学の進歩を考えるのは文部科学大臣の仕事です。
つまり、環境や健康や科学の進歩に大きく影響する議題が話し合われているのに、交渉のテーブルをみわたしてみると、それらについて配慮する者はひとりも座っていないわけです。

民主主義をめぐる議論の中心には、常に基本的価値観の対立が存在します。
グローバル化反対派が指摘するのは、グ ローバル化の方向性が怒意的にゆがめられた結果、いくつかの重要課題の意思決定権が、各国の議会から取り上げられ、民主的とよぶのはおこがましい閉鎖的な国際組織にわたされてしまった、という点です。

利権集団の声だけが高く大きく響き、民主的プロセスによる"抑制と均衡"も機能しない環境下では、当然のように、大多数の意見をまったく反映しない決定が下されます。


(3)民主性の欠如

貧しい国々に、そして豊かな国の貧しい人々に、さらには利益やGDPを超える価値にもっと気を配って、グローバル化をもっとうまく機能させるすべを学ばなくてはなりません。

問題は、ここまでのグローバル化の営まれ方に民主性の欠如が認められることです。
ゲームのルール作りとグローバル経済の運営を託された国際機関(IMF 、世界銀行、WTO) は、先進工業国の利益のために、もっと正確に言うなら先進国内の特定の利権(農業、石油大手など)のために動いています。

過去二世紀のあいだに、民主主義は資本主義の暴走に歯止めをかけるすべを学び、市場の力の向きを調整したり、勝者を多く敗者を少なくするようはからったりしてきました。
その学習効果はとてつもなく大きく、先進国に高い生活水準をもたらしました。1800年の時点では、とても 想像がつかないほどの水準です。

しかし、国際レベルでは、グローバル化をうまく機能させるのに必要な政治機関をつくることに失敗してきました。
うまく機能させるというのは、グローバル市場経済の力で、富裕な国の最も富裕な層ばかりではなく、世界の大多数の人々の生活が改善されるよう仕向けるということです。

冷戦の終結にともなって唯一の超大国になったアメリカは、全世界の経済および政治の体制を、公正さと貧者への配慮の原則にもとづいて再構築する機会を与えられました。
しかし、共産主義の対抗勢力がなくなった今、世界の体制を自国や多国籍企業の利益にもとづいてつくりかえる機会をも与えられました。
残念ながら、経済に関して、アメリカは後者の道を選んだのです。

「徳間書店」 より抜粋)


自由な競争が健全化をもたらすとありますが、冷戦が終わり、アメリカ主導の世界観が広がりました。その結果が米英主導のグローバル化だったのだとおもいます。

しかし、多くの国で国情が合っておらず、民主制を欠いていると思われます。
グローバル化をうまく機能させるためには、局地的な考え方に変えることが必要です。日本における地方分権に似ている発想です。

局地的な政治とグローバルな諸問題の乖離をなくすことが、健全なグローバル化への道とおもわれます。


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