金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

目次

2017-09-11 12:35:30 | 目次

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日本語ものがたり
  はじめに

      第87回   「60年かけて果たせた約束」

      第86回 「子供たち」と「友達ども」

  第85回 「居酒屋」は、「ISAKAYA」か「IZAKAYA」か

  第84回 「ひらがな革命と国風文化」
  第83回 「黒帯の教え子をもつと」
  第82回 「消えたミスター・残ったミスター」
  武田鉄矢さんの「今朝の三枚おろし」トントントン♪
  第81回 「シルエット、サンドイッチ、レントゲン:これら3語の共通点は?」
  志村建世さんのブログ:意見をつなぐ、世界がかわる BLOGOSより
  第80回 「場所から物の名前になった例」
  新刊出ました!
  第79回 「書かれた通りに発音すればいいんですね」
  第78回 「故小畑精和先生を偲んで」
  小飼 弾さんのブログ:404 Blog Not Found">小飼 弾さんのブログ:404 Blog Not Found
  第77回 「「和子」はどうして「かずこ」と読むか」
  第76回 「百人一首の謎」
  第75回 「咲くやこの花冬ごもり
  第74回 「早く宿題やって遊ぶべ」
  第73回 「嫌いな食べ物」
  第72回 「したらね」
  第71回 「左見右見(とみこうみ)して鰻屋へ山の芋」
  第70回 「東日本大震災から2週間がたちました」
  第69回 「日本人が出所直後に逮捕です」
  第68回 「一貫を致しているところであります」
  第67回 「◯◯ちゃんみたく可愛くなりたい」
  第66回 「和語と親しむ(6):つらい・かたい・にくい」
  第65回 「和語と親しむ(5):消せど燃ゆる魔性の火」
  第64回 「和語と親しむ(4):時の流れに身をまかせ」
  第63回 「和語と親しむ(3):隠された動詞」
  第62回 「和語と親しむ(2):平仮名の向こうに」
  第61回 「和語に親しむ(1):男と女」
  第60回 「めがね」
  第59回 「朝青龍、角界を去る」
  第58回 「恐るべき麻生読み」
  第57回 「漢民族は羊好き」
  第56回 「あめあめふれふれかあさんが」
  第55回 「幸せになりたいですか」
  第54回 「敬語の品格」
  第53回 「怖い漢字」
  第52回 「福田首相辞任劇」
  第51回 「横綱の品格」
  第50回 「大統領がキレる国」
  第49回 「行ってきます」と「お帰りなさい」
  第48回 「敬語の落とし穴」
  第47回 「沖縄のことば」
  第46回 「安倍首相の日本語力」
  第45回 「左と右」
  第44回 「英語と仏語」
  第43回 「私のこと、好き?」
  第42回 「奈良時代のホッケー」
  第41回 「切る言葉、つなぐ言葉」
  第40回 「ある学生の『か理論』について」
  第39回 「英語の悲鳴・仏語の悲鳴」
  第38回 「恩師のアドヴァイス」
  第37回 「日本語の特徴(その3)」
  第36回 「日本語の特徴(その2)」
  第35回 「日本語の特徴(その1)」
  第34回 「意味の変化か、間違いか」
  第33回 「国語か、日本語か」
  第31回  謎解き「シクラメンのかほり」
  第30回 「赤ちゃんの名前」
  第29回 「3ぺた族」と「ひきこもり」
  第28回 「世界一の男優」
  第27回 「ぶん殴る」の「ぶん」はどこから来た?
  第26回 「名詞修飾節という肩凝り」
  第25回 「国境の長いトンネル:コトとモノ」
  第24回 「追悼:林尚子さん」
  第23回 「米語の悲劇・大阪弁の喜劇」
  第22回 「イスラム」と「イスラエル」:似ていて当然?  
  第21回 「は」と「が」の違い(その2)
  第20回 「は」と「が」はどう違う?
  第19回 「山・島・沼・浜:共通点は何?」
  第18回 「海」は「海水」のことだった?
  第17回 「ケータイさんが行くよ」
  第16回 「ケセラセラとレット・イット・ビー」
  第15回 「ビンラディンを巡る人名と地名」
  第14回 「常用漢字の不思議」
  第13回 「増本さんの想い出:スカートとシャツ」
  第12回 「50音図をよく見ると」
  第11回 「先生、ジュテームは日本語でどう言いますか」
  第10回 「日本語上達の鍵は『てにをは』にあり」
  第9回 「山の手線」か「山手線」か
  第8回 「モントリオールはクロワッサン」
  第7回 「先生、日本語は外来語に寛容すぎませんか?」
  第6回 「アカプルコからの手紙」
  第5回 「連続線としての受身/自・他動詞/使役」
  第4回 「ケベッコワと外来語」
  第3回 「葉と歯って元々同じだったと思う」
  第2回 「ラぬき言葉という名称は正しくない」
  第1回 「三階でございま~す」

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22 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本語に主語はいらない (通りすがり)
2007-08-13 18:30:23
この言葉の「主語は」は、主語ではないなら、なんと呼ぶものなのですか。

ご教示いただけましたら、幸いです。
三上さんは… (たき)
2007-08-14 17:17:17
私が師と仰ぐ三上章さんは、名詞+格助詞「ガ」を「主格補語」と呼びます。そして、名詞+係助詞「ハ」は「主題」です。
「主語」は要らないというのが三上文法の「主語抹殺論」です。
ブログのことで (magazinn55)
2007-08-31 05:56:46
突然ですが、もし、さしつかえなければ、
私のサイトに、あなた様の
ブログを登録していただけないでしょうか。
ランキングを楽しんだり、
さまざまなブログを拝見したり、
ブログライフの引き出しとして、
お願いできないでしょうか。


喜んで (たき)
2007-08-31 08:02:09
お便りありがとうございます。
お尋ねの件、了解致しました。どうぞ登録なさって下さい。光栄に存じます。
どちらなのでしょう? (clubsoda)
2007-10-21 20:41:11
はじめまして。

「日本語に主語はいらない」というのは、
(1)日本語に主語はいらないが、あっても構わない。
(2)日本語に主語はあってはならならない。
のどちらなのでしょうか?

(1)人間に盲腸はいらないが、あっても構わない。
(2)人間に甲羅はあってはならない。(あったら河童だ)

貴著を拝読しましたが、この点がよくわかりませんでした。

主語は甲羅です。 (たき)
2007-10-31 07:05:27
clubsodaさま

(2)人間に甲羅はあってはならない。(あったら河童だ)
の方です。つまり

(2)日本語に主語はあってはならない。(あったら英語だ)
ですね。コーラほどアメリカ的なものはありませんし。(爆笑)
Unknown (yiye)
2008-05-03 19:23:29
はじめまして。

目次にある第19回の表題の問いかけ、真剣に考えたのですが分かりませんでした。が、答えを見て納得、

第19回 「山・鳥・沼・浜:共通点は何?」
       ↑
これ、おかしいですよね(笑)。
直しました。 (たき)
2008-05-05 11:13:05
Yiyeさん、

真剣に考えてくださって、申し訳ありません。
おっしゃる通り「鳥」じゃ共通点がありませんね。
ご指摘有難うございました。さっそく直しておきました。

理解 しかけですが (雨森)
2009-02-23 23:22:02
三部作、興味深く拝見しております。

現代日本語文法なんて教えてもらった記憶がない一般人にとって、
主語とは、意味上の主語のことですね。
三部作を読んでも、
日本語にも 「意味上の主語は」あっていいんだよなあ?と思ってましたが、このことも疑いたい。

まず、現代英語にはそのような意味上の主語抜きに定義できる構文上の主語概念がある。
 ここが 一般人には最も わかりにくいところではないでしょうか。私にとってはそうでした。そこがわかってから 日本語に(構文上の)主語はいらない
(構文上の)主語はない ということがわかりだしました。

ところで
「意味上の主語」そのものも なんだかあやしい
概念だと思えてきました。それが本稿の主題です。

そもそも意味上の主語とは なにを意味するのか?
英語でも 動作主、受動文では被動作主、経験主、状態主、定義対象と 意味上の主語なるものの意味は述語によって多様です。
英語のBE プラス 形容詞文、 ひとつとっても 意味上の主語は 状態主といえるが 形容対象 とも言える。主体とも対象ともいいようにとれるわけです。
 
英語においてこれらがすべて 意味上の主語 とひとくくりにいえるのは 構文上の主語の意味役割だからでしょう。構文上の主語あっての意味上の主語。
 
日本語に構文上の主語がないのであれば、意味上の主語とひとくくりにいえるようなものもない ことになります。意味上の主語なるものも 輸入品だったのでしょう。
が格にしても その意味役割は多様で 個々の述語ごとに意味役割がちがう。たまたま 「私がボールを蹴る」「花が美しい」のような文だと が格と英訳の主語の意味役割が一致するようにみえる。こういうケースを元に、英語も日本語も意味役割は同じである ゆえに日本語では が格が主語である。あとは例外あつかいにすればいい。
というふうになったのではないか。
 
「意味上の主語」概念も廃棄してはどうかと 思います。特定の文における 特定の意味役割、「蹴る」の動作主、という概念で充分ではないでしょうか。

こんな理解でいいんでしょうか。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もひとつ よくわからないことが、 
主格補語なる用語、 さらにそれを日本語の構文上の主語とみて 主格主語と呼んでいるひともいるようだが、ややこしい。話がまた逆戻りしてしまいそうです。見た目の「が格」で充分ではないか、と思えるのですが。

「私が彼女が好きだ。」では たんに が格が2つある。意味役割はちがう。そんだけの話ですね。
これを主格補語が2つとするのは やっと2重主語問題をクリアしたと思ったら、2重主格ということになり、「主」が2つあっていいものだろうかという話に逆戻りしそうです。
「主格補語」というのは構文上のことであって 意味上のはなしではない。「主」には意味はない、ゆえに 主格補語が2つあってもかまわない、2つの意味役割はちがう。というわけでしょうけど。確認したいところです。
なんのために「主格」概念があるのか よくわかりません。

意味上の主語 (たき)
2009-02-27 12:16:34
雨森さま、

長い長いお便りありがとうございました。

引用させて戴きながらお答えしようと思います。>が雨森さん、
==>が金谷です、

>現代日本語文法なんて教えてもらった記憶がない一般人にとって、主語とは、意味上の主語のことですね。
==>そうですね。「おい、この文の主語は何だ?」などと新聞社のデスクが新米の記者を叱っている場面を想像すると、先ずは「意味上の主語が誰(or何)なのか、分からない」と言いたいのでしょうね。

>まず、現代英語にはそのような意味上の主語抜きに定義できる構文上の主語概念がある。ここが 一般人には最も わかりにくいところではないでしょうか。私にとってはそうでした。そこがわかってから 日本語に(構文上の)主語はいらない
(構文上の)主語はない ということがわかりだしました。
==>そのご理解でよろしいと思います。私の書き方に明瞭さがかけていたとすればお詫びします。

>ところで「意味上の主語」そのものも なんだかあやしい
概念だと思えてきました。それが本稿の主題です。
==>実はおっしゃる通り、これまた掴み所がないのです。むしろこちらの方に、さらに大きな問題があります。形の方には「主格」
にやや似ている「が格」がありますから。

>そもそも意味上の主語とは なにを意味するのか?
英語でも 動作主、受動文では被動作主、経験主、状態主、定義対象と 意味上の主語なるものの意味は述語によって多様です。
英語のBE プラス 形容詞文、 ひとつとっても 意味上の主語は 状態主といえるが 形容対象 とも言える。主体とも対象ともいいようにとれるわけです。
 英語においてこれらがすべて 意味上の主語 とひとくくりにいえるのは 構文上の主語の意味役割だからでしょう。構文上の主語あっての意味上の主語。
 
>日本語に構文上の主語がないのであれば、意味上の主語とひとくくりにいえるようなものもない ことになります。意味上の主語なるものも 輸入品だったのでしょう。
==>全くおっしゃる通りで、英語など西洋語には何と言っても「主格」という眼に見える形があります。Himに対するHe,Meに対するIが「主語の形」、これが「主格」です。

==>意味上の様々な多様性は、全て、これらが使われる際の意味にそって列挙されたものにすぎません。意味より形が先行するのです。

>が格にしても その意味役割は多様で 個々の述語ごとに意味役割がちがう。たまたま 「私がボールを蹴る」「花が美しい」のような文だと が格と英訳の主語の意味役割が一致するようにみえる。こういうケースを元に、英語も日本語も意味役割は同じである ゆえに日本語では が格が主語である。あとは例外あつかいにすればいい。というふうになったのではないか。
==>英語のように必ずそこにあり、活用も起こさせ、文頭という定位置も殆ど保たれる「主語」と、日本の「が格」は全然違いますからね。私は不本意ながら「主格補語」という言い方をしますが、「主格」も金田一京助、春彦が二代にわたって主張した「名格補語」の方がずっといいと思います。英語のNominativeは「主」でなく「名」ですから。
 
>「意味上の主語」概念も廃棄してはどうかと 思います。特定の文における 特定の意味役割、「蹴る」の動作主、という概念で充分ではないでしょうか。
==>廃棄すべきでしょうね。構文上も、意味上も「日本語に主語はいらない」のです。伝統的な英文法のように、日本語文法も先ずは形からスタートすべきです。すると「花子が太郎が好きだ」と文にぶつかった時に、「補語が二つありますね」だけで、説明に何ら困ることもありません。

>もひとつ よくわからないことが、主格補語なる用語、さらにそれを日本語の構文上の主語とみて 主格主語と呼んでいるひともいるようだが、ややこしい。話がまた逆戻りしてしまいそうです。見た目の「が格」で充分ではないか、と思えるのですが。

>「私が彼女が好きだ。」では たんに が格が2つある。意味役割はちがう。そんだけの話ですね。
これを主格補語が2つとするのは やっと2重主語問題をクリアしたと思ったら、2重主格ということになり、「主」が2つあっていいものだろうかという話に逆戻りしそうです。
「主格補語」というのは構文上のことであって 意味上のはなしではない。「主」には意味はない、ゆえに 主格補語が2つあってもかまわない、2つの意味役割はちがう。というわけでしょうけど。確認したいところです。なんのために「主格」概念があるのか よくわかりません。
==>上でお答えしましたように、「主格補語」は泣く泣くの妥協案です。でもこの中でより大切なのは「主格」ではなく「補語」(つまり文に不可欠ではない)の方ですから。
==>私も雨森さんに賛成で、最もいいのは「が格」で、次に「名格補語」それから「主格補語」、とても受け入れることが出来ないのが「主語」と言う風に順をつけています。

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