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由利の史跡巡り

2022年05月22日 04時26分00秒 | Weblog
 昨日は、本荘由利地域史研究会のフィールドワークに参加しました。地元の郷土史研究会の案内で、国指定有形文化財を中心に史跡巡りをしました。総勢17名とコロナ禍では最大の参加者です。



 最初は森子大物忌神社です。
森子大物忌神社の創建は奈良時代初期の養老年中(717~723年)、八乙女山に大物忌神社本社の分霊を勧請したのが始まりとされ、貞観3年(861)には社殿を造営し長く鳥海山滝沢修験の中心となりました。



 早くから神仏習合し龍洞寺が学頭として最盛期には33坊を擁する一大組織となり歴代領主である由利十二頭の1人滝沢氏から篤く崇敬庇護されました。戦国時代末期、当時の領主滝沢政道は最上義明に従った為、被官ながら1万石の大身としての地位を確立、新たに前郷城を築いた為、慶長13年(1608)に祈願所であった龍洞寺はその城下に移されました。元和8年(1622)に御家騒動により最上家が改易になると滝沢家も連座、当地が本荘藩領に組み込まれると藩主六郷氏の崇敬社となり多くの社宝が寄進されました。同じく鳥海山登拝口である矢島修験とは逆峯の本流を廻って対立関係にあり度々争いが起こり江戸時代中期頃には敗北したと伝えられています。




 社殿には大物忌神社の本地仏である薬師如来像を中心に両脇侍像である日光菩薩像、月光菩薩像、十二神将像が祀られ、近代以前は「薬師堂」と呼ばれてきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され(仏像は天井裏に隠されたと思われます。)



 森子大物忌神社に社号を改めています。現在の森子大物忌神社拝殿、幣殿は安政3年(1856)に再建されたもので木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間3間、屋根正面には大きな千鳥破風、1間唐破風向拝付き、細部には力士像や鳳凰、龍、獅子など精緻な彫刻が施されています。

 本殿は大正時代に建てられたもので3間社流造、銅板葺。森子大物忌神社本殿、拝殿、幣殿は「造形の規範となっているもの」との登録基準を満たしている事から平成23年(2011)に国登録有形文化財に登録されています。
 又、森子大物忌神社境内一帯は貴重な事から平成21年(2009)に鳥海山修験の重要な遺構の1つとして国指定史跡に指定されています。

 次は川西字奉行面にある岩船地蔵の見学です。現教育次長のご実家で、智仙という和尚が、矢島から女達のかけ念仏で子吉川を流して運んで来た岩を、刻んで作られた。村に凶事がある時は汗を流して知らせるといいます。東日本大震災の前にも汗を流していたそうです。昨日は乾いていました。

 その後由里仲八郎政春の墓と山本の戊辰戦争跡に向かい昼食は水辺プラザでワンコイン注文をとりました。

 昼からは吉沢の神明社に行きました。ここも国登録有形文化財です。今回は、社殿の中に入る事ができるという事でとても楽しみにしていました。
神明社は、享和3年(1803)社殿建立の際に三尊観音を遷座し、「竜重山金湧寺」と称し、現在の社殿は元治元年(1864)に再建されたものだそうです。





 社殿欄間の彫刻及び正面梁上の力士像は由利本荘市の小川松四郎の作であり、天井画『二十四孝』は谷川丹山、弊殿両脇の壁画『司馬温公』は本荘藩お抱え絵師の鈴木梅山、『楠公父子』の大絵馬は藩土牧野雪僊の画です。現在本荘郷土資料館では、本荘お抱え絵師の絵が展示されていますが、鈴木梅山、牧野雪僊の絵がここで見られるとは嬉しい限りです。









 神明社は、当時由利地方における一流芸術家による、作品の宝庫です。

2人以上で団体とみなして拝観できるそうなので是非足を運んでください。

・参拝は自由 時間の制限なし 
・社殿内部拝観時間 
 9時00分 ~15時30分 (要予約  0184-53-3693) 
 
・ご朱印授与 8時30分~16時30分

その後矢島で「令和の城下町矢島を創造する会」にも参加して一日中活動していました。激疲れですが有意義な一日でした。



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