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明治期の海士剥の絵地図発見

2021年12月08日 02時43分00秒 | Weblog
明治から大正時代の本荘町の政治家の須藤善一郎さんを知る人は余りいなくなってしまった。第5回衆議院選挙で当選した代議士である。群議、県議、町長まで全ての議会議員を経験した人である。その須藤家から古文書や美術品が市に寄贈されてほとんどデータベースに記録され収蔵済みだが、まだ、細々とした文書が段ボールに数個残っている。それをひとつひとつ調査している。
自分の住んでいる海士剥地区は明治の初めは子吉村になっていた。よって本荘町の一番南に位置していた。後々西目村に入っている。
伊能忠敬が1802年にこの地を測量した時には、たった7軒しか家がなく明治14年でも44戸しかなかった。今は200戸以上の集落である。
その明治期に須藤善一郎が書いた海士剥の絵地図が見つかった。


海士剥の在住の自分でなければ食いつかないただの紙切れだが、西目川と子吉川を繋げる水路を作る計画があったようだ。月山神社があった御月森は、御築山と呼ばれていたのもわかる。また平沢街道がどのようなルートかも分かる。

西目村になってからは、砂丘は田んぼに開拓され海外沿いに海士剥の葦原も田んぼになっている。本荘町のエリアは防砂林となっているが砂留工と書かれた7本のラインは調べれば何かしらの工事跡が残っているのかもしれない。明治以降の新興住宅地であった海士剥の近代初期の様子をたった一枚の絵地図から読み取ることができるのである。




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